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第31話

次の取引先へと移動なのだが、どうも琥太郎のことが頭から離れない。 『逃げたくせに』 琥太郎はそんなこと言わない。 言っているのは俺なのに。 「先輩、少しコンビニに寄っても良いですか?」 「トイレ? コンビニまで我慢出来るか?」 「出来ますよ…。 大人ですよ…」 眼を細めると遠くに見慣れた色の看板を見付けた。 田舎はコンビニを探すのも大変だが、高い位置に看板があるので見付けるのは比較的楽だ。 あそこまで待ってなと言えば、素直な返事が返ってくる。 これまた都会とは違い、広い駐車場へと車を滑り込ませ、空きばかりのそこから入り口近くを選んで駐車する。 漏れそうなら、近い方が良いだろう。 「俺のこと気にしなくて良いからな」 「はい。 すぐに戻ってきます」 気にしなくて良いって、……まぁ、良いか パタパタと店内に入る背中が隠れるまで見送った。 見えなくなると、深くシートに沈み息を吐いた。 どうにも気持ちの切り替えが上手く出来ない。 子供じゃないんだから、仕事中はキリッと切り替えたいが、見た目ばかり大人になっただけの子供だ。 それに、相手は好意の人。 そんな上手くはいかない。 好きだから? 友達として? それとも、人として? 人……として……、か ハンドルを握り締めたまま空を見詰める。 勤務時間にこんなことばかり考えるのはいけないと分かっていても、考えてしまう。 隣に、誰かが大切に育てた息子さんを乗せているんだ。 こんなのはいけない。 ──コンッ、コンッ 「…っ!」 助手席の窓の叩かれる音に我にかった。 そちらへと視線を動かすと、見慣れた赤いラベルのペットボトルを持った吉野くんがいる。 「お待たせしました。 コーラです」 「コーラ…?」 「はいっ。 甘くて、炭酸がすっきりしますよ」 手渡されるペットボトルの冷たさがジワジワと指先から手のひらへと伝わっていく。 まだ冷える日々が続いているが、あの爽やかな味を思い出すと不思議と冷たささえ愛おしく思えるから現金なものだ。 「ありがとう」 「いえ。 いつもお世話になってますから。 それに…、なんか疲れてるかなって。 ジュースがお礼なんてあれですけど、飲んでください」 ──本当に、いつの間にこんな気遣いができるようになったんだか。 新人の頃なんて、自分のことで手一杯で当たり前だ。 失敗しないように、失礼がないよう。 それなのに、吉野くんは今の俺が“何か”に囚われていることに気づいたんだろう。 例え、無意識だったとしても。 心配をかけたくてしてるわけじゃない。 けれど、その“気を遣わせてしまった”という申し訳ない事実よりも、吉野くんが誰かの気配に目を向けられるようになったその変化が嬉しい。 吉野くんの中にもなにかが育ちはじめているんだろう。 たった数週間で。 若いというだけで、吸収率は無限大だ。 ペットボトルの栓を切ると、プシュッと酸の逃げる音がする。 それを喉に流し込む。 甘くて、炭酸がシュワッと爽やかで美味しい。 「行くか」 いつのまにかシートに映っていた自分の影が、少しだけ真っ直ぐに伸びていた。

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