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第30話

そのまま話していると、自転車に乗った妙齢の女性がやって来た。 キキ…ッとブレーキの効きの悪い音がする。 思わず吉野と共にそちらを見てしまった。 「やだっ、お父さん。 上がっていただいてよ。 失礼でしょ」 「いえ。 大丈夫です。 お気になさらないでください…」 農作業から休憩に帰ってきたのか、長靴にエプロンをつけた格好の奥様。 慌てて自転車を停めると、玄関のドアを開けてくれる。 この感じもこっちに帰ってきたんだと痛感することだ。 都心部に近い関東では、畑で立ち話をすることも多かった。 けれど、こちらは家の中へと招いてくれる。 “内”へと入れることを恐れない。 「俺が怒られますから、休んでいってください」 吉野と顔を見合わせ、では…と言葉を続ける。 本当に気にしなくても大丈夫だ。 そのように、革靴ではなく綺麗目のスニーカーを履いてきた。 だけど、こちらの人達は優しい。 誰かを招きもてなすことを当たり前のようにしてくれる。 それに甘えることも、ここでは美徳なんだ。 広い玄関に靴を並べた。 この8年暮らしてきた一人暮らしの部屋のトイレより、こちらの玄関の方が広い。 スタンダードな農家の家の造りだが、広い土地を持っている故のゆとりだ。 続けて、これまた広い畳敷きの部屋へと案内された。 大きな板を切り出した机に、色の良い茶箪笥。 ヤカンの置かれた石油ストーブ。 飾らないが、安心出来る空間だ。 差し出される座布団に座ると、奥様があたたかなコーヒーを持ってきてくれた。 「コーヒー、飲んでください。 今、お菓子もお持ちしますね」 「ありがとうございます。 お気遣いなく…」 流石の手際の良さに吉野は恐縮しっぱなし。 こういうのも新人あるあるだ。 さっきは頼もしかった背中も、今は縮こまっている。 最初は、親戚の家に来たくらいの気持ちで構えていないと緊張から疲れるが、それだってある程度の気休めにしかならない。 これに関しては、あとは慣れが大きい。 頑張っている姿を横目に、鞄からクリアフォイルを取り出し机に並べていく。 ドローン講習のパンフレットや、先日吉野と共に制作した資料。 貸し出しの料金表も。 まだ講習前にお金を話をするのはいやしいのかもしれない。 けれど、貸し出しとはいえ決して安くはない。 そこは、ご家族内でしっかりと話し合いが必要だから、他の資料と一緒に提示する。 「では、続きについてお話させていただきます。 講義の方は農協さんが主催します。 個人的にも講義を受講すれば免許はとれますし、その際も我々もサポートいたします。 ただ、6月の農協さん主催の講義を吉野も一緒に受けさせていただきますので、なにか不安なことがあれば吉野もお力になれると思います」 「一緒に! それは心強いっ」 お茶菓子を取りに行った奥様と共に可愛らしい家族が顔を出した。 「猫ちゃんっ」 「本当だ。 可愛らしい子ですね」 家主の隣を通り過ぎ、机の下へと入ると、吉野との間に顔を出す。 白に黒い模様のある可愛らしい顔立ちの猫だ。 「触っても良いですか?」 「えぇ。 どうぞ。 お菓子も召し上がってください」 指を鼻先に近付けると、クンクンと鼻を寄せてきた。 すると、指に下げた頭を擦り付けてくる。 「ははっ、撫でて欲しいって甘えてますよ。 それにしても、その挨拶のやり方、久世くんとそっくりですね」 「え…。 あぁ、久世とは保育園の頃からの幼馴染みなんです。 実家も近くて、一緒に育ったから似てるんでしょう。 私は、県外に就職してしまったんですけど…」 違う。 逃げたんだ。 張り付けた笑顔で都合の良い、言い方をする。 「へぇ? でも、久世さんの幼馴染みの贔屓を抜いても、遠山さんはとても信頼出来ます。 これから、よろしくお願いします」 ……俺は、そんなに信頼されても良いのか 猫の顎の下を撫でながら、また罪悪感が顔を覗かせた。

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