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第63話
午後の太陽の光。
鍋から漂う美味しそうなにおい。
目の前の龍雅さん。
好きな人に襟足を拭かれ、子供みたいで恥ずかしくもありながら、くすぐったい嬉しさが身を包む。
恥ずかしいと嬉しいの間みたいな。
だけど、嫌じゃない。
「はい、おしまい。
味噌汁作ったけど、飲む?」
「ありがとうございます。
嬉しいです!」
美味そうなにおいは味噌汁か。
具はなにかな、と鍋を覗き込んで気が付いた。
「それ、トマトですか…?」
龍雅さんの影に隠れていたのは、砂糖のかかったトマト。
それを見付けると龍雅さんは少しだけバツの悪そうな顔を見せた。
「あぁ…。
うん。
…母親が機嫌の良い時にたまに作って…って言うか、自分が食べたくて作ってたやつを、たまに俺もいくつか食べさせてもらってたんだ」
龍雅さんの心の奥にある味。
そんな大切なものを教えてもらっても良いのだろうか。
無理はしてないか。
嫌なことまで思い出していないか。
少し不安になる。
小さなことがきっかけで、心の傷はまた痛むことだってある。
そっと顔を覗き込むと、複雑そうに、だけどやわらかく目を細められた。
「コタにも食べてほしくて」
「良いんですか…?」
「うん。
食べてほしい」
大好きな人の、心の奥の記憶。
そっと手のひらの隙間から見せてくれるそれは、とてもやわらかい。
触れれば壊れてしまいそうだ。
だけど、ちゃんと両手を添えて一緒に見たい。
いただきます、と1つ口に入れる。
甘くて、どこか懐かしい味が広がる。
小さな頃に食べた鼈甲飴のように素朴で、噛むとプルッとした種のゼリーが弾け、じゅわっと溢れる酸味が混ざる。
ジャリッとした砂糖の粒が相まって、まるでおやつのようだ。
「っ!
美味しい!」
「良かった」
例えるならマリネが近い。
だが、酸味がない分サラダ感がない。
果物に限りなく近いのに、なぜか感覚としてはおやつに近い。
もう1つ良いですか?と甘えれば、とても嬉しそうに頷いてくれる。
有り難くもう1つ口に運んだ。
「嬉しいです」
「俺も嬉しいよ」
小さなことでも龍雅さんが教えてくれたことに意味がある。
どれだけ押し込めてきたのか、その全てを理解することなんて出来ない。
それでも、龍雅さんが触れられたくないであろうものを見せてくれた。
その相手に選んでくれた。
それが、たまらなく嬉しい。
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