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7.あと二週間

 曲先の三曲に加えて、詞先の一曲が完成したのは、十月の半ば、文化祭まで二週間に迫っていた。  ステージの時間を考えると、フルコーラスなら三曲しか演奏できないから、残りの一曲はお蔵入りになってしまう。  僕はそれでもいいかなと思ったが、 「もったいないし、四曲とも奏のチャンネルにあげちゃったら」  と彼は言ってくれた。  僕としては否やはなかったが、彼は芸能人として事務所と契約して仕事をしている。彼が作詞したり、歌ったりした楽曲をネット上に公開しても大丈夫なのだろうか。 「事務所に確認してみるね」と彼は言ってくれたが、もし許されなかったとしても、それはそれでいいと僕は思っていた。  もともと、彼と文化祭で演奏するために制作した楽曲たちだ。僕としては、彼が「文化祭で歌を歌いたい」と言っていたこと、その理由として「伊東奏と音楽を作りたかったから」と言ってくれたこと、それが叶えばいいと思っていた。  たしかに、彼の言うようにもったいないという気持ちや、お蔵入りになってしまう楽曲がかわいそうな気持ちもあるけれど、それでも、彼の歌詞や歌を除いて曲だけで公開したくはない。この楽曲たちは、彼と僕の作品だから。  僕がそう彼に伝えると、 「文化祭が終わったら、ほんとに奏と俺だけの楽曲になるね。それもロマンがあっていいな」と彼は笑った。  二日後、事務所からOKが出たと彼から連絡があった。契約上、明確なルールはなかったそうだが、名前と顔を出さなければ公開してもよいだろうということになったらしい。 「チャンネル上で出さなくても、文化祭で歌ったらばれるよね」  彼はいたずらっぽい笑顔でそう言った。(もしかしたら、確信犯だったのかもしれない。)  共作を僕のチャンネルで公開して、文化祭でその楽曲を歌えば、彼の言うとおり、相沢遥と僕の名前は遅かれ早かれリンクしてしまうだろう。  そうなれば、すでに芸能人として有名な彼の名前を、僕が利用しているように思われるかもしれない。もしかしたら、彼に迷惑をかけるようなことにだってなるかもしれない。  けれど、それを恐れて何もしなければ、僕はずっと何もできないままのような気がした。  夏休みのあの日、彼の部屋での覚悟を思い出す。  あっているか、間違っているかなんて、たぶん今の時点では誰にもわからない。僕は僕なりの方法で前に進んでいくしかない。  それに、できるなら、やっぱり彼と僕が作った楽曲たちを誰かに聞いてもらいたかった。(彼も少なからずそう思ったから、僕に提案してくれたんだろう。)  彼とこの楽曲を作った半年間が、僕を前に進ませてくれたように、僕たちの楽曲が誰かの背中を押すものになればいいな。そう僕は思った。  そのころ、プログラムと招待券が全校生徒に配られたり、宣伝用のビラが解禁され、校内に配布・掲示されたり、文化祭ムードが一気に高まっていた。  有志の参加者は、自分たちの出番にお客さんに来てもらえるように、たいてい事前にビラやSNSなんかで宣伝活動を行っている。それに対して、僕たちはむしろ出演を秘密にしていたし、おそらく相沢遥の名前が外部に漏れてトラブルになることを恐れたのだろう実行委員会のかん口令は徹底していたようで、文字どおり誰も知らない『Nameless』は、正体不明の参加者としてちょっとした話題になっていた。  僕たちの前の枠、午後一のステージは演劇科の有志による三人芝居、後ろの枠は軽音楽部の演奏で、友人たちによると、どちらも前評判は上々らしい。  内心、もし僕たちの出番にお客さんが誰もいなかったらどうしよう、と心配していたが、どうやらそれは杞憂に終わりそうだ。この分なら、前の演目からそのままいてくれる人や、次の演目のために早めに来てくれる人、正体不明の『Nameless』を見に来てくれる人もいるだろう。  僕はプログラムやその裏の配置図を眺めながら、自分たちの出番まで、彼とどのように過ごそうかと思いを巡らせていた。こんなに学校行事を楽しみにしているのは初めてかもしれない、とふと気付いて、なんだかおかしくなった。  どの楽曲も、編曲や練習のためにこれまでに何回も録音していたが、YouTubeで公開するとなったら、改めてきちんと撮り直したくなって、僕たちはにわかに忙しくなった。  ピアノ室で練習し、僕の自宅に来てもらって歌とピアノを録音し、それをパソコンで他の音のデータとあわせたり、音を調整したりして、二人で最終確認してから、アップロード。その作業を四曲分。すべて完了したのは、文化祭の二日前だった。  その間、僕は迷ったけれど、文化祭の招待券を家族に渡し、自分たちがステージで自作曲を演奏すると伝えた。趣味で楽曲を作っていることくらいはさすがに気づいていたと思うが、両親は僕のことを自分から人前に出たり、目立ったりするようなタイプではないと認識していただろう。すこし意外そうな顔をしていたが、「見に行くね」と約束してくれた。  それを彼に話したところ、彼も実家の家族に声をかけたと言っていた。(誘わなかったらあとで怒られるらしい。)  文化祭の直前まで忙しかったのは、僕にとっては助かった。その日が近づくにつれて増していく胸の痛みをごまかしながらすごせたから。  僕はきっとこの時間が終わってほしくないんだろうな。  それくらい、彼との共作の日々は楽しくて、僕にとっては特別な半年間だった。  文化祭のあとには、受験、そして卒業が待っている。彼にはすでに多くの人から認められている仕事もあって、それは僕が目指すものとは違う。僕たちの道は同じにはならないだろう。  けれど、それでも、思わずにはいられなかった。  もし彼が望んでくれるなら、僕はまた彼と一緒に音楽を作りたい。  文化祭で歌を歌いたいという一つの目的が終わって、それでも彼は僕を必要としてくれるんだろうか。僕がその気持ちを彼に話せば、優しい彼はいいよと言ってくれるかもしれないけれど、僕が求めているのは、たぶんそうじゃない。  僕は、僕と音楽を作りたいと彼に思ってほしい。それはどうやったら叶うんだろうか。  わからなくて、どうしようもなくて、僕はこのときが過ぎていくのをただ見つめていることしかできなかった。    文化祭の二日前、音楽科の友人たちから「伊東も一緒に回る?」と誘われた。 「先約がある」と言って断ったら、「え、彼女? いつの間に!」とからかわれた。  いつもならげんなりしてしまうところだったが、そのときは、 「どっちかっていうと彼氏かな」と笑って返せた。  友人たちは、一瞬ぎょっとした顔をしていたが、 「相沢だよ」と僕がネタバレすると冗談と認識してくれたみたいで「なんだー」と大げさにため息をついて笑っていた。 「お前ら、そんなに仲よかったっけ?」  と聞かれて少し困ったけれど、 「まあまあ」  と適当に流しておいた。(文化祭のあとでたっぷりいじられた。)  前日。ステージの出演者はリハーサルがあった。(それ以外の三年生は自由登校、実行委員会や下級生は準備に追われていた。)  パソコン、歌とピアノ以外の音のデータ、アンプとスピーカーのチェック。マイクテスト。…問題はなさそうだ。  緊張感、期待感、達成感、そして、寂しさ。 「楽しみだね」  別れ際、彼はそういって笑顔で僕に手を振ったけれど、僕はどんな顔をしていたんだろう。  その夜。早めにベッドに入ったけれど、やっぱり眠れなくて、よくないと思いながらも、僕はスマホを開いた。  半年前、彼と連絡先を交換してからのメッセージのやりとりを、何とはなしに眺める。打ち合わせの日時や場所、楽曲についてのメモなど、事務的な内容がほとんどだ。  『もう寝た?』とか『緊張してる?』とか、送ってみようかなと思ったけれど、せっかく眠りについたところをスマホの音や光で起こしてしまったら悪いしな…、とか考えてしまって、結局できなかった。  眠りの気配が訪れそうにもない布団の中で、彼からメッセージが来たらいいのに、と思いながら、僕は目をつむった。

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