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第4話
壁にかかった時計を見ると、もう二十ニ時近い。こんな時間にひとりで帰らせることが、逆に不安になってきた。
「な、なぁ。タクシー呼ぼうか? 金は俺が出すから」
「大丈夫だよ」
玄関で靴を履く帷に、しどろもどろに話しかける。
不思議だ。何で俺、こんな必死に……彼を引き止めようとしてるんだろう。
よく分からないけど、これで完全にお別れになるのが嫌なんだ。もっと彼と話したい。もっと知りたい、と思ってる。
いっそ泊まっていけば?
なんてことを、平気で考えてる。だがさすがに引かれそうで、口にすることはできなかった。
ドアを開けて、帷と一緒に外へ出る。夜とはいえ、やはり真夏。生温かい風が吹く熱帯夜だった。
「ここでいいよ。もう家入りな」
「うん……」
「心配してるなぁ。ハムスターみたい」
「ハム……!?」
どういう例えなのか分からず、硬直する。
そんな俺を見て、帷は口元を押さえ、肩を揺らした。こっちは本気で心配してるのに、何だか温度差が激しい。
思わず頬を膨らまし、彼に抗議した。
「心配すんのは普通だろ! 昼間には死んだ顔してる奴拾ったんだから!」
「あはは、そりゃそうか。はー……こんな笑ったの久しぶり」
帷はポケットに手を入れ、静かに空を見上げる。そしてゆっくり俺の方に近付き、秘密を打ち明けるように囁いた。
「でも、あんま知らない奴に入れ込むなよ。俺からしたら、お前の方がずっと危なっかしい」
「……」
割れ物に触れるかのように、そっと頬を撫でられる。指先が掠めた程度なのに、チリチリと痛んだ。
いや、この痛みは胸の方かもしれない。
「大丈夫だよ。……お前がいるうちは、守ってくれるんだろ?」
「ん? ……あぁ、もちろん」
「じゃあ頼む」
家の中からメモの切れ端を取ってきて、迎は自身の電話番号を書いた。それを帷の上着のポケットに突っ込む。
「教習所、まだ通うんだろ? 来る時は俺の家に遊びに来いよ。スマホ充電できるし、お菓子も飲み物もタダだから」
「ふはっ。休憩所ってこと?」
「そう」
即答すると、帷はそうだなー、と言って瞼を伏せた。
また会いたい。ただそれだけの気持ちで、繋ぎ止めようとしている。
俺はなんて悪い奴なんだ。
自己嫌悪に苛まれながら、外廊下の手すりに手をかける。
怖々しながら反応を待っていると、帷は鞄から取り出した眼鏡を掛け、笑った。
「オーケー。また来る。……ついでに、教習所に行くよ」
「逆だろ? 教習所ついでに来るんだろ」
「あはは、そうだな。間違えた」
メモを入れた方のポケットに手を入れ、帷は階段を降りていく。俺はその場に留まって、上から彼を覗き込んだ。
「またな、帷。おやすみ」
「ん。……おやすみ」
軽く手を振り、彼は去っていった。姿が見えなくなった後もしばらく竚んで、夏の暑さを感じていた。
いや、本当に熱い。
でも帷がいなくなってから、ようやく息を吸うことができた。
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