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光に微笑む花の色⑫ 私の居場所

 レラ国による、コーグ国へ向けた進軍は、想像していた以上にはやく開始された。  ついにこの時がきてしまった。ショルカは自室で立ち尽くし、目を閉じた。沈み始めた夕日が、部屋をオレンジ色に染めている。  物資を贈るべく馬車でレラ国の城へ向かっていた従者たちが、遠くで進軍しているレラ国の歩兵軍に気づき、すぐに引き返して報告した。いくつもの大砲を引いている多勢の歩兵軍は、確かにコーグ国へ向かっていたという。まだ国境より先にいるが、このままでは夜が明ける前に我が国にたどり着き、攻め込むだろう。  引き返してきた従者のうちの一人が、息をきらしながら王の前に立っている。演説の日、物資を運ぶと率先して願い出た従者だ。 「……陛下、開戦です。もはや、我が国の意志は関係ない。戦争が、始まります」 ショルカは、双眸を閉じた。不思議なことに、震えは無い。  届かなかった。私のやり方では、何も守れず、救えなかった。  その敵意に気づいていたのに、隣国を友と呼び続け、一番の側近を死なせた。そして今、この国は戦火に包まれようとしている。  信念が、間違っていたとは思わない。しかし、王としてはあまりに愚かだったのだろう。 「……民だけは、守らなくては」 私は今日死んでいくとしても。そう呟きながら、頭の中にこの世界で最も愛しい者を思い描いた。  出発を急がせてよかった。馬車が無事港に着いていれば、もう海を渡って、とっくに島に到着しただろう。フィレーヒアは気持ちのいい奴だから、きっと皆に愛される。今まで辛い思いをしてきた分、あの楽園みたいな島でどうか平和に生きて欲しい。魔法使いなんて伝説上の存在で、どこを探しても居はしないのだから。 「陛下、ご決断を。兵を挙げるよう、命じてください。レラ国は友好国じゃない。もはや、正真正銘の敵国だ」 瞼を持ち上げたショルカが唇を開き、舌を震わせる。絶対に言わないと決めていた言葉を、言わねばならぬ時が来てしまったのだ。  会いたい。何もかもが終わりに近づいているこの瞬間に、ただ彼に会いたいと思った。  魔法なんか使えなくて構わない。目がくらむような美貌に惹かれたんじゃない。数多の傷を負いながらも私の前で微笑んで見せた、その強さに焦がれたんだ。  部屋のドアが蹴破るように開いた音で、ショルカは我に返る。 「ショルカ!」 その細い腕が立てたとは信じられないドアの響きが止まない中で、まさに思い描いていた声が、王の名を呼んだ。  フィレーヒアは部屋の中を進み、自らの額をショルカの額に合わせた。二人は、ぴったり同じ身長だ。まるでお互いを映し合うために生まれてきたかのように、等しい高さに瞳がある。 青と緑が混じったような、そのどちらにも見えるような不思議な色の双眸が、ショルカを映す。 「……なんで、戻ってきた?」 愛しい頬を確かめるように撫でながら、ショルカが問いかける。 「私の主は、お前一人だからだ」 即答するフィレーヒアの声が、部屋に響いた。 「この広い世界には、優しい人間も恵まれた国も、きっといくらもあるだろう。でも、私が愛しているのはショルカだけだ」 フィレーヒアの大きな瞳の中に、自分がいるのが見える。居場所だ、と王は思った。これを、私はずっと探し続けていた。絢爛な城の片隅で、自らの場違いさに泣く少年だった日から、ずっと。 「ショルカ、お願いだ。私に、お前の願いを叶えさせてくれ」 フィレーヒアが、ショルカの胸を叩いた。 「お前が願うなら、どんなことだって受け入れて叶える。国が滅ぶのを阻止するよりも、失われてしまった愛する者に会いたいというのなら、それでもいい」 天上においても異端とされるほどの美貌が、まっすぐにショルカへ視線を投げた。 「魔法使いの愛は決意だ。どんなことがあろうとも、生死を共にすると決めることだ」 「フィレーヒア」 ショルカは、宝物のようにその名を呼んだ。  私は王として、この国を守らなければいけない。自分にはその義務があるのに、罪悪感に支配された脳裏には、アムアの顔がずっと浮かんでいた。  王が迷いを振り切るように、フィレーヒアに告げる。 「願いを叶えてくれ。どうか、争いを止めて欲しい。誰もが幸せで、笑顔でいられる世界が、私の願いだ」 その刹那、扉の開いたままだった部屋の中へ、数人の従者が駆け込んでくる。その中の一人が、大声で叫ぶように王に言った。 「陛下、聞いてください。驚くべきことが」 驚くべきこと……。反芻し、ショルカは後に続く言葉を待った。 「レラ国の歩兵軍が、国境を超える前に進軍を停止しました。皆、引き返していきます」 ショルカが目を見張る。 「引き返した……?」 「代わりの軍が来るのかとも思われましたが、その様子もありません。念のため引き続き注視しますが、これは完全に撤退の模様です」 ショルカの体から、力が抜けた。戦争が、回避されたのだ。  その体を支えるように、フィレーヒアが王を抱きしめる。彼にはいつもこうして、支えられてばかりだ。  また、あの銀世界を思い出す。駆け回る途中で足を取られ転んだけれど、雪に受け止められ、少しも痛くなかった。そのひんやりした感触は、心を温めるように優しく、体をしっかりと包んでくれた。

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