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第50話
麦茶を飲み込み、不満をもらす。
心配性なのは相変わらずみたいだ。本当は電話を掛けてきてくれたことを素直に喜びたいのに、妙な意地が邪魔してツンツンしてしまう。
「何か変わったことあった? お兄さんは元気?」
『元気過ぎて困る。っていうか、俺あの家出ることにしようと思うんだ』
「え? 何で!」
『兄貴が婚約したんだ。そんで、もしかしたらあの家に住むかもしれなくて、追い出されそうなんだよ』
マジか。驚いて「大丈夫?」と訊くと、それは冗談だから大丈夫、と笑い声が聞こえた。
『俺も家を出ようかと思ってたし、ちょうどいいと思ったんだ。……それで、先輩のアドバイスも色々もらおうと思って』
「先輩」
『お前のこと。久しぶりに会えないか? ……今から』
うぐ。
思わず麦茶を吹き出しそうになり、慌ててタオルをとった。
「いいけど、めちゃくちゃ急だな! 何時に待ち合わせ?」
『お前の準備ができ次第かな~。俺、今お前の家の前にいるんだよね』
「はっ!?」
急なんてもんじゃない。
幸耶は恐らく、用意周到だったんだろうけど……あまりに話がとんとん進んで怖かった。それに、
「俺、お前に今の住所教えたっけ?」
『あぁ、ちょっと前に夜中に電話してきたじゃん。二十歳になって飲めるようになったんだ~、とか酔っぱらって』
「すみませんでした……」
言われてみると、そんなこともあった。
「すぐ用意するよ」
一旦電話を切り、急いで着替える。大して準備もせずにアパートの前へ出ると、見慣れない車が停まっていた。
「よ。久しぶり」
「久しぶり……」
幸耶だ。本物の。
当たり前なのにどこか非現実的で、フリーズしてしまった。
手を伸ばせば触れられる距離にいる。その事実を上手く飲み込めない。
「幸耶、車買ったの?」
「まさか。兄貴の借りてきた。だからちょっとドライブしよう」
「ふぁ~。良いな!」
ドライブなんて久しぶりだ。
免許をとってからも、身辺整理に追われて行けずにいたから。
免許をとったらもっとバンバン乗りこなすもんだと思ってたのに、結局電車ばっか使ってるし。
「風月、親父さんの車は?」
「あー、叔父さんに預けてる。やっぱり維持費がきつくてね……」
助手席に乗り、シートベルトを締める。心なしか背筋がぴんと伸びて、膝の上の拳を握った。
「でも、いつか引き取りに行きたいと思ってる」
「……そうか」
幸耶は頷き、眼鏡を掛けた。エンジンをかけ、ゆっくり発進する。
おぉ……。
久しぶりに会ったことも現実感ないのに、幸耶が運転する車に乗っている。驚きの連続で処理が追いつかない。
喜びもだ。嬉しくて、どうしたってにやけてしまう。
「どこ行くの?」
「内緒。でも結構走るから、どっかで飲み物買ってくか」
ファーストフード店のドライブスルーに寄り、俺達はこの一年にあったことをたくさん話した。
俺は今の家や大学のこと、それからバイトのことを話した。幸耶もバイトをしながら新しくサークルに入り、忙しいが充実した日々を送っているようだった。
楽しそうで良かった。
彼のことだけが気掛かりだったから、密かに胸を撫で下ろす。
高速に入り、景色の見えない道を進む。
ルームミラーを一瞥して、ふと尋ねた。
「幸耶、どこ行ってもモテるだろ」
「何だよ、急に」
幸耶は吹き出し、それからシートに深くもたれる。
「お前の方がモテるだろ。……彼女できた?」
「できるわけない。幸耶は?」
笑い返して、窓際に手を置く。
俺が想ってるひとは昔から決まってるから……静かに告げると、幸耶は眼鏡を掛け直した。
「俺も、できるわけないな」
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