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第7話 別れの時が近づいて
アンリが来て五年近く経った。
カリエ王国は劣勢だった。ソルヴェノナ北帝国で最初に言い出した文官はどんどん力をつけていた。
人数を増やして対抗していたカリエ王国内の東方流民玄武派は、元々の東方流民特有の伝染病に襲われてしまった。東側の国から呼び寄せたものが罹患していたらしく、たちまち数人が亡くなった。気概ではなくお金で繋がっていた者たちは、死を恐れてあっという間に出て行った。カリエ王国に心を寄せてくれていた者は残ったものの、ほんの数名。壊滅的だった。
アンリの母と妹たちが亡くなった。南部の離宮に向かった途中の馬車の事故だった。そこへ、炭鉱の落盤事故、土砂崩れや河川の氾濫、一つ一つは規模も大きくなかったので、通常なら対応可能だった。だがタイミングが悪かった。
士気を上げるため自ら事故現場へ向かった王までが、とうとう心労で倒れて亡くなってしまった。王太子であるアンリが呼び戻される事になった。
アンリが戻るまで、王の弟が摂政の座についた。アナマリーは連絡を受けてからずっと、悩ましい顔をしていた。戻りたくはない。だが、アンリを連れて戻らなければならない。国からの迎えが一週間後に来るはずだった。
そこへ、ゾルタン国王も倒れてしまった。アナマリーによると、母と同じ毒を長いこと飲まされていたようだった。
アナマリーの話は衝撃的だった。
今までは僕達を子供と思ってあまり詳しく話してこなかったけれど、事ここに至っては説明しますので、聞いて下さいと。父王はちゃんと僕を大事に思ってくれていたと。元々父王は月の宮には宮廷内の選りすぐりの人材を付け、自分の周りには頓着していなかった。中に王妃に抱き込まれた者がいて、銀食器を使う食事ではなく、無味無臭の毒を飲み水に混ぜられていたらしい。その毒は母カミーユと妹シルヴィが外出の際に一度に相当量盛られて、小さいシルヴィはそのまま……、母は酷く内臓を壊してしまって結局亡くなってしまった物だった。
僕は知らなかったけど、父は毎週アナマリーに僕たちの様子を聞いていた。ただ、会話は直接ではなくアナマリーの使役する小鳥を介してだったので、アナマリーも王の様子に気づかなかった。小鳥は父王の元へ飛び、窓辺で囀る。この囀りが、父王には言葉に、他の者には鳥の声にしか聞こえない。僕のことを大切に思っている事を公にする訳にはいかなかった。嫉妬って人を悪魔に変えるらしい。
会いに行きましょう、と、アナマリーに連れられて僕とアンリはすごく久しぶりに父王の宮殿に行く事になった。
できるだけ人目に付かない様に、早朝、父の部屋を訪ねた。月の宮に父の警備兵が来て付き添ってくれた。
◇◆ ◇◆ ◇◆
初めてちゃんと父王の顔を見たかもしれない。
外は少し白んで来始めていた。夜明け前の静寂の中、物音を立てない様に向かった王の寝室には誰も居なかった。直前までいた侍医もこの時は皆外に出ていた。
僕とアンリとアナマリーは王の横に並んだ。高さもある大きなベッドの真ん中に王は体を横たえていた。
顔色は白く、息は弱かった。カーテンで閉された部屋の中は蝋燭の灯りが揺らめいていた。
「シャルル……」
父の声をずいぶん久しぶりに聞いた。こんな寂しい声だっただろうか?
「はい」
「残念だが、別れの時のようだ。お前がもう少し大きくなるまではと思っていたんだが……」
「お父様」
父の伸ばした腕が耐えきれずにベッドの上にはたりと落ちた。僕は両手でその手を取った。
蝋燭の炎が大きく揺れて、僕たちの影が壁際に一瞬大きくなった。
「許せ。……情けない父を」
「……アンリ、アナマリー、頼む……シャルルを」
ほんの暫くそうしていたけど、アナマリーに促されて静かに部屋を出た。背中越しに大きな呼吸音がした。扉を閉める時に、母とシルヴィの名前を呼ぶのが聞こえた。僕が離した父の腕を二人が握っていてくれたらいいな。
部屋から出ると入れ違いに沢山の人が入っていった。皆、僕たちが目に入らないようだった。アナマリーの力かも知れない。アナマリーはすれ違う一行の一人の侍従の肩を捕まえて、耳元に口を寄せて、王様の部屋の窓を一ヶ所開けて置くように言った。侍従はこくりと頷いて何も言わずに入って行った。
月の宮に戻ると、僕たちは急いで支度をした。本当に必要な物しか持たない。出来るだけ身軽にしたい。
誰にも何も言わずに、白い月の浮かぶしっとりした明け方の城下町に出た。
朝一番の長距離馬車に乗って、初めて遠くに小さくなるお城を見つめた。アンリが僕の背中に頭を乗せた。石畳の振動でアンリの頭が小刻みに揺れる。お城が見えなくなってから、座り直した僕は、アンリと肩を寄せ合って少し眠った。
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