11 / 12
10 若君の過去
しばらくしてあと片付けを終えた俊一が寝室に戻ってきた。柊の隣に腰を下ろすと、その近さに心臓がどくんと跳ねた。すぐ隣に感じる体温に、胸の奥がじわりと熱を帯びる。
「いや〜、雪、だいぶ積もったね。明日は臨時休業せんと」
「……ごめんなさい。雪かき、手伝えなくて」
「何言うてるの。疲れてる恋人にそんな酷なことさせられんよ」
そう言って、南はそっと柊の肩を抱き寄せた。
「それに僕、雪って嫌いやないんよ」
ふいに、遠くを見つめながら南が言った。
「そりゃ、雪かきはしんどいけど。……でも、全部隠してくれるみたいやろ。汚いもんも、嫌なことも、まっさらに覆ってくれる。なんか、安心するんよね」
その言葉に、柊は少しだけ迷ってから口を開いた。
「……あの、聞いていいかわからないんですけど。ここに来た理由って、ご実家のことと関係あるんですか?」
前回は取材者としての立場があったけれど、今は違う。恋人として、彼の過去にも触れたい。もっと知りたいと思った。
「……あんまり面白い話やないけどな」
そう前置きしながら、南はぽつぽつと語りはじめた。
「取材でも答えたとおり、実家は老舗の和菓子屋。跡取りとしてずっと修業してて……父さんもじいちゃんも厳しかったけど、愛情持って教えてくれたし辛くなかったよ。家族も、店も、一緒に働く職人さんたちも、京都の街も全部好きやった」
声は落ち着いていたけれど、その目には過去を懐かしむような淡い光が浮かんでいた。
「でもある日、縁談が来てね。今時、珍しいやんな」
「……」
「家業を継ぐことが自分の役目だと思ってたから、結婚も……するつもりやった。恋愛対象が男でも、家の歴史の中で“跡取り”をつくる役割を果たせば、それでええて。割り切って、生きていけるんやないかって思ってた」
小さく息を吐いて、南は続ける。
「でも、実際に縁談が進み始めたら、思ってたよりもしんどかった。……死ぬまで自分に嘘ついて生きるってことが、どれほど辛いかもわかったし、それ以上に……相手の想いに応えられずに傷つけることが、どうしようもなく怖かった」
柊はそっと彼の手を握った。そのぬくもりに、言葉以上の想いを込めて。
「そんなとき、気づいてくれたのが弟で。弟は一緒に修行をした戦友みたいな感じなん。耐えきれなくなって何もかも話したら、『僕が継ぐから、兄さんは自由に生きや』って言ってくれて……」
南は、少しだけ笑った。
「もしかしたら、跡取りになるチャンスを狙ってたのかもしれんけどな。真意はわからん。……でも、その言葉に甘えて、僕は逃げるように京都を出た。できるだけ遠くへ行きたくて……ここに来たんよ」
「……本当は、菓子作りもスッパリやめようと思って違う仕事を探した。でも、菓子作りしかできないから仕事も見つからなくて。どうにかありつけた夜勤の工場で働いてた。でも、北海道の小豆に出会って……素材の素晴らしさに惹かれて、また菓子を作りたいと思えた。少しずつやけど応援してくれる人たちにも出会えて、気づけば店を持つことができた」
静かに語られるその道のりは、決して平坦ではなかったはずなのに、南の語り口はどこまでも穏やかだった。
「……ご実家の方とは」
「会うてない。会う資格、ないと思ってる。でも……もし許される日が来たら、僕が作った菓子を、食べてほしい」
寂しそうに笑う彼を前に、柊は言葉を探して――しっかりと目を見つめた。
「俊一さん、僕……俊一さんのことすごいと思います。跡取りをつくることはできなかったとしても、お店の味と想いを、俊一さんなりに伝えてるじゃないですか。ここで」
そして、手を握ったまま、そっと告げる。
「もしこの先ご実家の方と会えなくても……僕が……僕が、俊一さんの新しい家族になりますから」
言葉にした瞬間、柊は顔を赤らめて視線を落とした。恋人になったばかりで「家族」なんて――我ながら思い切ったことを言ったと思う。でも、それは本心だった。
俊一は目を見開いたまましばらく何も言わなかった。ただ、ぎゅっと手を握り返してくれた。
「……今も時々、悩むんよ。自分の選んだ道が正しかったんかって」
一呼吸おいて、そっと言った。
「でも……この地で、大切な……ひいちゃんに出会えた。それだけで、もう大正解やったと思う」
言葉のあと、俊一そっと柊を抱きしめた。柊もまた、その腕を確かめるように抱き返す。あたたかくて、やわらかくて、ひとつの安心に包まれていく。
窓の向こうでは、また雪が降り始めていた。静かに、やさしく、白が夜を満たしてゆく。
まるで二人の上に、そっと祝福を降らせるように。
ともだちにシェアしよう!

