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第27話

幸耶が家に来なくなり、早一週間が経つ。 来なくなった前日に大量の作り置きをしてくれたから食べるものには困らなかったけど、心は平静じゃいられなかった。 正直に言うと、全然分からない。 「友達」として付き合っていくことに合意したし、落ち着いたじゃないか。なのに何で俺を避けるんだ? 迎は大学が終わったと同時に教習所へ足を運んだ。 本当は夏休みに向けてバイト探しを始めようとしていたのだが、それどころじゃない。突如家に来なくなった幸耶を捕まえ、問い詰めたい衝動に駆られている。 恐らく俺を押し倒し、気まずい空気にしたことを気にしてるんだろう。それは分かるけど、俺が気にしてないんだから今までどおり振る舞えばいいんだ。ここで離れる方が黒歴史になるだろ。 あと、先々俺が彼の人生の汚点として残るのも嫌だ。俺は死ぬ時は誰の記憶にも残らずに死にたい。その為には彼と一度話し合い、しこりを残さず、すっきりと別れたいのだ。 あれほど嫌で嫌で仕方なかった教習所。ひとりで行こうとした時は幸耶のように立ち竦んだ場所。そこに今、大股で乗り込んでいる。 よほど近寄り難いオーラを放っていたのか、皆俺が来た瞬間「ひっ」と言って端によけた。 「こんにちは。帷幸耶ってひと、今日教習入れてます?」 一直線に事務所へ行き、窓口の若い女性に尋ねた。 彼女は入学手続きの時に対応してくれたからよく知っている。とても穏やかで、学校ではマドンナ的存在だ。 優しいからあまり困らせたくないが、やむを得ない。 幸耶がうっかり家に置いて行った教本を鞄から取り出した。裏に書かれた彼の名前もしっかり見せ、好青年を演じる。 「俺、迎風月といいます。幸耶の友達なんですけど、忘れ物を見つけたので届けに行きたいんです。電話も何回も掛けてるけど繋がらないから、教習中かと思いまして」 これは本当だ。あれから何度か電話したり、メッセージを送ったが、全部既読スルー。 俺が酷いことをしたなら分かるけど、もはや失礼だろ。絶対取っ捕まえて、ひとこと文句を言ってやる。 「こちらで預かってもらおうかと思ったんですけど、俺は夜まで自習するつもりなので。教習入ってたら、終わる時間に直接持っていきますよ」 「あぁ! お気遣いありがとうございます。……少々お待ちください。そうですね、帷さんは最終の十八時から実技を受ける予定です」 「ありがとうございます!」 ────よし。 スケジュールも個人情報だと一蹴されるかと思ったが、同い年だったからかそれほど警戒されずに教えてもらえた。 純粋なお姉さんには申し訳ないが、心の中でガッツポーズする。 ただいま十六時過ぎ。あと二時間で幸耶が来るから、俺は外がよく見えるところで勉強しよう。 教習車が並ぶのは入り口付近。生徒も教官もそこに集まり、順々に発車していく。 ストーカーと化してる自分も本当に嫌だったけど、このままでは終われない……幸耶が来たことを確認し、何とか気持ちを落ち着けた。 考えれば考えるほど叫びたくなる。 友達としては良好だったし、何も問題なかった。 食器も揃えたばかりなのに、そこで来なくなるのは酷い。気まずかろうと何だろうと、連絡にも返すべきだ。 ……それとも、幸耶は俺が嫌いになったんだろうか。 そんな考えが一瞬頭によぎったが、慌ててそんなわけない、と振り払った。 俺が彼になにかした覚えはない。気付かないうちに傷つけたなら別だけど、押し倒されるまでは和やかに話してたんだから。 それこそ、一緒に暮らしたら楽しいよな、……って。 ほんの少しでも、そんな夢みたいな想像ができたことが嬉しかった。それなのに、こんなことになるなんて。 最悪、嫌われたなら仕方ない。無理して一緒にいることはできない……でもそれなら、理由を教えてほしかった。 幸耶の人生を邪魔しないよう、彼の目の前が消えるから。免許もとれなくていいから……人生を閉じる、明確な理由が欲しい。 ニ時間は、気が滅入るほど長かった。 教本を開いては閉じ、閉じては開いてを繰り返す。 人生もこれぐらい簡単だったら良いのに。 車のように簡単に降りられたら、本当に楽だった。 「はぁ……」 真っ暗な世界でたまたま光るものを見てしまったから、無我夢中で追いかけてしまっているんだ。完全な深海にいられたら、こんな悪あがきもせずに済んだのに。 車に乗りたいと思っていた時期も確かにあったけど、今は違うんだ。教習所に来られるようになったのは、幸耶がいたから。 不純だけど、情けないけど、それが全てだ。 頭を押さえ、崩れるように机に伏せた。

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