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第18話 前世の約束
ゾエが言った。
「操られているとか、取り憑かれているとかではありません」
ゾエの声は必死だった。
「ここをご覧ください」
アルノーの書いた文章のシャルルとアンリの部分を指差した。よく見ると、綴りが違っている。他の部分はゾエの教えた、ルブラ連合帝国の共通語の綴りで間違いがなかった。が、シャルルの文字とアンリの文字が少し違ったのだ。
「綴りを間違えておるな。まだ幼い皇子だからではないか?」
皇帝は何も問題ないと言った調子で言った。
「ここだけ、古い大陸共通語の綴りなんです。その時は気が付かなかったんですが、先の手紙の“アンリ“の部分もそうなんです。今回は“シャルル“もそうなっています。私の故郷では、いまだに大陸共通語を使う者が多いので、学校でもルブラ連合帝国語と大陸共通語を両方習うんです」
ゾエはしゃがんでアルノーに視線を合わせて、聞いた。
「アンリ様と共に亡くなったシャルル様の生まれ変わりでいらっしゃいますか?」
アルノーは
「うん、そうなの」
と言ったので、全員が息を呑んだ。
「また巡り会うお約束がおありなんですね?」
「アンリ、さがす、したい」
皇宮は大混乱となった。
皇宮に歴史学者が集められた。北部の歴史に詳しい者が。ゾエが元々その地方出身で、山間の村で伝えられていた可哀想な王子達の話を知っていた。歴史学者達によると、確かに昔、シャルルとアンリ、二人の若い王子たちが追い詰められて侍女と共に亡くなり、その後数年して、ロバを連れた山の民の男がやってきて、可哀想な侍女と王子達の話と生まれ変わりの約束の話を広めていったと言う記録があることを証言した。物語は歌になって北部で子供達が今も歌っていた。ゾエはそれを覚えていたのだ。
「どうか、アルノー殿下に約束を果たさせていただけませんか?微力ながら、その為に私も殿下に精一杯お仕えすることをお許しくださいませ」
最初から皇帝も皇后も反対する気持ちなどはなかった。ただ、得体の知れない不安があっただけ。皇子が皇子としての役割を果たせるなら、その他の事にとやかく言うことはなかった。魂が生まれる前の約束に囚われていても、皇子は確かに自分たちの子であった。
また、ゾエはアルノーをうまく導くことが出来そうだったので、任せる事にした。
◇◆ ◇◆ ◇◆
シャルルであること、アルノーであること
アルノーは大変優秀だった。幼児期は言われた事はほぼ理解できているようなのに、発する言葉は語彙も口調もまさに幼児だった。もちろん、見た目に合っていて、大変可愛らしかった。成長と共にもっと話が出来るようになると、大人が話す言葉の理解も、難しい専門的な言葉も使えるようになっていった。七歳ほどになると、そこらの領主よりもののわかった子供になった。
ゾエはアルノーが小さいうちは泣き出したり、やらなければいけない事を嫌がったりする度に必殺技――アンリ様に会った時に恥ずかしく無いように――を繰り出してコントロールしていた。だがすぐに、アルノーの成長で勉強の内容も専門的なものになり、ゾエは教育者というより普通の侍女となった。ただ、アルノーは伝えたい事も伝えられなかった幼少期の混迷を救ってもらった事にとても感謝していた。そして今や大変我慢強く成長したので、それはそれは見た目立派な皇太子となっていた。もちろん、心の中は常にアンリに会いたいと唱えていたけれども。
ゾエはアルノーがしっかりとするのを見届けると、実家に戻り、嫁いで行った。アルノーは感謝の気持ちで、嫁入りに役立つようなあれこれの出来る限りの物を届けさせた。細かい気配りの品々にゾエは少し笑って、アルノーの行く末に思いを馳せた。
「殿下……アンリ様に巡り合って、幸せを捕まれますように」
アルノーが五歳の時に皇后が病気で亡くなっていた。皇后は病に勝てないと知ると、残される皇帝と皇太子の為に、自分の国元バリュティス領から姪を呼び寄せて自ら王妃教育をした。皇帝は遺言の通りに、皇后が亡くなって一年後皇后の姪を娶った。すぐにアルノーに妹が生まれた。マリローズと名付けられた。
前皇后もその姪の皇后もマリローズもふわふわのハニーブロンドにグリーングレーの瞳だった。
数年後、マリローズはアルノーに会いに来た。同じ皇宮の中にいても、それほどやり取りはなかったが、この小さな妹姫は五歳になっていた。
「アルノーにいさま。マリローズはお母様としばらくお祖父様のお家に行きます」
「え? マリローズ、どうしたの?」
「お母様がご病気なの。お祖父様のお家で静養なさりたいの」
皇后が嫁いで来た時には、アルノーはもう母を必要とはしていなかった。が、生みの母にそっくりな皇后が嫁いできて、父と自分の気持ちを慰めてくれるのは嬉しい事だった。小さい可愛いマリローズの存在も癒しだった。
静養なら仕方ない。皇后の祖父の家はアルノーにとっても母の実家だ。会おうと思えば行けばいい。忙しくて、同じ皇宮にいてもそれほど会えないくらいだったが。
「マリローズ、元気でね。お母様が早く元気になりますように」
皇后はそっくりな前皇后に憧れて嫁いで来た。マリローズを産んでから、優しい皇帝を深く愛してしまった。それ故にもういない前皇后に嫉妬してしまう自分が嫌になっていた。皇帝は前皇后も皇后も愛しているのに、そっくりなせいで身代わりとして愛されているんではないかと思えるのだ。贅沢な悩みである。わかっているのに、皇帝に笑いかけられるだけで、いろんな想いが湧き上がって、辛くて仕方ない。
皇后もマリローズも戻らないまま一年が経った。
そして、皇帝は皇后のもとへ行ってしまった! 城に残されたアルノーが代理として、全てを回さなければならなかった。十三歳だった。
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