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10.菜月との出会い
大学の入学式から彼は目立っていた。高校では彼がいることがもう当たり前になっていたし、私立の芸高かつ特殊な学科の特性上、他にも芸能人がちらほらいたけれど、ここは一般的な国公立の大学で、背も高くてきれいな顔立ちの彼は、一人だけなんだか違うオーラを放っていた。
僕は目立ちたくないという気持ちもあって、高校のときのように学校ではあんまりしゃべらないような感じでいいかなと思っていたのに、前日にLINEのメッセージで連絡があって、入学式からそのあとの説明会まで彼と同行することになってしまった。
全学部の新入生が集まる入学式は大学の近くの会館を借りて開催され、そこからお昼をはさんで、それぞれの学部・学科で開催される説明会の会場に移動する。
入学式、移動、ランチ、移動と、彼と一緒にいると、あまりに人に見られるので、説明会の席に座るころには、僕はすでにぐったり気疲れしていた。
「ごめんね…」
席は決まっていないのに、高校の教室と同じように僕の前の席に座っている彼に謝られてしまったが、別に彼が悪いわけではないので、「いいよ」と返事する。
「みんな、すぐに慣れるよ」
彼が小憎たらしいくらいのきれいな顔であっけらかんと笑うから、
「そうだね…」
僕はそう言って苦笑いするしかなかった。
そうこうしている内に、大学職員らしき人が壇上に立ち、講義の登録の仕方、単位の仕組み等、説明を始めた。
僕たちが所属しているのは、人間科学部の表現学科。同学部には、他に心理学科、発達学科があるが、選択科目の外国語と、他の学部も合同になる一般教養の科目を除き、専門の講義を同じ教室で受けるのは、基本的に同じ学科の学生になる。
表現学科は、さらに映像表現コース、音楽表現コース、造形表現コース、身体表現コースに分かれている。前述したとおり、彼は映像表現コース、僕は音楽表現コースだ。
あらかたの説明が終わり、今日は解散となったところで、一人で彼に話しかけてくる強者が現れた。
「はじめまして。私、三原菜月っていうんだけど、君、俳優の相沢遥さん?」
大きな目に栗色のセミロングが似合う、すらっとした、快活な雰囲気の女の子だった。
「うん。はじめまして、三原さん」
彼の返答を聞いた周囲の学生が、なんだが騒がしくなる。朝からずっと感じている視線とざわめきに辟易して、
(あーうるさいなー)
と思っていたら、
「後ろの君は、友だち?」
まさかこっちに話がふられるとは思っていなくて、僕はたじろいだ。
「高校のクラスメイト」
僕にかわって、彼が答えてくれる。
「三原です。よろしくね」
「…伊東です」
「え! もしかして、いと…」
「三原さん」
彼の静かな声が、三原さんの言葉を遮った。
「奏のことはそっとしといてくれる?」
「あ、ごめん」
「俺は慣れてるけどね」
彼は席を立って、説明会の会場となっている大講義室を出るように僕と三原さんに促した。
廊下を少し歩くと、学舎の中庭に面した吹き抜け部分にちょっとした休憩スペースがあって、丸テーブルとチェアがいくつか設置されていた。彼はそこの一つに静かに座る。
彼に会うのは、高校の卒業式以来だった。中庭は新入生を歓迎するかのようによく手入れされていたけれど、ただの簡素な椅子に座っているだけなのに、久しぶりに見てもやっぱり絵になるな、なんて思う。
僕は三原さんに席をすすめて、僕自身も彼の隣の席に座った。
「二人とも、どこのコース? 私は造形」
「俺は映像」
「僕は音楽です」
こんなとき、なんとなく敬語になってしまう僕だった。
「さっきはごめんね。つい大声になっちゃって。私、ファンなんだ」
てっきり、相沢遥のファンなんだと思ったら、
「伊東奏さんの」
驚いた僕は、なぜか三原さんではなくて彼の顔を見てしまった。
「へ?」
「いや、俺に言われても」
「…僕のこと、知ってる…んですか?」
「知ってるよ! この辺の高校生なら、ってもう高校生じゃないけど、結構みんな知ってるんじゃない?」
「…そうなんですか…」
「YouTubeの再生数、すごいじゃん!」
「はぁ…」
僕の反応に三原さんは逆に驚いたみたいで、なぜか彼に向かって言った。
「伊東さん、なんていうか、イメージと違うね」
「まぁ、こういうやつなんで」
「なんか、相沢さん、伊東さんの彼氏みたい」
『はぁ?』
彼と僕の声が重なる。
それを聞いて、三原さんは控えめな色の口紅に彩られた口を大きくあけて笑った。
「ごめん、ごめん。君たち、面白いね」
まだ笑いの余韻を引きずりながら、三原さんは言葉を続けた。
「あのさ、私から話しかけたのって、別に芸能人と友だちになってやろうって気じゃないの。周りがうるさいから、単に早くはっきりさせちゃえって思っただけ。あと、私、女の子が好きだから、下心もないから、よろしくね」
突然のカミングアウトにも、さすがの彼はさらっと受け流した。
「そうなの。俺は女の子も好きだから、その気になったらよろしくね」
「ならないなー。どっちかっていうと、伊東さんの方がありよりのあり」
なぜかにらみ合う二人。
「あんまり過保護なのもよくないんじゃない」
「余計なお世話」
「そう? じゃあ、またね」
三原さんのカミングアウトを飲み込むのに時間がかかっていたから、最後の方の二人の会話は、僕には何のことかあまりわからなかったけれど、三原さんのパワーがすさまじいということと、それを嫌だとは思っていない自分には気付いていた。
受験生という肩書がなくなった彼に仕事のオファーは絶えないらしく、やれテレビドラマの主演が決まっただの、映画の撮影で海外に行くだの、大学の在学中のほとんどの間、彼は忙しそうな日々を送っていた。
これまで通っていた私立の芸術高校と違って、国公立の大学では、いくら仕事でも、出席や単位等の融通はきかないらしい。さすがの彼もうまくやりくりできなくて、単位を落とすこともあったが、どうにか留年は免れているみたいだった。
僕たちは所属するコースも違ったし、いつも一緒にいるわけではなかった。お互いに同じコース内の友人もできて、学内では基本的にはぞれぞれで過ごすことが多かった。
たまに一緒の講義のあとに学食で話したり、彼のスケジュールに余裕があればあの頃みたいに趣味の楽曲を共作したり、それをYouTubeのチャンネルにアップしたりした。
彼は映像表現コースで学んでいることを活かして、僕の楽曲に歌詞だけではなく映像をつけてくれることもあった。
彼が仕事に学業に精を出す一方で、僕は僕でありがたくも在学中にオファーをいただいて、いくつかの楽曲を作曲・編曲したり、ピアノ演奏で参加させてもらったりしていた。まだ数えるくらいの仕事しかなかったけれど、事務的、金銭的な処理は必要だったので、両親の所属する音楽事務所にゆかりのある会社と契約し、お世話になった。
彼との共作の楽曲についても、たまにCD化や演奏等のオファーがあったが、僕たちの意見は一貫しており、商業化は一切断っていた。示し合わせたわけでもないし、いちいち言葉になんてしない。けれど、たぶん僕たちはずっと同じように思っている。
二人の共作は、ただの趣味だからいい。仕事にしてしまえば、きっとどこかが違ってくる。何かが壊れてしまう。何の目的もいらない。他の誰にも触れられたくない。ただ彼と僕とで音楽をするだけ。それだけでいい。
三原菜月とは、あれ以来、僕たちのよき友人になっていた。僕たちは性格も所属するコースも違うから、共通の友人は彼女だけだった。
彼女は僕たちのことを『相沢さん』、『伊東さん』と呼んでいたが、ある日三人でランチしていたときに、
「私さ、自分が性的マイノリティだから、なるべく『さん』付けで呼ぶようにしてるんだけど、もう長くて面倒だから、呼び捨てでいい?」
と言われて、突然、呼び方が『遥』と『奏』になった。僕たちも彼女を『菜月』と呼ぶようになった。
菜月は『性的マイノリティ』という言葉を何気ないように口にしていたけれど、自分を『マイノリティ』と分類しなければならないことを、どのように思っているんだろう。
大学の講義でも、人の多様性やLGBTQ+についての話を聞くことがある。大多数の他人と自分をわざわ区別したくはなかったし、あまり考えないようにしてきたけれど、やはり自分が『マイノリティ』にあたるんだろうということは、ずいぶんと前から自覚していた。
これまで生きてきて、僕は自分の性別に違和感はなかったけれど、異性にも同性にも恋をしたことはないし、そもそも恋がどんなものかもよくわからない。はやりの歌や物語にあふれているような、同年代の友人たちが楽しそうに話しているような、好きな人と付き合いたい、キスしたい、セックスしたい、なんて世界は、僕とは遠いところにある。
分類するなら、『アセクシャル(他者に性愛的に惹かれない)』とか『アロマンティック(他者に恋愛的に惹かれない)』とかになるのだろうけれど、その言葉が自分にぴったりなのかと言われると、まだよくわからない。
ただ、自分のような人を表現する概念がきちんと存在して、その概念に該当する人が世の中にいるということに、安心する気持ちはあった。けれどその一方で、その言葉を自分に当てはめてしまうことへの不安や怖さみたいなものも同時に感じていた。
葉月は、相手を性別に関わらないように『さん』付けで呼ぶようにしているとか、一応有名人らしい僕たちが早くなじめるように声をかけてくれるとか、大多数に入れない人への配慮にかけては、僕なんかは足元にも及ばない。(普段の会話では、ざっくばらんと言うか、ずけずけと言うか、若干無神経なところもあったけれど、それがゆるされる愛嬌を彼女は持っていた。)
それはきっと彼女が自身のマイノリティ性を自認し、咀嚼し、受け入れるのにかかった過程を物語っているのだろうと、僕には感じられた。
僕は、そんな菜月をひそかに尊敬していたし、好意を持っていたが、それはやはり恋ではなかったし、菜月も出会い頭に宣言したとおり、彼や僕に恋心を抱くことはないようだった。
僕たちはタイミングが合えばたまに学食で食事をしたり、空き時間を一緒にすごしたりした。三人のときもあったし、僕と菜月の二人のときや、菜月の彼女がそこに加わるときもあった。
彼も高校時代と同様にときどき学内外の女の子と付き合っているようだったが、彼が僕たちの前に彼女を連れてくることはなく、菜月はそれを「面白くない~」と言っていた。(もちろん僕はむしろ安心していた。)
誰にでもさらっとカミングアウトして、たいていいつも彼女がいて、コミュニケーションの達人の三原菜月は、一年生が終わるころには、学内で僕たちよりも有名人になっていたかもしれない。
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