63 / 111

第57話

浴室のドアの開く音に心拍数が上がる。 濡れた髪から滴る雫が、首にかけたタオルに落ちている。 「助かったよ。 ありがとう」 「いえ…、俺の方こそ庇っていただいて…ありがとうございます」 どんな顔をしたら良いのか分からない。 いい歳をして、恥ずかしがっているのも恥ずかしい。 けど、平気な顔がどんな顔か分からない。 普段の表情筋はどんなだったか思い出せない。 素麺を茹でる手が止まってしまう。 「もしかして、照れてる?」 「え…っ、」 「そんな意識されると、悪いことしてるみたいだね」 近付いてくる龍雅さんに、なぜか身体は逃げてしまう。 顔が見られない。 どこを見たら良いか分からず、足元へと視線を下ろせば、1歩、また1歩と近付いてくる足がよりはっきりと分かるだけ。 ふわっと香るのはいつもの香水のにおいではなくて、部屋のボディソープ。 心臓の音が身体中に響く。 龍雅さんに、届いてしまう。 「意識してくれてるんだ。 嬉しい」 「っ!」 自分のシャツに龍雅さんの髪から落ちた雫が拡がっていく。 ジワジワと拡がるのは、冷たさではない。 「…なんてね。 素麺茹でるの邪魔してごめんね」 「え…、いえ…」 一瞬だけ見えた龍雅さんの目はまた深い色をしていた。 でも、それが本当かどうかは分からない ただ、離れていく背中に返す言葉が見つからなかった。

ともだちにシェアしよう!