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第10話

「はぁ……」 暑い。 それなりに寝て、食べて、大学に行って。いつも通りの毎日を送ってるのに、気温が高いだけで疲れが倍増する。 帷幸耶は自動車学校の窓から、風に吹かれる雲を眺めた。 学科教習は耳だけ集中していればいいから気楽だ。教官の話に合わせてペンを動かして、大切な箇所に線を引く。 答えがあることは優しい。答えがない問題について考えるのは頭が痛い。 というか、まただ。暇さえあれば彼のことを考えている。 いつも明るくて、無邪気に笑う彼のことを。 こんな気持ちになったのは初めてだ。そもそも男に対して“可愛い”と思うなんて。 でもいい加減、認めざるを得ない。 「お疲れ様です、帷さん。次はとうとう仮免許ですね」 「ありがとうございます」 次の教習を入れる為、窓口で手続きした。受付の女性はてきぱきとパソコンに入力していたが、ふと思い出したようにこちらを向いた。 「そういえば、本当に良かったです。以前学校をやめるかもしれないと仰っていたから」 「ええ……」 そう。本当は、教習所に通うのをやめるつもりだった。 バイトを入れて、大学に通いながら稼ぎたい。一度払った入学金は勿体ないが、教習所にかける時間も勿体なかった。悩みに悩んで、やめる決断をしたのだ。 しかしそうしなかった。 理由は、自分を取り巻く世界が変わったからだ。 「では、頑張ってくださいね」 「はい。……あ」 荷物をまとめて立ち上がったが、つい気になって、女性に尋ねた。 「やっぱり、卒業しないでやめる人って結構います?」 「え? そうですね。一定数いらっしゃいますよ。それぞれご事情もありますし」 「……俺みたいに、何ヶ月も来なくなる人も」 「えぇ。帷さんと同じ大学生で、楽しそうに来てたのに来なくなった子もいて……また来てくれると良いんだけど」 彼女はなにか思い出したように眉を下げ、ため息をついた。 ……心配だけど、あくまで仕事上の関係。深く踏み込むことはできないんだろう。 もう一度だけ頭を下げ、教習所を後にした。ほとんどの生徒は最寄り駅に向かう送迎バスに乗るが、帷は門を抜けてゆっくり歩いた。 向かうは、教習所の目の前にあるアパート。その二階にある部屋。 早く会いたい。 本当は階段を駆け上がりたいぐらいだったが、逸る心を抑え、帷は深呼吸した。 ◇ 「お。帷~、おかえり」 「……ただいま?」 「あはは。疑問形なんだな」 夜の十九時過ぎ。 いつものように教習所帰りの帷に、迎はミネラルウォーターを手渡した。 もはや、帷が部屋にいない方が違和感を覚える。互いにだらだらして、黙々と勉強して、夕食を食べる。 そして電気を消し、静寂に抱かれて眠る。 ただそれだけの関係だ。しかし赤の他人と言い切るには奇妙な絆がある。 迎は帷がつくった鶏大根を完食し、手を合わせた。 「ご馳走さまでした。やー、ぱっと作ってこんなに味が染みてんの、マジですごいよ」 「作り方教えるから、今度作ってみろよ」 「うーん……できるかなぁ」 「できるよ。やったことないから不安なだけだ」 二人で台所に立ち、洗い物をする。洗った皿を帷に渡し、手早くシンクを掃除した。 「全く触れたことのない分野って、難しそうって思うだろ。でも難しくしてんのは自分なんだ。自分が一番の壁だよ」 「ほ~。案ずるより産むが易しってやつ?」 「そう。やってみたら案外簡単」 手を拭いて、二人で窓際に移動する。窓を開けるとやはり蒸し暑い風が吹いたが、気持ちは晴れていた。 帷は腕を伸ばし、懐かしそうに話す。 「車も同じ。初めは運転席に座ることすら非現実的だと思った。でも今は教官の様子見て、時間気にしながらすぐ発車してる。ていうか発車しないといけないし、運転できなきゃいけない。座っていいのかな? って躊躇う時間なんてない」

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