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光に微笑む花の色② 隣国からの贈り物
コーグ国の城の壮大な広間は、先王が愛した絢爛な意匠に溢れている。世界中の宝石や絵画、骨董が、部屋中にきらびやかな輝きを放つ。
正直なところ、ショルカはこの広間が苦手だ。彩り豊かで豪華な装飾品に囲まれていると、自分が一層この世界には場違いな存在に思われた。
広間では、レラ国王のルタが大勢の従者とともに、コーグ国の新王を待っていた。ルタはショルカが現れると、初めて目にするその姿を値踏みするように眺める。その細い吊り目には、人の心を粟立たせるものがあった。アムアが先程語った印象とはかけ離れており、凄みの有る妖艶さで周囲を圧倒させるような男だった。
ルタの後ろに控えるレラ国の従者のうちの一人に、なぜか白いケープを被っているものがいることに、アムアは気づいた。顔どころか全身を覆うほどの大きなケープは、その者の足元以外全てを覆っている。寒冷なレラ国の者は一年中毛皮のブーツを履いているものだが、その一人だけが裸足だ。気になるが、城に入るときに武器は取り上げているはずだし、心配は無いか。年のため、近くにいた近衛兵に気を付けるよう合図した。
「初めまして、ようこそコーグ国へ。お会いできて光栄です」
ショルカは緊張を悟られないよう、できるだけ穏やかな笑顔を浮かべ、よく通る声でそう言った。
コーグ国とレラ国は、長年に渡り友好的な関係を築いてきた。寒冷な気候のレラ国で採れる天然の氷砂糖は、温暖なコーグ国に輸入されると飛ぶように売れる。コーグ国の太陽を浴びて育った果実と、雲を織り込んで作られる柔らかな布は、レラ国では高級品として愛されている。貿易面では互いに無くてはならぬ存在であり、また互いの国の王も、深い絆で結ばれていた。
先代までは、確かにそのはずだった。
「今日は、王冠をかぶっておられるようですね。どこかで落としては来なかったようだ」
レラ国の君主となって日の浅いルタの声は、明らかに敵意を孕んでいた。
「戴冠式の様子を、よくご存じでいらっしゃいますね」
アムアは露骨な売り言葉に戸惑いながらも、新王の後ろから口を出してルタに笑いかけた。
ルタはアムアを一瞥し、鼻を鳴らす。
「敵のことは、よく知っておかないと」
はっきりとは聞き取れないくらいの独り言のような声だったが、ルタは確かにそう言った。このコーグ国を、敵と呼んだ。
アムアは困惑し、青ざめた。容貌に艶と威厳が加わっただけではない。内面までも、以前の彼と変わりすぎているのだ。
その昔、アムアがまだ子供で城の雑用係をしていた頃、王子だったルタは何度かコーグ国にやって来ていた。まだ十代だった頃のルタは、動作や言葉の随所に優しさを感じさせる青年だった。明るい人柄ではなかったが、従者や年の近い者の前ではくつろいで、冗談を言うこともあった。
印象的な細い吊り目は、確かにあの頃と同じものだ。しかしそこには、隠し切れない棘が見て取れた。
二十年の間に、何があったというのだ?
つい最近レラ国は、海の向こうの小国に攻め入り侵略している。相手はもともとレラ国と海洋資源を巡って緊張関係にあった国だったから、気にはなっていたがそれほど深刻には考えていなかった。しかし、それは大きな間違いだったかもしれない。
ルタはショルカに向き直り、わざとらしく口角を上げて言葉を続ける。
「王冠に拒否されるなんて、王とは呼ばない方がよろしいのかもしれませんね」
「私はコーグ国王ショルカです。お目にかかれて光栄です、遠路はるばる本当にありがとう」
ショルカは間髪入れずにそう言い、威厳のある穏やかな笑みをルタに向けた。嫌味を受けて立ったように思われたが、ああ、これ緊張で相手の声なんて何も聞こえてないやつだな、とアムアは悟る。
しかし内情はどうあれ、その言葉はルタを黙らせるのには最適のタイミングで発せられた。有無を言わせぬ美しい笑みに、隣国の王は顔を引きつらせる。
今日のところは、何とかこの場を丸く収めたいと、アムアは思う。友好的な隣国であったはずのレラ国は、以前とは様相が変わってしまった。早急に対応を考えなければ……。
「偉大なレラ国王様は、わが新王のために贈り物を用意してくださったとか!」
アムアは明るい声でそう言った。とりあえず即位のお祝いの品を受け取って、先方の用を済ませてしまおう。慣例通りなら、彼らは長居はしないはずだ。
「贈り物、ね。この国にぴったりの品を、お持ちしました。お気に召すとよいが」
どうせ何らかの骨董や宝石の類だろう。あるいは、名産の氷砂糖でも大量に持ってきたか。アムアは退屈さすら感じるが、ショルカは期待に目を輝かせていた。
ルタが意味深な含み笑いを浮かべる。
「品をお見せする前に、コーグ国王にお聞きしたいことがある。魔法使いの伝説をご存じですか?」
魔法使いの伝説。無知なショルカも、流石に聞いたことくらいはあるだろう。海の向こうの大陸から伝わったという、童話とも伝説ともつかない、おとぎ話のようなものだ。
遠い昔、世界には魔法使いと人間が共に暮らしていた。魔法使いは自らが主と認める人間に出会うと、その生涯を主に仕えることに捧げた。そして一つだけ、主の願いを叶えた。魔法使いと言っても、魔法を使えるのはその一度限り。その後は、ただの健気な主従関係が続くだけだ。主が死ぬとき、魔法使いも共に息を引き取ったという。
古代の人間は清らかで、働き者だった。だからどんな願いでも叶えられると知っても、彼らが口にするのはほとんど祈りのような、何気ないことばかりだった。
家族が幸せでいられますように。
笑顔の絶えない人生を過ごせますように。
長い年月を、人々はそんな願いに守られながら生きてきた。子孫の何代にもわたり、生涯を共にした魔法使いと人間も少なくなかったという。
その生活に変化が訪れたのは、一部の人間のなかに欲という感情が出現し始めた頃だ。誰のものでもなかった大地を、皆で共に享受していた恵みを、自分だけのものにしようとあがき、そのために魔法を利用しようとして、まるで家畜を求めるように魔法使いを狩る者達が現れる。
しかし無理矢理捕らわれた魔法使い達が、願いを叶えることは決してなかった。彼らが叶えることができるのは、自らが主と認めた人間の願いなのだ。どうすれば主と認められるのか、その条件を知る人間が居なかったために、勝手な憶測から生まれたいくつもの迷信が生身の魔法使い達の体で繰り返し試された。満月の光の下で触れ合えば、主になれる。太陽が照らす中で体を撫でれば、主になれる。
それはいつしか、ほとんど拷問のような行為に形を変えていく。火に晒せば、水で責めれば、きっと降参して願いを叶えるだろう。
迷信はどれも当たらなかったし、どんな目に合わされても魔法使い達はその条件を教えなかった。それは、主と認めた人間だけに明かされるように、種族の本能に刻み込まれていた。
願いを叶えるという力を持つ点以外では、その肉体は人間とほとんど変わらないというのに、彼らは当然のように奴隷として売り買いされるようになった。何としてでも彼らを従わせて欲望を叶えようとする者は後を絶たず、そんな者たちに乱暴な扱いをされた魔法使い達は、弱った末に死んでいった。主と認めた人間と出会い、共に死ぬまで永遠に続くはずだった、数多の命が失われた。
こうして魔法使いという種族は、遠い昔にこの世界から姿を消した――子供騙しの展開が多いおとぎ話の中では異色な、残酷で救いのない物語だ。
「海の向こうから伝わったとされるおとぎ話ですよね。結末は悲しいですが、学ぶ教訓は多い気がします」
ショルカに代わり、アムアが答えた。流石にこんなやり取りは、覚えさせた台本の中にない。
「おとぎ話、か。まあ、そう呼ぶのも無理はないでしょう」
どこか馬鹿にしたように、ルタが言う。アムアとショルカの顔を交互に見た後、言葉を続けた。
「私も、そう思っていた。欲深い人間への戒めと皮肉を込めた、作り話に過ぎないと。しかし……」
ルタの口角が、一層得意げに吊り上がる。
「魔法使いは実在したんです」
アムアはそれを聞いて、内心溜息をついた。一体何の話だ、これは。即位の贈り物の話は、どこへ行ったんだ。
「贈り物をありがとう、親愛なるレラ国王。我が国の宝として、大切にします」
急にショルカが口を開く。おいおい、それは品を受け取ってから言う台詞だと、アムアは少しだけ焦りの色を見せる。
「宝として大切に……か。その言葉、忘れませんよ」
含みのある口調で復唱し、ルタは後ろに控えていた従者の一人に何やら合図した。そしてそのまま、言葉を続ける。
「魔法使いは、今の世にも生きています。唯一の生き残りが、今まさに此処にいる」
合図を受けた従者が、ある人物の腕を乱暴に掴み、向かい合って立つルタとショルカの間に引きずり出した。大きなケープを被った、裸足の人物。それは、広間に入ったときアムアが不審に思っていた、その人だ。引きずり出されたその人物は、そのまま力なく倒れこんだ。
立ち上がろうとしない弱弱しい姿に、心優しい新王が駆け寄ろうとする。アムアは、慌ててそれを制した。相手は、顔も、体つきも、性別も、ケープで隠されていて何もわからない。何か隠し持っているかもしれない。王を近づけるのは、あまりに危険だ。
アムアの焦りを見透かしたように、ルタが口を開いた。
「安心していい。こいつには何もできませんよ」
床に横たわるその人物を冷たい目で見下ろし、話を続けた。
「魔法使いの伝説には、続きがあります。彼らが滅びたとされた後も、ある小国の王が生き残りを隠し持っていたんです。どんな欲深い願いがあったのかは知らないが、主とは認めてもらえずにいるうちに、魔法使いの存在が別の君主にばれてしまう。その国は滅ぼされて、魔法使いは奪われる。しかし奪った国の王もまた、主とは認めてもらえなかった。そしてまた、魔法使いを欲した別の国に滅ぼされる。繰り返しです」
そこまで言うと、ルタは大げさに溜息をついてみせた。
「長きに渡る奪い合いの中で、最後の魔法使いはこう呼ばれるようになります。『崩落の華』と。魔法使いを手に入れた国は、その後必ず滅ぼされることに由来しているのでしょうね」
ホウラクノハナ。酷い話だ、ショルカは思った。魔法使いは身勝手な人間の争いに巻き込まれただけだというのに、その者のせいで国が崩落したとでも言いたげな二つ名じゃないか。苦虫をつぶしたような表情のショルカに構わず、ルタは話し続けた。
「私が海の向こうの敵国を滅ぼしたのは、つい最近のこと。海洋資源を巡って対立していて、長きに渡り一触即発の状態でした。先代の王――父はうまく戦争を回避していたが、私は気が短いのでね」
ルタの口調が、自慢げになった。戦果をあげたことが、よっぽど誇らしいのだろう。
「まさかあの国の王が『崩落の華』を所有していたなんて、知りませんでした。私は別にこんなものが欲しくて、戦争したわけじゃないんだ」
言い終えると、冷酷な目をした隣国の王は、目の前に横たわる人物を覆うケープを乱暴に剝ぎ取った。
飾り気のないケープの下から現れたその姿を初めて目にした者達が、揃って驚愕する。透き通るような白い肌に、輝く黄金の髪。誰も、こんな色をした体を見たことがなかった。
力なくうつむいているせいで長い金髪がその顔を覆い、面差しや表情はわからない。しかし、その痛々しいほど痩せた姿と、荒い息遣いから、ひどく弱っていることは確かだった。
ショルカはアムアを振り払い、その体に駆け寄った。膝をついて近くでよく見れば、薄く粗末な、まるで囚人のような服一枚を纏っている他には、何も身に着けていない。寒冷なレラ国からこのなりで連れてこられたのなら、さぞ辛かっただろう。自らのローブを脱ぎ、その折れそうに細い体を優しく包む。
ルタは口元に下卑た笑みを浮かべ、ローブをかけられた華奢な背中を顎で指した。
「これが、この世界で最後の魔法使い、『崩落の華』です。呪われた二つ名を持ってはいるが、主と認めた人間の願いなら何でも叶えてくれるらしい。私は欲しいものは自分の力で手に入れるし、そんな縁起の悪い奴をいつまでも手元に置いておく気はない。だからあなたの即位のお祝いに差し上げよう」
ルタの細い目が、ショルカを見つめる。睨んでいるような、笑っているような、挑戦的な表情だ。
「毛色は変わっているし、男だが、華と評されるのには納得の美貌ですよ。まずは顔を見てみるといい、あなたも気に入るかな」
「もう気に入った」
ショルカはそう答えると、金髪を強引にかきあげようとしたルタの手から守るように、華と呼ばれたその体を抱き寄せた。
拒否されて気分を害したルタは、あからさまに敵意のこもった瞳でショルカを見る。今度は、明らかに睨んでいた。
「『崩落の華』を贈られるなんて、まるで次に滅ぶのはこの国だと暗示されたように感じたか?寛大なコーグ国の王が、まさかそんなことを気にするはずがないと思うが」
「ああ、全く気にしない」
美しい王は、野心的な王の目を見つめ、はっきりとした声でそう言った。
ルタが次に告げる挑発の言葉を選んでいると、ショルカは崩落の華を抱きかかえて立ち上がり、自らの従者たちに声をかけた。
「この隣国からの贈り物に、風呂と寝室を準備してくれ。それと、教えてほしい。今すぐに準備できる食料はどれだけある?」
「宴でも開くのか、こいつのために。呪われた華を、ずいぶんとお気に召したようで何よりだ」
自分よりずっと背の高いショルカを、忌々しそうに見上げるルタ。ショルカはその眼差しを、受けて立つように見返した。
「食料は、あなたたちに贈ります」
「私たちに?なぜ」
困惑した表情のルタに、ショルカが答える。
「顔色が悪い。あなたも、従者たちも。戦争を終えたばかりで、物資が足りていないでしょう。今日のところは、用意できる分だけ受け取ってください。また追加で贈らせてもらう」
その言葉を聞いて、アムアは焦りを隠しきれない。物資を贈るだって?何を勝手に言い出すんだ。そんなこと、台本にないじゃないか。
ルタは明らかに、遅かれ早かれ我が国と戦争を起こそうとしている。そんな隣国を相手に、救援するなどもってのほかだ。レラ国が物資を手に入れて国力を上げれば、戦争を仕掛けられる日が早まってしまう。
不意に、レラ国の従者たちがアムアの目に入る。気にも留めていなかったが、確かに顔色の悪い者が多いように感じる。ルタの顔つきが以前より狡猾そうに見えるのも、やつれたことが原因の一つだ。
「あなた達が望むなら、風呂も食事も準備します。泊まって疲れを癒してくれれば」
続いて発せられたショルカの言葉に、アムアは頭を抱える。また、勝手なことを。どうしてここまで好戦的な相手を、もてなそうとするのだ。
「……いや、私たちはもう引き上げる。また会える日を楽しみにしていますよ」
思いもよらないショルカの態度に、ルタは嫌味を言う気を失くしたようだった。従者たちに合図し、広間から出て行こうとする後ろ姿に、ショルカが声をかける。
「あなたと全てを理解し合える日は、来ないかもしれない。でもレラ国が困っているなら、私は友好国の王として助けたいと思います。だから、遠慮せずに物資を受け取ってほしい。私の尊敬する人も、同じようにしたはずだから」
尊敬する人。先王とは言わなかったな。アムアはそう思いながら、懐かしい先王の顔を思い浮かべた。彼なら、この状況で物資を贈ったりしない。寛大で慈悲深かったが、それはあくまで味方へ見せる顔だ。敵とみなした相手には、躊躇なく冷たい判断を下す人だった。優しいだけの人物ではなかった。だからこそ、名君だったのだ。
ショルカの言う尊敬する人が誰なのかは、わかっている。その人のことを思い浮かべると、アムアの胸は締め付けられるように痛んだ。気を取り直すように、まっすぐ新王の姿を見上げる。
彼の容姿は逞しく端麗で、心もそれに劣ることなく、清らかに澄み渡っている。誇りに思うべき人物であることは間違いない。しかし、一国の王としては……。
ルタが最後に振り返り、ショルカの姿に一瞥を投げ、わずかに唇を動かした。何かを言おうとして止めた、その一瞬の表情だけは確かに二十年前のルタのものだったと、アムアは感じた。
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