33 / 52
第33話
突然の誘いに、頭の中が真っ白になった。
今まで全然考えたことなかった……。
幸耶の、家。
「い……いいの? めっちゃ急だけど」
驚いて言うと、彼は静かに頷いた。
暗がりの中でも、彼の頰が赤らんでいることが分かった。手首を掴む手も尋常じゃなく熱い。
彼の熱が俺にも流れ込んできてるのかもしれない。掌を団扇代わりにし、顔に風を送った。
マジか……。
断る理由がなくて困るな。
初めて家に誘われた。それだけで嬉しくて、顔がにやけそうになる。
「ありがと。じ、じゃあ……お願いします」
「ん」
敬礼すると、彼はわずかに微笑み、俺の手を引いた。
「こっち」
「お、おう」
サンダルが脱げそうになって、慌ててつま先を地面に落とす。
夏はまだ終わりそうにないみたい。
大変だ。また気温が一度上昇したっぽい。
幸耶の家は、本当に目と鼻の先だった。駅にも近いから、交通の便は良さそうだ。
「おー、綺麗な家」
「見た目はな」
夜だから全部は見えないけど、築浅の戸建てだ。ガレージがついていて、庭先には綺麗な花が植えられている。
ちゃんと世話してるようで、ホッとした。
「あ。そうだ、陽介さんは?」
「今日は帰ってこない。ここんところ出張が多いんだ」
そうなのか。じゃあ、今夜は幸耶ひとり。
だから一人暮らしみたいな感覚なんだな。家事もこなして、しっかり者で。……だけど、そうならざるを得ない状況にいただけなんだ。
そっと瞼を伏せ、玄関に上がる。レモングラスの香りがとても爽やかだった。
「すごい片付いてて綺麗じゃん。陽介さんも掃除するの?」
「兄貴は全然しない。だから俺も汚さないようにしてんだ。掃除しなくて済むから」
リビングの明かりを点け、幸耶は俺が持ってた袋をテーブルの上に乗せた。
「さてと。俺の部屋二階だから、行くか」
「幸耶の部屋か。ほんとに行っていいの?」
「そりゃお前……家に呼んどいて部屋に入れないわけないだろ」
幸耶は苦笑し、冷蔵庫からペットボトルを二本取り出した。
確かに友達の家に来たら、友達の部屋に行くのは普通か。
だけど、何でだろう。幸耶に限ってはすごくいけないことの気がする。
俺みたいな不純な人間が踏み入っていいのか……?
謎の背徳感を覚えたまま、二人で二階に上がる。夜だし他に誰もいないから当たり前だけど、怖いぐらい静かだった。
「ここ。さ、入って」
「おぉ。お邪魔しまーす」
本日二度目のお辞儀をし、どきどきしながら入室する。
幸耶の部屋は六畳ほどの洋室で、とても整頓されていた。几帳面な彼の性格を如実に表しているようで、何だか笑ってしまう。
「わ、魚いるー」
「うん。二年前は犬もいたんだけど、病気でな」
「そうか……」
机に置かれた水槽に目を向けながら、幸耶の話に頷く。
水槽の中で泳いでいるのは小さなグッピー達で、とても可愛らしかった。
「風月は何か飼ってた?」
「あぁ。俺はうさぎ飼ってたことあるよ。散歩させる人もいるけど、俺は犬やカラスが怖いから外には連れ出せなかった……」
「うさぎか。何かお前っぽいな。っていうか、お前がうさぎっぽい」
「どゆこと?」
意味が分からず、露骨に聞き返す。だけど幸耶は笑うだけで、荷物を片しながらテレビを点けた。
そういえばよく笑うようになったな、と密かに懐かしくなった。初めの頃はずうっとポーカーフェイスで、ほんのわずかに微笑むだけ。
でも今は、声を出して笑う。それはとても大きな変化だと思った。
やっぱり、彼はいつも笑ってた方がいい。そうすれば周りも嬉しくなるし、通じ合える。
心の中が温かくなるのを感じていると、幸耶は手招きした。
「ほら、座れよ。せっかくだし二次会しよう」
「二次会?」
「まだ腹に入るだろ? たこ焼きとかたくさん買ったんだし、食べようぜ」
「おぉ! 食べる!」
自分でも笑ってしまうけど、胃袋は常に成長期の男子だ。もうお祭りの開催場所で食べた分は消化され、新たなスペースができている。差し出された座布団の上に座り、二人でご飯を食べた。
「まさか幸耶の家に来るとはな~」
「いつも俺がお前の家にお邪魔してるもんな。悪いな」
「何も悪くないよ! 飯作ってもらってるし!!」
デザートのチョコバナナを頬張り、申し訳なさそうに零す幸耶を見返す。
「出張料理人の役割だけで良い?」
「充分過ぎますよ」
もう一本のチョコバナナをパックから取り出し、彼の口元に差し出す。
「でもさ。飯も嬉しいけど……幸耶に会えて本当に良かった」
ともだちにシェアしよう!

