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19.普通ではない結婚と普通の幸せ

 翌年の秋、話があると言って菜月から呼び出されたのは、いつものリハビリ会とはちょっと趣が異なる、それこそお見合いみたいな雰囲気のお店だった。  予約の名前を告げて、和室の個室に通されると、菜月とりくが正座して僕を待ち構えていた。 「え、どうしたの?」  僕は何事かと思って聞いてみたけれど、とりあえず食事を始めようと言われて、少したじろぎながらも勧められるままに食前酒を一口飲んだ。  なのに、二人は食前酒にも先付にも手を付けようとしない。  菜月はりくの顔を見て、二人で頷き合ってから、 「折り入ってお願いがあります」  その口から聞いたことのないような敬語で話し始めた。 「どうしたの、改まって?」 「私たち、これからずっと一緒に生きていきたいなって話してるんです」 「そっか。それはよかったね。おめでとう」  パートナー制度もしくは養子縁組を結ぶという報告かな、と推測したら、 「それでね、できたら、子どもを育てたいって思ってるの」  思わぬところに話がいった。  同性カップルが子どもを持つことは、日本ではまだめずらしいが、ないことではない。 「大変かもしれないけど、応援するよ」  僕の言葉を聞いて、二人はまた何かを確認するように視線を交わした。そして、改めて姿勢を正すと、正座の膝の上で両手を握りしめ、僕の目をまっすぐに見て言った。 「その、突然で驚くと思うんだけど、私たち、奏の子どもが欲しいんです」 「…へぇ!?」  思わず、すっとんきょうな声が出た。(すっとんきょうという言葉を人生で初めて使うくらいに驚いた。) 「もちろん、奏がいやじゃなかったら」 「…ちょっと今、気が動転してて、いやとかいやじゃないとか、そんな話じゃないんですけど…」  僕は食前酒を飲み干して、どうにか気持ちを落ち着かせようとしたけれど、そんなことではどうにもならない。 「ですよねー…」  菜月も言い出せてほっとしたのか、やっと食前酒に口を付けて、大きくため息をついた。 「とりあえず、食べようよ。僕一人で食べても美味しくないよ」  僕はひとまず菜月とりくに食事を勧めて、自分も箸と口を動かしながら、どうしたものかと考えてみた。けれど、突然のことで全くイメージがわかない。  えーと、僕の子どもが欲しいって、それは、つまり、どういうことなんだ。たぶん、僕にいわゆる『同性カップルの代理父』になってほしい、ということなんだろう。そこまでは、うん、どうにか理解できる。  それで、まあ、それはそうとして、具体的には、どうするんだ。菜月かりくと僕が子どもを作るってことになるんだろうか。いや、りくはたぶん難しいだろうから、菜月と僕の子どもになるのか。そしたら、要するに、子どもを作るための行為を、つまりはセックスを…。 (…………)  そこまで考えたとき、彼の顔が頭をよぎって、僕の思考は停止した。 「…大丈夫?」  どうやら、思考だけじゃなくて、箸と口も止まっていたらしい。菜月とりくが心配そうにこちらを見ていて、僕は慌てて我に返った。 「ごめん、何か頭が追いつかなくて…」  どうにか取り繕って、ひとまず、どのようなことを想定しているのか、二人に聞いてみると、 「資料はいろいろ用意してるから、持って帰って検討してくれたら嬉しいんだけど、とりあえず、子どもを作るための方法としては…」  あらかじめ準備していたらしいURLをLINEで送ってくれた。  そのリンク先には、シリンジ法という性交渉せずに妊娠するための方法が紹介されていた。要は、スポイトのようなもので精液を女性の体内に注入するようだ。(ちなみに、そのページの趣旨としては、様々な事情で性交渉が難しい夫婦のために、妊活の一つの手段として紹介していた。)  この方法で菜月が僕の子どもを妊娠、出産したいということらしい。僕も菜月もお互いに性的な行為は望まないから、たしかにそれが現実的な手段だろう。  正直に言うと、妊活のために一人で精液を出さないといけないことを考えると、ちょっと複雑な気持ちもあった。けれど、菜月とりくがよくよく考えて僕に相談しに来たであろうことは想像できたし、二人の未来のためなら、それくらいの苦労は甘んじて受け入れたいと思えた。 「僕でよければ、前向きに検討したいんだけど、その、法的に僕は子どもの父親になるの?」 「そこは、なるべく奏の希望にあわせたいんですけど、もしよろしければ…」  また菜月の口調が改まったので、今度は何が来るのかと僕も姿勢を正して身構えたら、 「…結婚…しませんか?」 「…へぇ!?」  また予想の上の内容が飛んできて、本日二度目のすっとんきょうな声が出た。(すっとんきょうという言葉を二回も使うなんて、たぶん人生でこの日限りだろう。) 「それって、菜月と僕がってことですか?」  なぜか僕まで敬語になっている。  菜月が言うに、もしシリンジ法でうまくいかずに医療的な必要が発生した場合や、妊活がうまくいったとしてもその後の出産、子どもの認知等を考えると、できれば結婚した方が都合がいいらしい。 「事務的な話はそうかもしれないけど、りくはそれでいいの?」  基本的に異性と婚姻関係にあったらパートナー制度は結べないし、何より、りくの気持ちとして、菜月と僕が結婚することにわだかまりはないのだろうか。  僕が心配して問いかけると、あらかじめ考えてきていたのだろう、りくはまっすぐ僕の方を見て自分の思いを話してくれた。 「…えと、菜月ちゃんとも話したんですけど、今のパートナー制度って、なんか納得できなくて…。ちゃんと法的な仕組みが整うか、それが無理なら、制度がもっと実態を伴ったものになるまで、私たちの関係は今のままでいいと思ってます」  菜月はりくの顔をみて頷くと、僕の方に向き直って、言葉を続けた。 「もちろん、結婚しなくてもいいし、子どもを認知する、しないも、奏の希望に合わせたい。でもね、それでも結婚しようって、まず言いたかったの」 「それは、どうして?」 「奏、前に、もう誰かと付き合ったり結婚したりしないと思うって話してくれたでしょ」 「うん」 「アセク同士の結婚とかもあるけど、奏の性格上、そういう出会いの場所に行かなさそうだし」  僕と同じような性的指向の人同士で結婚したり、グループで疑似的な家族になったりする生き方もあるらしいと聞いていた。でも、僕にとっては現実味を帯びなかったし、なんだか遠い世界の話のような気がした。 「それはそうだね」  僕のことをよくわかってくれているんだなぁと思って、僕は苦笑してそれを認めた。 「だから、りくと私が子どもを育てたいっていうのが、ことの発端ではあるんだけど、」  そこで一旦言葉を止めて、菜月はまたりくの方を見た。二人で頷き合って僕の方に向き直ってから、菜月が続ける。 「私たち、奏の家族にもなりたいんだ」 「……」  僕は、何も言えず、そっと目を伏せた。 『家族になる』  その言葉を菜月の口から聞いたとき、僕の頭の中を支配していたのは、目の前の二人ではなく、三年前のあの日の甘くて苦い思いだった。  彼女と別れ、もう恋や結婚と決別すると決めたことを告げた日、彼は言ってくれた。『恋じゃなくても一緒にいる道』の相手に、『家族』みたいな存在になれないか、と。僕は、どうしても頷けなかった。 「奏、遥が結婚したり、死んじゃったりしたら、どうするの?」  僕の追想を見透かしたみたいに菜月にそう言われて、 「何? 突然…」  僕は内心の焦りを笑ってごまかそうとした。 「まじめな話」  けれど、菜月には通用しないみたいで、僕はしかたなく言葉を続けた。 「…死んじゃったりは考えてなかったけど、結婚はいつかそうなるかなって思ってるよ」 「想像してるのと、実際においてかれるのは、違うよ」 「……」  『おいてかれる』という言葉は、僕の胸を深くえぐった。この先、自分が一般的な家庭を築くことはないだろうことも、いつか彼が結婚するだろうことも、覚悟しているはずなのに。 「世界に自分と遥しかいないって思ってない?」 「そんなわけ、ないよ」  菜月のセリフを笑い飛ばすはずの自分の声は、小さく、かすれていた。 「私だって、りくだって、奏のことが大好きで、大切なんだよ。だから、奏がつらいときに、支えてあげられるように、家族になりたいって思ったんだ」  僕はゆっくりと顔を上げて、菜月とりくの顔を交互に見た。二人のまなざしは、強く、優しかった。僕がアセクシャルであることを受け入れてくれたときの両親の顔を思い出した。  きっと二人は僕を思って一生懸命考えてくれたんだろう。僕もそんな二人の力になってあげたい。そう自然と思えた。 「返事は急がないから、ゆっくり考えてくれたら嬉しいです」  二人はそう言って、ひとまず話を締めくくった。よかったら参考にと、本や資料の入った紙袋を渡してくれて、あとはいつもどおり、三人で料理と会話を楽しんだ。  三人ともどこかぎこちなくて、それでもそのぎこちなさを笑い合えるのが、矛盾しているみたいだけれど、心地よかった。  これまでも二人は僕にとって大切な人だったけれど、これからは僕の“家族”になるんだな。そう思った。  その翌日から、同性カップルの子育てや代理父、養子縁組や各自治体のパートナー制度、人工授精や妊娠、出産等について、僕は時間の限りに調べていった。二人にもらった資料だけでなく、参考になりそうな本やインターネットの記事なんかも、片っ端から読んで、疑問に思ったことや、問題になりそうなこと、これからすべきことを、一つ一つメモしていった。  どうすれば、菜月とりくが、未来の僕たちの子どもが、幸せに暮らしていけるだろうか。ありったけの頭を使って想像した。  自分が結婚して、父親になるなんて、そんな未来はもう来ないと思っていた。もちろん、僕はあくまで代理父で、一般的なそれとは大きく異なるだろう。けれど、それでも、二人は僕の“家族”になりたいと言って、その未来をくれた。 「奏のことが大好きで、大切なんだよ。だから、奏がつらいときに、支えてあげられるように、家族になりたいって思ったんだ」  二人が僕にくれた言葉は、そっくりそのまま僕から二人への気持ちだった。  僕は僕の家族にせいいっぱいのことをしてあげたい。もちろん、菜月とりくの生活に介入するつもりもない。ただ、近くで見守っていたい。必要なときに、すぐに駆け付けてあげられるくらいの、そんな距離で。  『僕は二人のことが大好きで、大切だから。二人がつらいときに、支えてあげられるように。』    調べられるだけ調べて、考えられるだけ考えて、やっと自分なりに納得できたころ、この間の話がしたいと二人に声をかけた。菜月とりくは早速日程を調整して、僕の強い要望により、この間よりカジュアルなお店を予約してくれた。  席について、まず、ぜひ協力したいということを話した。僕の様子から、おそらく悪い返事ではないだろうと察していたと思うが、それでも二人はほっとしたようにお互いを見てから、 「…ありがとう。嬉しいです」  僕にそうお礼を言って、頭を下げた。  ひとまず肩の荷が下りたというか、胸をなでおろすみたいに三人で笑い合って、新しい人生の門出に乾杯した。二人の笑顔を見て、ただよかったと思えることが嬉しかった。代理父に僕を選んでくれて、家族になりたいと言ってくれて、お礼を言うのはこちらの方かもしれないな、と思った。  すこしお酒が入ったころ、菜月がぽつりと漏らした。 「はぁ、遥にいつ話そう…。なんか、怖いわ…」  本当にげんなりしたように言うので、僕は苦笑した。 「僕から話すよ」 「絶対、『菜月と結婚するくらいなら俺と結婚して』って言われるよ」 「言いそうだね…」  菜月の声真似がおかしくて、僕はりくと一緒に笑ったけれど、その裏で胸の奥がちくりと痛んだ。  そのとき、彼はどう思うだろう。喜ぶだろうか。悲しむだろうか。それとも、安心するだろうか。 『俺じゃ、だめなの?』  不意に、あの日の彼の声が耳をかすめた。甘い声。優しい温もり。…胸が苦しくなる。  三年前のあの日のことは、誰にも話すつもりなんてなかった。それなのに、 「…でも、似たような話、前にしたんだ」  吐き出さないと息ができないみたいに、勝手に言葉がこぼれだしていた。 「…それ、聞いてもいいの?」  めずらしく戸惑うように菜月が僕に問いかけた。りくも少し心配そうにこちらを見ていた。  頭の隅の冷静な自分がやめておいたほうがいいと言っていたのに、僕の口はもう止まらなかった。 「初めてりくと会ったときには、もう別れてから一年くらい経ってたかな。お互いに恋愛感情はなかったんだけど、付き合ってたひとがいてね…」  彼女のことは、当時、菜月には報告していたが、りくにも経緯がわかるように簡単に説明した。僕はなるべくたんたんと言葉を並べるように気を付けた。二人がただ静かに聞いてくれるのがいたたまれなくて、僕はわざと軽いしぐさでグラスを傾けた。 「…それで、そのことを悠人に話したら、恋愛じゃなくてもいいなら俺はどう、って」 「…それって…」  りくはためらいがちに小さくつぶやいて、 「…もう、プロポーズなんじゃ…」  菜月と僕の顔を交互にちらりと見た。菜月はただ静かな声で話を急かした。 「それで、奏はどうしたの」 「…今のままがいいって、答えたよ」 「なんで?」  菜月の顔に表情はなかった。けれど、その下には、苛立ち、痛み、寂しさ、悔しさ…、そんな感情が押し隠されているような気がした。それは、誰のものだったんだろう。  僕はうつむいてお酒のグラスを見つめた。あの日のカクテルを思い出した。 「悠人は、寂しがりでしょ。自分が一人だと寂しいから、僕もそうだと思って、言ってくれたんだよ」  彼女と別れて、両親にカミングアウトして、僕はもうこのまま一人で生きていくんだろうな、そう漠然と思っていた。  けれど、これからは菜月とりくが僕の家族になる。僕は一人ではなくなる。  きっと彼は安心する。安心して、もう僕のことなんて気にせずに、自分の道を歩いて行ける。僕と家族になろうなんて、言わなくてよくなる。  …言ってくれなくなる。 「それに、」  胸の奥の痛みをごまかすように、僕は言葉を続ける。 「僕は、悠人に何もあげられない。奪うばっかりだから」 『全部、引き換えにしてもいい』  彼はそう言ったけれど、それは逆に言うと、引き換えにしなければならないものがあるということだ。  彼の未来。結婚、子ども、彼が得られるであろう幸せ。それは、僕にとっては、あまりにも大きすぎる。代わりに僕が彼にあげられるものなんて、もう何もない。僕のすべてをあげたって、その引き換えになんてならないから。 「…本当に、そう思ってんの?」  問い詰める菜月の声は、僕を責めるようだった。僕はそれを望んでいたのかもしれないと思った。 「奪うって、何を? それは、本当に遥の欲しいもの? 遥はただ奏と…」 「…奏さんは、」  強い口調でそこまで言いかけた菜月の言葉をりくが遮った。 「遥さんに幸せになってほしいんだね」  優しいりくの言葉の裏に『本当にそれが遥さんの幸せなの?』という声が聞こえたような気がしたのは、僕の後ろめたさのせいだろうか。 「…幸せにはいろんな形があるって、私たちが一番わかってるのに…」  苦しそうにそう言う菜月の目は、僕を憐れんでいるようだった。 「…だからこそ、だよ…」  僕たちは、マイノリティだ。今しがた、一般的ではない形で結婚して、子どもをつくり、家族になることを約束したばかりだ。  けれど、 『結婚したんだ』 『今度、子どもが産まれるんだ』  多くの人がそうしているように、軽くは口に出せないだろう。  そこには、様々な説明が伴うし、おそらく、しなくていい苦労や、受けなくてもいい言葉を、覚悟しなければならない。  それでも、僕たちには僕たちの幸せがあると信じて、その道を選択した。  それを恥じるつもりはない。  けれど、大切な人にわざわざその道を選んでほしいとは思わない。それ以外に幸せになれる道があるのなら、なおさらだ。 「好きな人に『普通の幸せ』を手に入れて欲しいと思うのは、『普通』じゃない?」  僕はうつむいてそう言った。菜月の顔も、りくの顔も、見られなかった。  『普通』ではない僕が、大切な人に『普通』を押し付けるなんて、ばかみたいだろうか。意味のないことだろうか。  まるで、自己否定だ。菜月もりくも、僕のことを怒っていい。  いっそ、糾弾して、断罪してほしかった。  僕は僕の『普通』ではない人生に彼を引きずり込む勇気がないだけだ。  それなのに、その手を離せずにいる。  そんなこと、とっくに気づいている。  けれど、そんな僕に、菜月は、家族を慰めるみたいな、優しい声で言った。 「…奏が『普通』って言葉つかうの、初めて聞いたよ」

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