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第44話

「う、わ…。 美味しいですっ」 高級焼き肉なんてはじめてでドキドキしたのは最初だけ。 最高に美味しいお肉に心が惹かれていく。 肉を1枚口に入れた途端に、脂の旨味や甘味、タレの絶妙さに悶絶する。 ハラミやカルビはコッテリし過ぎておらず、脂身も美味い。 良い肉は脂が美味いというが、まさにそれだ。 食べただけで良い肉だと分かる。 だけど、タレも美味しい。 タン塩はタン本来の美味さは勿論、まず塩が美味しい。 レモンがさっぱりなだけではなく、その良さを際ださせるシンプルな味付けが肉の美味さを引き立てている。 「良かった。 沢山食べてね」 目の前の男は、優しく微笑む。 烏龍茶を飲みながら肉をひっくり返し、自分も1口お茶を口にした。 「あの、本当に良いんでしょうか。 財布を拾っただけで、こんな…」 「うん。 大切な財布だからね。 父親代わりの人からもらったんだよ」 “父親代わり”。 拾った時も、そう言っていた。 家族ではない。 だけど、家族と同等の人。 それも、父親代わりということは、それ以上の意味を持つ人だろう。 言葉をそのまま素直に受けとれば、どれほど大切な物か想像することは簡単だ。 例え揶揄だとしても、思い入れのある品であることにはかわりない。 そう思えばこそ、この食事がそれ相応のお店であることも頷ける。 「琥太郎くんって名前は、どんな由来なの?」 「琥珀の琥に太郎なんですけど、そのまま琥珀の意味もあります。 姉と妹がいて、みんな宝石の名前で関連してます。 樹液が宝石になって当時のモノを閉じ込めるように、俺自身がタイムカプセルのように沢山の思い出と生きるんです。 そんな人生を生きられるようにって。 それと、虎が百獣の王になることだってある。 そういう人生を送れるようにって」 「へぇ。 琥珀と虎か。 素敵な由来だね」 生きることへの願いと、生き様の願い。 2つが込められた名前だ。 そんな大層な人間になれるのか不安になる時だってある。 強くもなければ、優しくもない。 臆病で、優柔不断で。 けれど、その名前に恥じないように生きたい。 自分の名前は目標でもある。 優しく微笑まれ、つい同じものを返してしまう。 なんでだろう。 すごく心地良い空気で、安心してしまう。 ほぼ初対面の人なのに心の内を晒け出せるというか。 人の空気感に馴染むのが上手い。 まるで昔から隣にいたみたいだ。 「篁さんの由来はなんですか? とても綺麗な名前です」 「俺? なんだろう」 「…?」 張り付けた笑顔。 スーッと冷える表情と、とてもあたたかいものとは言えない目をしている。 聞いてはいけなかった。 俺は、外れの選択をしてしまった。 謝まらなくてはいけない。 そう思い口を開こうとするより早く篁さんが言葉を発した。 「あ、冷麺食べる? スイカ入ってるやつ」 「冷麺…、はい」 「冷麺、美味しいよね。 石焼ビビンパもあるけど、どっちが良い?」 「え、あ…少し悩ませてください…」 さっきの表情が嘘みたいに穏やかに微笑えまれる。 直感で、先程の方が本当だと思った。 なにが本当なのか、嘘なのかは分からない。 けど、そう思った。 暗闇を知っている人なんだ、と。 「玉ねぎも焼けたけど食べる?」 「あ、はい。 いただきます」 「うん。 どうぞ」 だけど、これでおしまいだと思っていた。 お礼を受けることで、関係は終わるんだと…。 だからこそ、深入りせずにいられる。 なのに、それからも篁さんはなにかと俺を気に掛けてくれた。

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