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6.もうすぐ文化祭
二学期に突入してからほどなくして、ホームルームで文化祭の案内があった。
僕たちの高校では、通例として、三年生はクラスでの出し物はない。もちろん、部活で参加したり、僕たちのように有志でステージイベントに参加したりするのは自由だ。あとは希望者が、二年生主体の実行委員会のもと、全体のとりまとめや会場、印刷物等の準備、後輩の出し物の支援等にあたる。
翌日の放課後、彼は一枚のA4用紙を持ってピアノ室にやってきた。文化祭の参加申請書だ。彼とステージに立つことがいよいよ現実として迫ってきて、なんだか背筋が伸びるような思いがする。
「『代表者』は、言い出しっぺの俺にするね。『出演者の人数』は、二人。『内容』は音楽演奏かな」
一項目ずつ僕に確認しながら、彼はどんどん申請書の空欄を埋めていく。
「『必要な備品』…、パソコンは持ってくよね。ピアノ、マイク、アンプ、スピーカー、…くらいかな?」
「そうだね。それでいいと思う」
「『希望の会場』はどうする?」
その時点でもう三曲が完成に近づいていたから、すべて演奏するとしたら、メインステージの持ち時間である十分では短い。
「ホールでいいんじゃない」
考えて、僕は答える。大人数に聞いてほしいというよりかは、彼と制作した楽曲を多く演奏してあげたかったし、もともと音楽や演劇の発表会用として作られているホールの方が、音の響きもよく、落ち着いて聞いてもらえるような気がした。
「『所要時間』は、マックスの十五分でいいよね。『希望の時間帯』はある?」
二人ともこの演奏以外に文化祭の予定はないと言ったので、彼は『特になし』と記入した。
そこで彼の手が止まって黙り込んだので、「これで終わり?」と僕が申請書をのぞき込むと、まだ空欄が一つだけ残っていた。
「『エントリー名』?」
僕が聞くと、彼は「エントリー名…」とオウム返しで答えた。
申請書の説明を読んでみると、どうやらプログラムに表記される名前らしい。クラスでエントリーするなら、クラス名でいいのだろうが、僕たちで言えば二人のグループ名、ということになるのだろうか。
何度も「エントリー名…」と呟いている様子を見るに、彼に案はないようだ。僕にしても、そんな項目があることすら、そのときまで思い至らなかった。
彼はシャーペンをくるくる回して、「うーん、適当でいっか」なんて言っている。
「いや、あんた、芸能人なんだから、ネットとかに書かれて、一生残るよ」
「そんなこと気にしてたら、何もできないよ」
「なしでいいんじゃない」
「書かなかったら、代表者の名前がプログラムに載るって」
「それはまずいね…」
彼の名前がプログラムに載ったら、おそらく当日会場は結構な騒ぎになるだろう。それなら僕を代表者にするのはどうだろうと考えたが、僕としても個人名がプログラムに載ると音楽科の友人たちに騒がれそうで、正直敬遠したかった。
僕たちは共作の作業を放置して、ピアノ室の予約枠の時間が尽きるまで頭を悩ませたが、よい案は浮かばなかった。
締め切りまでまだ十日程あったから、その日はひとまずあきらめて、お互いに考えてくることを宿題にして解散した。
けれど、家に帰ったって、日付が変わったって、思いつかないものは思いつかない。面倒になって後回しにしていたら、あっという間に、しめきりは明日に迫っていた。
いつものピアノ室で僕たちはため息をつく。
「名無しって英語でなんていうの」
彼がなげやりな口調で言う。
「No nameとかNamelessかな」
自分で言っておいてあまり自信がなかったので、僕はスマホで調べてみた。
両方とも『名前がない』という意味があるようだが、前者はすでに海外のバンド名やブランド名に使われていた。
「Namelessは、『世に知られていない』とか、意訳だけど『名付けようもない』みたいな意味もあるって」
僕がスマホの検索結果をかいつまんで伝えると、
「なんか、それってちょっと俺たちみたいじゃない。もうそれでいこう」
そう言って、彼はその英単語を最後の空欄に記入し、申請書を実行委員会の備え付けのボックスに投函した。
九月末、代表者に申請の結果が通知され、僕たちはホールの十三時二十分、午後の二枠目に割り振られたと彼から連絡があった。
文化祭は祝日の文化の日で、三年生の参加は基本的に任意だ。午前中は音楽科の友人たちと適当に見て回って、午後、自分たちの演奏が終わったら帰ろうかな、と考えていたら、彼から追加のメッセージが届いた。
『文化祭、一緒に回る?』
僕たちの高校の文化祭は、招待状があれば校外の人も参加できる。昨年もそうだったが、相沢遥の周りは結構な騒ぎになっていた。(彼は気にしていないようだったが。)
演奏以外で人に注目されたり、ましてや見ず知らずの人に騒がれたりするなんて、僕にとっては苦手の極値みたいなことだ。
そんな考えが頭をよぎったが、と同時に、僕は自分ができれば当日彼と一緒にすごしたいと思っていることに気づいていた。
おそらく、この文化祭が終わったら、僕たちの時間はほとんどなくなってしまう。
この数ヶ月、彼と僕はお互いのことを知って、それなりに親しくなれた。それはきっと彼も同じように感じているだろう。
けれど、それでも僕たちには一定の距離感があった。文化祭の出演を周りに隠しているということもあって、教室で話したり、一緒にどこかに出かけたりすることは、お互いにどこか遠慮していた。
そして、文化祭のあと、僕たちは受験を控えている。
彼の進路については、「推薦でラクしようかな」と夏休みに話していたが、それ以降は何も聞いていなかい。僕は一般入試だから、文化祭が終わってからは本腰を入れて取り組まなければならない。
だから、きっと、これが最後のタイミングだ。
僕は決心して、自分の気持ちに正直になることにした。
『午後は騒ぎになりそうだから、午前中ならいいよ』
そう返信すると、すぐに『やった!』とメッセージが返ってきたて、スマホの向こうの彼の笑顔が思い浮かんで、僕も笑った。
彼が歌詞を持ってきたのは、文化祭の参加申請書を提出してから、一週間くらいあとのことだった。
文化祭まで一ヶ月半もない。もう曲先の三曲が完成に近づいていたし、詞先はもういいのかなと僕は思っていたけれど、彼はあきらめていなかったらしい。
その詞にはもうタイトルがついていて、申請書に記載したエントリー名と同じ『Nameless』と名付けられていた。
「今、読んでもいい?」
彼は黙って頷く。めずらしく緊張しているみたいで、なんだか可愛いなと思った。
まず一読する。これまでの曲先の歌詞とは、テイストが違っているようだ。景色や映像よりも、感情や思いが頭の中にあふれる。
二度、三度と繰り返し読むと、これまで見てきた彼のいろんな表情が浮かんできて、彼の気持ちが伝わってくるような気がした。
「いいね。…なんか、等身大の悠人って感じがする」
「よかったー!」
彼は安心したみたいに表情をゆるめて笑った。
「曲、付けれそう?」
「うん」
不思議とイメージがわいてくる。数ヶ月前、最初に僕が作ってきた曲を聞いて歌詞を書き上げたときの、彼の気持ちがわかったような気がした。
頭に思い浮かぶままに、思いついたフレーズや全体の雰囲気、構成の案を彼と共有する。どうやら彼と僕の考える楽曲の世界観に相違はなさそうだ。
ピアノ室の時間いっぱいまで、その場で彼の意見を聞きながらイメージをふくらませた僕は、家に帰って防音室にこもり、一気にその曲を書き上げた。
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