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第19話 皇帝アルノー
皇后と皇女を追いかけて皇后の実家に行ってしまった皇帝は、そのまま戻らなかった。どうせ私は身代わりですからと沈んだ皇后に愛を伝えたいのだそうだ。国は優秀な息子がなんとか回してくれるはず。愛しているのは君だけ。前皇后なんて……と言えないのが寧ろ辛いところ。今いるのが、両皇后の実家なんだから。結局は皇后が、今生きている者の勝ちだと気が付いて、納まったのだ。生きていればこそ。共に美しいものを見て、美味しいものを食べて、楽しいことも出来る。叔母様、愛する者達を置いて逝かなければならなかったなんて可哀想……となるまでに二年。
皇帝はもう、玉座に未練もない。そのままアルノーに引き継ごうとなり、戴冠式もおざなりで済ませ、アルノーは皇帝となった。十五歳で皇帝となったアルノーは治世・外交・政策管理・軍管理・祭祀統括・農業行政からインフラ整備まで…………見直しと共に細部まで手を入れた。みるみるうちにルブラ連合帝国は活気に満ち、繁栄した。
――全部、アンリのためだ。マ・シェリアンリ。
忙しい合間を縫って、城下の視察や地方行幸で実際の民草の生活を視察。またそれを生かした行政を行なった。
――街に出て、アンリを探していた。逢ったらわかるはずなんだ。マ・ベルアンリ。
前世のシャルルと今のアルノーは身体的特徴がずいぶん違う。髪色も目の色も。生まれ変わったアンリも違うはず。直接探すしかないので、民の一人一人の顔を覗き込み、瞳を合わせて確認していた。民からすれば、皇帝陛下と目を合わせるなど畏れ多い。罰を受けやしないかとビクビクものだが、お付きの騎士に目を合わせるように言われるので皆、オズオズと目を合わせて挨拶した。
当代の皇帝陛下は民のひとりひとりの話さえ拾い上げてくださる、良き皇帝だ。早く皇后様がいらしたらいいのに。いや、どうやら、皇帝殿下は探している伴侶がいるようだ。前世からのご縁だそうだ。
皇宮の秘密ごとは既に秘密ではなくなり、国民は皆、早く会えるといいねぇと温かく見守っていた。
◆◇ ◆◇ ◆◇
大人になっても、生まれてすぐからの渇望は全く癒されてはいなかった。
どんな思いかというと、ゾエが取りなしてくれるまでは、夢の中で逢っていたアンリが目覚めるといないので起きている間は泣いていた。
その後は、日中泣く事はあまり無くなったが、朝の目覚めには
「アンリ!」
生まれた。アンリに逢いたい。歩いた。アンリに逢いたい。話した。アンリに逢いたい。
とにかく常に頭の中をアンリが占めていた。まるで、心の半分を乱暴に毟り取られたかのように、アンリのいない生活はヒリヒリとした感じだった。ゾエの言った通り、アンリを呼ぶ時に、マ・シェリとかマ・ベルとか付けると何かふんわりと大事に抱えるように優しい気持ちになって少し落ち着いた。
常に頭の中にアンリに逢いたいという気持ちがある。頭の中の残り一割くらいを生活や仕事に無理やり回していたが、生活や仕事には全く問題なかった。日中現れるアンリの幻と現実を混乱させないようにする。一瞬で消えてしまうので、喜びと悲しみの気持ちの落差は蓄積して、夜になると澱になって襲ってくる。幻を見た時につい微笑んでしまうので、そこにいる誰かに誤解されてしまうのも厄介だ。
何年も何年も、身の回りにも、市中にも探し続けたがアンリには逢えない。どうしようもない気持ちの時は夜空を見た。星を見た。あの雪山の怖いくらいの美しい星空を思った。二人の魂は結びついたままだから、二人の死はこの今の生の始まりのはずだ。どこかに必ずいる。探さないと。アンリに逢いたい。
マ・シェリ アンリ
マ・ベル アンリ
逢いたい。逢いたい。逢いたい……。
と言う思いを、顔に出さずに国事を遂行する。そんな日々だ。
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