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第7話

不思議だ。帷と見つめ合うと、胸が熱くなる。 何も考えたくないと思ってしまう。時を止めて、このまま、ただぼんやり、肩を並べていたくなる。 けどそれはとても危なっかしくて、許されないことのように感じた。 「……でも、言いたくないことは言わなくていいよ」 感電してしまったみたいに、右手が痺れる。箸を持つのも躊躇っていると、帷は焼きナスを菜箸で取り、俺の前に差し出した。 「本当に。どうしても聞き出したいことは、どんな手を使っても聞き出すから」 「ちょ。怖いぞ」 「あははっ。ほら、口開けて」 仕方なしに口を開ける。はからずも「あーん」が成立してしまい、顔が熱くなった。 男同士なのになぁ。変なの。 完璧なのにどこか儚い。帷という青年の一面が垣間見えた夜だった。 俺も彼に言えないことがある。見せられない顔がある。 ただ、それでも一緒にいたい。 「帷」 食事を終えて洗い物をした。俺が皿を洗って、帷が拭く。その繰り返しの中、思い切って声を振り絞った。 「また。いや、……まだまだ、お前の作った飯が食べたい」 完全にいち個人の願望。言ってから、しまった、と焦燥感に襲われた。 食費は多めに出してるけど、いくらなんでも身勝手だよな。 内心頭を抱え、うわー、帰りたい!と叫びたくなった(どこに?)。 「すみません。今言ったこと忘れてください……」 「いいよ。連絡くれたら、教習なくても作りに来る」 は。 聞き間違いかと思った。危うく皿も落としかけるところで、慌てて蛇口の水を止める。 隣を見ると帷はいつもの真顔のまま、俺のずり落ちてる袖をまくった。 「お前の食べっぷり見てると、作り甲斐あるしな」 「ほんと? め、迷惑じゃない?」 「迷惑なら、こんな何度も来てないって。むしろ俺がお邪魔してる方が迷惑だろ」 「んなわけないっ! 嬉しいよ!」 恥ずかしかったけど、全力で叫んだ。帷と一緒にいたいから、ジェスチャーまで交え、無我夢中で続ける。 「俺この家に引っ越してから、ずっと独りだったんだ。いつも疲れてるから、誰かと遊びに行ったり、自分から関わる気にもなれなくて……久しぶりに話したいと思ったのが、帷なんだよ」 本当です、と付け足して俯く。 意思表明のはずが謝罪会見みたいになってしまい、自分でも謎だった。 「だから、その……っ」 「そ、っか。よくわかったよ。ありがとな」 頭の上に、ふわっと何かが置かれる。気付けば、帷に優しく頭を撫でられていた。 「ここに来ていいってことは分かった」 「う……ん」 来ていい。っていうか、来てほしい。 なんてことは言えるわけもなく。……俺自身、ここまで帷に執着する理由が分からなかった。 でも帷は、俺の願いを汲み取ってくれた。誰よりも正確に。誰よりも優しく。 陽だまりのような存在だ。 帰る際、帷はまた色々なところをチェックして、俺の方に向いた。 「じゃあな。ちゃんと戸締まりして、暑いから冷房つけて、でも腹出さないように気をつけて」 「オケオケ、承知した。お前も、帰り気をつけろよ? ……頼むから」 結局一緒に外へ出て、階段を降りる。 別れる時は必要以上に心配してしまう。これはもう一生治らないかもしれない。 相手が帷じゃなかったとしても。誰かを送り出す時は思い出してしまうのだ。 ─────行ってきますと言って、帰ってこなかったひとを。 「……あぁ。最近は物騒だからな」 俺がしていた心配とは別だけど、帷は腑に落ちたように頷いた。 「でも、ありがと。またな」 「うん。また……」 軽く手を振る。帷は歩き出し、歩道に曲がる道へ向かった。 「……」 彼がどんどん遠くなる。 その光景を眺めていたら、気まで遠くなりそうだった。 怖いぐらい巨大な闇にのまれて、音も光も奪われる。 怖い。 今すぐ部屋の中に逃げ込みたかったけど、そんな気力もなくて。崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。 大学生にもなって何してんだろ、俺。 膝を抱えて俯いたとき、目の前の砂利を踏む音が聞こえた。 何だ? 確認しようと顔を上げるも、寸前で止められる。 立ち上がることはもちろん、身動きもできない。小さく縮こまっていた俺を上から強い力で抱き締めたのは─────帰ったはずの帷だった。 「と、帷? 何で戻って」 「ああ。……何でだろ」 彼も分からないのか、耳元で不思議そうに呟く。 そして俺の頭を優しく撫で、掠れた声で笑った。 「でも……お前、今にも泣きそうな顔してたから」 無人の空き地で、互いにしゃがみ込んでいる。人が通りかかったら不審に思われそうだけど、気にする余裕はなかった。 「……っ」 最悪だ。泣くつもりなんて全然なかったのに……帷が戻ってきてくれたことが嬉しくて、涙が零れた。 「よく分かんないけど。大丈夫だよ、迎」 泣き顔を見られたくなくて、彼の胸に顔をうずめる。結局すがりつくような形になってしまったけど、帷は何も言わずに抱き寄せてくれた。 無理やり顔を見ようとしないし、どうしたのか訊くこともない。ただ優しく背中を叩き、「大丈夫」と繰り返した。 俺もその優しさに甘えて、子どもみたいに泣いてしまった。 こんなのおかしい。あり得ない。 ぐだぐだながら何とかなってたはずなのに。帷がいなくなった途端、「寂しい」なんて。 「……落ち着いた?」 涙は出尽くした。帷の胸元は俺のせいでぬれてしまっている。 申し訳なさに押し潰されながら頷くと、彼はホッとしたように笑った。 「良かった。……部屋まで一緒に行くから。立てるか?」 差し出された手を取って、彼と部屋まで戻った。気まずくて恥ずかしくて発狂しそうだったけど……俺はもう、この時既に理性が飛んでたんだろう。 頭がおかしくなっていた。 玄関に入ってすぐドアの鍵をかけ、帷の手を握る。 「ごめん。もうちょっとだけ……こうさせて」

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