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4.彼が僕の家に来る
だんだんと夏の気配が近付いてくるころ、僕たちの初めての合作曲がどうにか形になってきた。
曲調としても歌詞の世界観としても、僕としては歌とピアノだけでもいいように思ったけれど、二人で話し合って、せっかくなので試しにアレンジしてみようと決めた。
アレンジの行程はパソコンに向かう地味な作業になるし、特に最初は時間もかかる。まずは僕が家で案を作成してこようかと提案したが、彼が編曲の過程を見てみたいと言うので、学校から電車で二駅の僕の家まで彼に足を運んでもらうことになった。
両親が音楽家ということもあって、僕の家には、グランドピアノと防音・録音設備が一応は整っているが、父親曰く、そんなによいものではないらしいし、僕の家に彼が見て楽しいものなどないだろう。
僕のパソコンは、高校の入学祝に両親が買ってくれたもので、両親は使用しないし、ノート型で持ち運びもできた。
つまり、よくよく考えると、わざわざ彼に家まで来てもらわなくても、パソコンを学校に持っていけばすんだのではないかと思ったが、それに気付いたころには、もう彼は乗り気になっていて、僕はどうやって間を持たそうかなと思案しなければならかった。
翌週の月曜日。一日の最後の授業が終わると、前の席の彼が僕の方に振り向いて「行こ」と小さく声をかけてくれた。
彼と一緒に校門を出て、駅までの道を歩くのは、なんだかこそばゆいような気持ちがした。
「俺、反対方面だから、こっちは見慣れないなー」
二年以上通っている学校なのに、そんなものだろうかと思ったが、きっと何かと忙しい彼は、学校帰りに駅前のマックで友人とだらだらなんて、してこなかったんだろう。(もしかしたら、芸能人として顔が知られているので、他人の目も気になったのかもしれない。)
「家、近いの」
「うん、事務所の寮。学校の裏門から歩いて十五分くらい」
「寮って一人?」
「個室だけど、頼めば食事も出るし、毎日事務所の誰かと会うから、一人暮らしって感じはしないかな」
「そっか…」
高校進学を機に寮に入ったとして、十五才で親元を離れるということを僕は想像してみた。十才のころから仕事をしているという話だったから、事務所の人とそれなりに親しいのだろうが、それでもたぶん家族とは違う。きっと彼なりの覚悟があったんだろうな、と僕は思った。
「奏は、実家だよね」
「うん。今日は誰もいないと思うけど」
両親はともに不規則な仕事をしているから、曜日や時間を問わず、家にいたりいなかったりするが、実は昨晩、
「明日友達が来るから、なるべく家にいないでもらえると助かるんだけど…」
と頼んでおいた。
父親は「おう、めずらしいな」、母親は「え~、会いたいわ~」と言っていたが、どちらも年頃の息子の心情を慮って不在にしてくれているはずだ。(そもそも二人とも仕事があったようだ。)
彼と並んで歩きながら、お互いの家や家族、学校や友人なんかの話をとりとめもなくしていると、意外とすぐに高校の最寄り駅に到着した。
普段、ピアノ室以外ではあまり話さないし、ピアノ室では音楽の話になるから、こうしてみると、彼の私的なことや普段の生活についてほとんど知らないことに気付かされた。(例えば、彼には九歳年上の姉がいるらしい。ちなみに僕は一人っ子だ。)
ICカードを改札にかざし、駅のホームに入って電車を待つ。普通電車に乗り込み、ドアの近くに立つ。僕も身長は低い方ではないが、それでも彼の方が背が高いから、近い距離で会話すると僕は少し見上げるような形になる。
駅も電車も彼もいつもと同じはずなのに、心なしかぎこちなくなるのはなぜだろう。
電車が走り出してしばらくしたときだった
「ねぇ、あれって相沢遥じゃない?」
その声に振り向くと、少し離れた場所から、女子高生らしきグループがこちらを見ていた。
自分のことでもないのにどきっとした僕をよそに、彼は動じることもなく、にっこりと笑って小さく手を振って見せ、女の子たちに「きゃー」と騒がれていた。
すぐに僕の方に向き直った彼は、苦笑いして「ごめんね」と謝った。
さっきまで普通に会話していたのに、急に何を話したらいいかわからなくって、でもスマホを見るのも失礼な気がして、僕は自宅の最寄り駅に電車が到着するまで、窓から見慣れた景色が流れていくのをただ眺めていた。
なんとなく気まずい電車を降りて、ホームに降り立つ。
「大変だね」
僕は言ってから、嫌味に聞こえなかったかなと気になったけれど、
「最近やっと現場まで車で送ってもらえるようになったんだよー」
冗談めかして答えるその笑顔に、やっといつもの彼が戻ってきたような気がして、僕はなんだかほっとした。
駅から僕の家までは、雑談しながらのんびり歩いても二十分ほどだ。玄関に無数の賞状やトロフィーが飾られているのを見て、彼は「すごいねー」と無邪気な笑顔を僕に向けた。
「しまっといてって言ってるのに、親が飾るんだよ…」
「えー、いいじゃん。奏のことが誇らしいんでしょ。俺はご両親の気持ち、わかるなー」
小中学生のころのトロフィーなんて、自分としてはあまり意味がなかったし、高校生の僕に対してのプレッシャーにも感じられたけれど、彼はそう言ってくれた。
ひとまず彼をグランドピアノのある防音室に案内する。パソコンは昨日の内に僕の部屋から持ってきておいた。あとはお茶でも準備したらいいかなと思ったら、彼は「ペットボトルがあるから、お気遣いなく」と言ってくれた。
防音室で飲食物をこぼすと親がうるさいので、僕も冷蔵庫からペットボトルの飲料を持ってきて、いざ、パソコンを立ち上げた。
編曲用のソフトウェアを起動し、データを取り込むと、音がグラフ化されたものが表示される。
ソフトの仕組みや操作はほとんど理解していても、人に説明しながら作業するのは慣れない。手元と口を動かしながらも、彼がこの時間を楽しめているのか、僕はだんだん不安になってきた。
けれど、僕の説明が一通り終わると、
「おー! すごーい!」
彼はまたそう言って僕の方を見た。
「別にすごくないよ」
パソコンと専用のソフトウェアがあって、基本さえわかってしまえば、いまどきは誰でも作曲や編曲ができる。僕はそれを知っている、というだけだった。
それでも彼は目を輝かせて、
「すごいよ。トロフィーだらけだし、さらっと編曲できるし、ほんとに奏はすごい」
そう言ってくれるので、僕はつい、
「やれば、誰でもできるよ」
と答えてしまった。
「え、ほんとに? それなら、俺もやりたいな。奏、教えてくれる?」
(そう来るか…)
自分で誰でもできると言ってしまった手前、即答でいやとも言えず、悩んだ挙げ句、彼にまずパソコンとソフトウェアを準備するように言った。(ただの時間稼ぎだ。)
「まずは自分でやってみて。わかんないところがあったら教えるから」
ついそう約束してしまった。
そのまま、僕たちの楽曲の作業に入ると、時間はあっという間に過ぎていった。
一人で検討してやり直してを繰り返していると、何がいいのかわからなくなってきてしまうことも多いけれど、二人でやると、大胆で迷いのない彼のスタンスも相まって、作業もスムーズに進み、アレンジの幅も広がった。
切りのいいところで時間を見て、防音室のカーテンを開けると、外は薄暗くなっていた。
「そろそろ帰らないとね」
と言いかけて、今回も彼に先を越されて、
「帰りたくないなー」
と言われてしまった。
「でも、そろそろ親も帰ってくるから」
「奏の部屋、まだ見てない」
「見なくていいよ…」
「見るだけじゃなくて、入りたい」
「入らないでいいです」
「だって、帰っても寮で一人なんだもん…」
(なんだもん、じゃない。あんた、いくつだよ)
思いながらも、そう言われると、帰らせるのが悪いような気持ちになってくる。
(あーもー!)
僕はあきらめて、
「パソコン、僕の部屋に持っていくけど、来る?」
と彼に声をかけざるを得なかった。
「なにこれ、めっちゃ可愛いじゃん」
目ざとく昔のコンクールのDVDなんかを見付け出した彼は、僕が止めるのも聞かずに、素早くそれをパソコンのドライブに入れて再生した。
「可愛いとかいいから…」
「可愛いよー。今度、俺の子役時代のDVDも見てよ。ちょっと恥ずかしいけど」
「恥ずかしいなら見せてくれなくていいよ」
「自分で言うのもなんだけど、俺も可愛かったんだよー。奏は子ども苦手?」
「…接点がないかな…」
「そっかー。俺は親戚の子とかいたし、最近は姉の子どもが可愛くて、実家に帰ってるくらいだからなー」
そうこうしているうちに、恐れていた事態が起こってしまった。玄関のドアが開く音がして、「ただいまー」と母親の声が聞こえたのだ。
(あああ…)
もう最悪だ。会わせてはいけない二人のような気がする。
「奏ー、お友達、まだいるのー?」
母親の声と足音が近づいてくる。まさか年頃の息子の部屋のドアを勝手に開けはしないだろうと思ったが、僕の心配をよそに彼の方からドアを開けて、
「こんばんは。お邪魔しています。遅くまですみません。奏くんと仲良くさせてもらっています、相沢といいます」
と如才なく挨拶をして(僕からは見えないが、たぶん例の芸能人スマイルだ。)、僕の母親の心をここぞとばかりに奪っていった。
「こんばんは、奏の母親ですー。えー、友だちって、遥くんだったのー!」
「遥くんって…」
何をこの人はさも知り合いのような言い方をして。
「あ、なれなれしくてごめんね。昔、舞台の仕事で挨拶したんだけど、覚えてないよね。奏と同い年だなって思ってたの」
「そうなんですね」
「よかったら、夕飯、食べていかない? お父さんが急に遅くなるって言うから、食材、余っちゃうんだ」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
(甘えないでくれ…)
「たいしたもんは出てこないけどね。できたら呼ぶねー」
そう言い残して、母親は僕の部屋の前から立ち去っていった。
二十分程して、「できたよー」とリビングから僕たちを呼ぶ声が聞こえた。
母親は昔から明るくフレンドリーな性格だったが、ほぼ初対面の息子の友達に対しても、その特性を遺憾なく発揮していた。(半分でも僕に遺伝してくれればよかったのに。)
二人は、僕を蚊帳の外にして、高校の話や母の仕事の話等に花を咲かせている。僕はもくもくと食事を口に運びながらそれを聞いていたが、ふいに昔の話になって、ぎょっとした。
「奏、遥くんのミュージカル見に行ったの、覚えてる?」
「頼むから、余計なこと、言わないで…」
「そうなの? 俺、どんなだった?」
「…覚えてないよ…」
僕はとっさに口からでまかせを言う。
「なんだー」
彼はさも残念そうにしている。
地獄のような夕食だった。
どうにかその時間を乗り越えて(一年分くらいの労力を使い果たしたような気分だった。)、帰り道、外は当然ながら真っ暗になっていたので、僕は駅が見えるところまで、彼を送っていった。
「今日はありがとね。楽しかった」
「はいはい…」
「今度は俺んちも来てよ」
「え」
「え、って何。だめなの」
「特に用事ないけど…」
「別にいいじゃん」
「……」
「じゃあ、パソコン買ったら来て」
「…それならいいよ」
何か名目があれば間が持つかなと思って、僕は渋々ながら承諾した。
彼は嬉しそうに手を降って、駅の方に去って行った。
家までの道を戻りながら、
(疲れたな…)
と思ったけれど、子どもみたいに手を振る彼の笑顔を思い出すと、それも別に悪くないような気もして、淡く光る月を見上げて僕も笑った。
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