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第33話 オアシスで
小さなオアシスを囲んで並ぶ数軒の宿屋。その中の一軒に宿を取った。
数軒の宿はどこも、さっき見た赤い層になった岩盤をレンガのように切り出して作られていた。大きな赤い太陽がオアシスの向こうに沈みそうだった。部屋に入るとルネは、身体を流すように言った。夜は急に冷えるから、まだ昼間の暑さがあるうちに水浴びしないといけないと。交代で髪と身体を洗い、埃だらけの服を着替た。乾燥した空気はアルノーの長い髪もあっという間に乾かした。ルネは持参した煉香油『La Joie de T’avoir Retrouvé〜巡り逢えた喜び』をアルノーの髪と顔と身体に薄く塗り込んだ。手に残った分を自分の髪にも付けた。
柱に囲まれたリワーンと呼ばれる食堂部分は風がよく通る。床は大きなタイル張り、壁にも星型のカラフルなタイルが貼られていた。脚の細い心許ないテーブルと椅子が並んでいる。
「シャハーブじゃないの? 最近、見かけないと思ったら、彼女連れ?」
ルネに声をかけて来たのは若い女性。アルノーの後ろから来た彼女には、アルノーが長い黒髪の女性に見えたらしい。
「ライラ。元気にしてたか?」
「まあね。あら違った。綺麗な男の人だったわ」
そこまで話した所で、ライラは客が待ってるぞと声をかけられた。何無駄口叩いてんだ、無駄口じゃないわよ、営業活動よと言い返す。
「行かなくちゃ。シャハーブ、今度また指名してよ。綺麗なお兄さんもよろしくね」
パタパタ足音をさせて、ライラはいなくなった。
日没後の少し涼しい風が日除のカーテンを揺らしていた。大皿の上に供された食事をあらかた食べ尽くして、ルネはアルノーを連れて壁際の絨毯席に移り水タバコ を頼んだ。持参した自前の民族衣装はルネによく似合っていた。アルノーは裾を捌いて、片膝を立ててシーシャを吸うルネに見惚れていた。
ルネはアップルミントの水タバコ を、よく見えるように少しアルノーの方を向いて吸ってみせた。アルノーは真似てゆっくりと吸い込んで、煙を吐き出した。ルネの後ろの空の最後の残照が、暗くなった空に赤みを残していた。ルネはこの旅で話したい事が沢山ありそうだな、とアルノーは思った。ぼんやりと、今、この景色を後で懐かしむことがあるかも知れないと感じていた。
◇◆ ◇◆ ◇◆
部屋に戻る途中、風に吹かれて外廊下を歩いていると、少し遠くから音楽が聞こえた。掛け声も打楽器のように短く響いてきた。
ずっとアルノーの腰に手を回して体を寄せていたルネが、
「遊牧民の位置が分かるまで、数日ここにいますから、明日の夜はあの音楽を聴きに行きますか?」
アルノーは黙って頷いた。
月のない、新月の夜だった。空は幾億の星が瞬いていた。
各部屋の入り口は中庭側を向いていた。部屋の手前でルネはアルノーの体を壁に預けて、斜め下から押し付けるように口付けた。どこかから、キャア……という小さい声が聞こえたので、それから部屋に入った。
「ルネ、何も説明とか要らないよ。話したければ話してもいいけど」
「そう言うと思ってました。でも、今後のために少し話しておきますね」
今回、二人で遊牧民に会いに行くのは今後の為なんだけど。その遊牧民はルネがシモンの潜入作戦を遂行している時に出会った民族。潜入時のルネの名前がシャハーブ。そして、ライラはダンサーで娼婦。数軒のオアシスの宿共通の。伝統的な踊りをショーとして披露し、彼女を気に入った客とベッドを共にする。後数人、カリマ、ノーラ、サミーラ……。
それが必要な事だったなら仕方ないし、ルネがアンリの記憶がない時のことを何にもいうことはないよ。
アルノーは本当にそう思っているし、とにかく、今はただルネがそばにいて、アルノーのことだけ考えてくれればそれでいい。
話しながらアルノーの髪を弄んでいたルネが、
「今はあなたに夢中です。あなただけ……」
アルノーはルネの下で揺さぶられながら思った。この旅に来なければ、いろんなことに蓋をしたままで済んだはずなのに、ルネはきっと許されたいんだろう。許せないことなんてあるんだろうか? ルネが居なくなる事の他に。
自分と同じ匂いのする、ルネの髪を掻き抱いた……。
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