93 / 111
第84話
あの日、龍雅さんが忘れていった腕時計。
大切にしていると言っていた腕時計だった。
大切にしている時計だった。
すぐに気が付き、連絡を入れた。
『帰るまで預かっててくれるかな』
『分かりました』
そんないつもとかわりない日から何日が経ったのだろうか。
いつしか俺は、あの日の龍雅さんの年齢になっていた。
“帰ってくるまで”
その約束を律儀に守りながら。
片付けられない、ヘアワックス。
捨てられない歯ブラシ。
変えられないボディソープや洗濯用洗剤。
ページを捲ることの出来ない文庫本。
洗濯したくない服。
「……ぅ、……ひっく………、りゅ…がさ……」
何度、泣きながら朝を迎えただろうか。
「行ってきます」って出ていったのに「おかえりなさい」を言えていない。
帰ってこない。
なにもかもを、あの日のままに。
誰かの為に死ねるなら、俺の為に生きていて欲しかった。
なんで、それが許されないんだ。
なんで。
どうして。
涙は枯れない。
一旦止まっても、また涙は出る。
泣いて、頭が痛くなって、気持ち悪くなって、そしてほんの僅かな睡眠で身体を落ち着けていた。
そんな生活を繰り返し、身体は少しずつその生活に慣れていく。
人間逞しいものだ。
死ねば良いに。
まだしぶとく生き恥を晒している。
「コタ、見て!
上手に出来たぞ!」
「ほんとだ。
可愛いじゃん」
「だろっ」
忘れ物をいつもの場所に戻し、鷹矢の隣に並ぶ。
ともだちにシェアしよう!

