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●Another story 追憶①
海神と呼ばれた男が居た。小さな島国の王子であった彼は若い時分から伝説的な武力を誇り、立ち向かう者は皆泡のように薙ぎ払われた。龍にも例えられたその強靭な体には、硬い鱗が生えているなどという噂が囁かれていた。
彼は王の長子ではなく、そして母は妾だった。その出自から王族の間では長く冷遇されていたけれど、目覚ましい戦果で周囲を圧倒し、遂には一国の王に上り詰めた。彼にはこの大地を取り巻く海の加護があるのだと、民は信じて止まなかった。
しかしその体は、海の向こうから来襲した氷の大国の刃によって、あまりにもあっけなく貫かれた。大海原と同じ色に輝く愛用の鎧の下には、柔い肌があるだけだった。命乞いこそしなかったものの、眼前に迫った死を前にして震える男の姿は、脆弱な人間に他ならなかった。
私は海神から奪い取った玉座の上で、主を失った城の広間を見渡していた。逸話の数知れぬ存在ではあったが、所詮は小さな島の王だ。周辺国の井の中で跳ねまわっている蛙など、大陸を震わせる冬将軍の敵ではない。
勝利の余韻に浸る私の耳に、空気の読めない能天気な声が響く。
「期待してたのに、大した敵じゃありませんでしたねぇ。ねぇねぇ、今回は私にはどのくらいの褒美をくれるんですか?かなり、いい働きしたと思うんですけど」
「……私の指示通りに動いただけだろう」
「そ、そんなことないですよ。そもそも、兄上は頭が切れすぎて、考えを理解して付いていくのだって普通の人間には難しいんですから」
思っていた通りの言葉が貰えずに、弟は不満げに唇を尖らせた。成人の儀を済ませて久しいとは思えない幼稚な表情。私とは十以上も年が離れているとはいえ、それを差し引いてもこいつは随分と子供っぽく見える。母親にそっくりな丸い目とゆるい巻き髪のせいもあるが、何より表情が少年の様だ――悪い意味で。
私も同じ母の血を引いているはずなのに、この弟には微塵も似ていない。やや吊り上がった細い目は、妖しげだとか艶があるとかいう麗しい表現で飾られることが多いけれど、そんなものは君主に対する気遣いに過ぎないことぐらい知っている。鏡を覗けば、蜥蜴を思わせる陰気な顔をした男が、いつも冷たい目でこちらを見ている。
「しかし、それにしても……ハナ、って何でしょうね」
拗ねるのも早ければ機嫌が直るのも早い弟が、懲りることなく私に話しかけてくる。
ただ、彼が口にしたその内容については、確かに気になっていたことだった。
「……確かに、少し引っかかるな」
「ですよね。でもこの島、花なんか大して生えてないじゃないですか。何だろう、人の名前とか……?」
弟が、不思議そうに首を傾げる。
ハナ。それは、処刑される寸前に、海神が最後に残した言葉の一部だ。
――ハナに触るな。ハナは、私のものだ。
敗北という屈辱に打ちのめされ、迫りくる死の凶刃に慄きながら、彼は震える唇で確かにそう言った。
「でも、捕虜にした王族の中に、ハナなんて名前の者は居ませんでしたしねぇ」
「本名とは限らないだろう。美しい女人を、花に例えて呼んでいたのかも」
「うーん……でも、后はいませんしねぇ。そもそも、即位してから随分な年数が経ってるのに、まだ后を娶っていないっていうのも珍しい話ですよね。普通は跡継ぎのこととか考えて、その辺のことを真っ先に進めそうですけど」
確かに、不思議ではある。私だって即位してすぐ、有力な側近の娘と婚姻を結んだ。絵にかいたような政略結婚で、そこに愛なんかは一切無いけれど。
孤独な王が残したハナという言葉の意味に、兄弟揃って首をかしげた時だった。
広間の扉が開かれて、城の中を物色していた軍隊長のセーグが、部下をわらわらと引き連れて戻ってきた。
「陛下、素晴らしい宝を見つけましたよ」
セーグは、城の中で見つけた宝飾品をいくつも体中にぶら下げていた。これ見よがしに胸を張り、端正な顔に得意げな笑みを浮かべている。
「ほう、これはまた、大量に見つけたな。どれも、相当な価値がありそうだ」
「ははは、こんな宝石のことじゃありませんよ」
巨木のように逞しい彼はそう言うと、部下の人波の中へ割って入り、ある人物を引きずり出した。兵士たちに囲い込まれていたのは、鮮やかなドレスを纏った女人だった。
縄で後ろ手に縛られたその女を、セーグは私の居る玉座に続く階段のすぐ下まで連れてくる。
「王の寝室に、隠し部屋がありましてね。そこに隠れていたんです。かなり巧妙な作りでしたよ、私じゃなかったら見逃していたでしょうね」
女は深く俯いており、顔立ちはよくわからない。赤い艶やかな生地に包まれた細い肩が、小刻みにカタカタと揺れている。その身に纏う深紅よりも、腰まで流れ落ちる金髪が眩かった。
「后は居ないと聞いていたが……傍に置いている女人は居たのか」
「この娘が、ハナですかね?」
弟が、おどけた口調で言った。眼下で震える痩身へ、くりくりとした大きな目には不釣り合いなぎらぎらとした視線を向けている。無垢な印象を与える女顔とは裏腹に、こいつは好色な性質をしているのだ。
「殿下、流石ですね。そうです、これが……『崩落の華』ですよ」
怯え続けている体を弄ぶように小突き、セーグが言った。
「ホウラクノハナ……?」
「あれ、陛下、ご存じありませんか?」
「いや、聞いたことはあるさ。しかし……」
私は眉根を寄せ、顔をしかめた。
かつてこの大地で人間と共生していたといわれる、魔法使いという種族。主と認めた者の願いならどんなものでも叶えるという力を有していたために、ある時をさかいに乱獲の対象となり、程なくして滅んでしまった――ただ一体を残して。その生き残りを手に入れるために数多の戦争が繰り返され、それは今もどこかで続いている。
そんなものは伝説や寓話の類だろう。まさか、実在するはずがない。
「噂は、前からあったんですよ。海神が王として即位する決め手となったのはとある戦争で大勝を上げたことですが、それは最後の魔法使い『崩落の華』を巡って起きたものであると。だからきっと、この島のどこかに匿われているはずだと……」
「噂は噂だろう」
私は、セーグの話を遮った。そんな夢物語に付き合っていられない。
「そもそも、そいつのどこが魔法使いなんだ。どこからどう見たって、私たちと同じ人間じゃないか」
「陛下も頭が固いですね。でも、証拠ならありますよ」
セーグが、立ち尽くしていた女の、ドレスに包まれている腿の裏辺りを蹴り上げた。ぐらりとよろめいて床に膝をついた彼女の煌めく金髪を、乱暴に掴み上げる。ずっと俯いていたその面差しが露になった。
「見てくださいよ、この顔立ちが証拠です」
顔が、何だって言うんだ……。ほとほと呆れながら、示されるままに視線を落とした。
仕方なく瞳に映したその目鼻立ちに、思わず息を飲む。
確かにこの麗しさは人間が持ち得る範疇を超えているものだと、瞬時に納得した。魔法使いという種族は、天界でも異端となるほどの美貌だから地上へ追われて来たのだという言い伝えが、肺腑に染みた。これほどまでの姿形をもつ者が存在するのであれば、魔法だってこの世にあってもおかしくない。
あまりに惹きつけられ、呼吸をするのすらおろそかになってしまった。それは、私の傍らに居た弟も同じだった。
「何て美しいんだ……。こんな女、初めて見た」
呆けたような声で感嘆を漏らす弟に向けて、セーグが口端を吊り上げた。
「女じゃありませんよ」
「えっ?」
「こんなドレスを着てるから、私も最初騙されましたけどね。体を改めさせてもらったら、違ったんです。男でしたよ」
凛々しい軍隊長で通っている男は、下卑た色を顔に浮かべながら上唇をぺろりと舐めた。この様子だと、確認しただけではなくて、たっぷり悪戯もしたに違いない。
「これだけの美貌で、男だって?最高じゃないか。女はほとほと食べ飽きてたんだ。そっちの方が、ずっと面白い」
らんらんと瞳を輝かせた弟が、下手な口笛を吹きながら階段を下りて行く。途中で、くるりと振り向いた。
「せっかくだから遊びましょうよ。兄上も一緒にどうです?」
「いや……私はいい」
「ノリが悪いなぁ。まあ、段上からも目で楽しめるようにしてあげますね」
うきうきとした様子で、弟は魔法使いの傍に歩み寄った。
セーグと弟は、哀れな魔法使いの体を左右で挟んで立つと、その頬や首筋をべたべたと撫でまわした。その感触を暫く楽しんだ後で、おおよその予想通り、彼らの手は鮮やかな赤い布地に包まれた胸元へ伸びていった。
「そろそろ、顔だけじゃなくて体も見せてもらおう」
弟が欲に濡れた声で言う。二人の手が布を破き、薄い胸元を露にした。
「へえ、確かに女の胸じゃないな。まっ平だ。しかし、綺麗な色をしているものだな」
胸に咲く薄紅色の小さな尖りを、弟が食い入るように眺めている。
魔法使いは後ろ手に縛られて膝をつかされた体勢のまま、ぶるぶると震えるばかりで一切の抵抗を見せなかった。流麗な金髪を掴まれて俯くことを許されないその顔は、ただ虚ろに絶望だけを浮かべていた。それはたちまち全身の衣服を奪われ、一糸纏わぬ丸裸にされても、微々たる変化すら見せなかった。
「へえ、正真正銘の男だ。竿も玉も、ちゃんと付いてるな」
「怯えて縮みあがってるにしても、だいぶ小さめですけどね。陰毛も生えてますよ。薄いけど」
「髪と同じ黄金色だな」
恥部を凝視され、笑われても、その瞳は動かない。
肉体が感じる恐怖が生理的に身を震わせているだけで、もうこいつの心は壊れているのだろうと、私は思った。これだけ美しい上に奪い合われる対象となれば、果てしなく長い年月の間、その身を弄ばれて生きて来たのだろう。その証拠に、白皙の肌は傷だらけだった。滑らかな皮膚の上を、乱暴な情事を思わせる痕跡がいくつも散っている。
哀れではあるが、正気が無いのはむしろ救いだろう。そう思った時だった。
「やめろ……!」
胸の尖りを摘ままれた魔法使いが、可憐な唇から掠れた叫びを発した。その声音はあまりにも小さく、それが彼のものだとわかるまでに時間を要した。
――壊れていたんじゃ、なかったのか……。
驚かされたものの、その抵抗は逆効果だ。あまりにも力のない抗議は、弟とセーグを更に楽しませることになった。
「ほう、喋れるんだな。いつまでも人形じゃつまらないなって、ちょうど思ってたところだ」
色素の薄い二つの先端が、それぞれ別の男の手によって嬲られ始めた。玩具にするには小さすぎるそれが、こねられ、潰され、つねられる。
「はなせ……!」
叫びと呼ぶには掠れすぎている響きが、またも零れた。
悲しい程に弱弱しい抗議は、弟の唇によってねじ伏せられた。凶暴なキスが、美しい男の口内を犯し尽くす。その間も、胸元の蕾は絶えず蹂躙され続けていた。
やっと唇を許された時、魔法使いの下半身に起きていた変化に、二人が気づかないはずはなかった。
「こいつ、勃ってますよ」
「胸をいじくられて、キスされただけで反応するのか。嫌だとか言いながら、喜んでいたんだろ」
この淫乱。耳元で何度も囁かれて、魔法使いの大きな目に涙の膜が張る。もう動作しないと思っていた表情筋が、その美貌を歪ませ始めた。
セーグの手が、柔らかそうな金色の茂みの下、首をもたげた果実へ伸びていく。許しを乞うさまを堪能するように、ゆっくりと。
「さわるなっ……やめろ……」
その懇願は散々二人を楽しませた末に、聞き届けられることはない。
「ああっ……!」
「ほら、気持ちいいだろう?たっぷり扱いてやるから、遠慮せずに感じていいんだぞ」
「やっ、う、うう……」
「それとも、先端をぐりぐりされるのが好きか?」
「やっ、やだ、あああ……!」
瞳に張っていた透明な膜が破れ、上気した頬に雫が流れ落ちた。彼がどれだけ頭を振ろうが、凌辱が止むことはない。ただ、ぽたぽたと涙の粒が散るだけだ。
「そのくらいにしておけ……」
見るに見かねて段上から制止の声を上げたが、いたぶることに夢中になっている二人には聞こえないらしい。それか、聞こえないふりをしているのか。
戦で勝利をあげる度、こいつらはいつもこうだ。捕虜の中から目ぼしい者を見つけては、欲望の捌け口に使っている。味方ながら、汚らしい連中だと思う。
しかし、私とて例外ではない。彼らと寸分違わず、この身を流れる血は汚濁している。悪趣味だと呆れながら、我が国で絶大な力を誇る彼らの機嫌を損ねるのを恐れて、いつだって必要以上に傷つけられる捕虜たちをただ静観してきたのだから。
眼下では、拘束されたまま体の中心をひたすらに嬲られていた彼が、細い喉を仰け反らせている。望まぬ絶頂が、すぐそこまで迫っているのだろう。
「っ、う、ああっ……」
「声が蕩けて来たな。死んだ主君の玉座の前で腹に付くほど勃ち上がらせて、淫乱め。このままじゃ気の毒だ、吐き出していいぞ」
「いや、いやだ……」
「親切心のわからない奴だなぁ。まあ、せいぜい我慢してみろよ」
性器を扱き上げる手の動きが激しくなる。色素の薄いそれの先端から溢れる雫が、軍隊長の指を湿らせている。喘ぎとも叫びともつかない声音と、恥部を擦られる淫猥な水音が重なって、敗戦国の広間に響いていた。
「あ、あァ、もうっ……」
「おっ、限界か?強がってたわりに、大して堪えられないじゃないか」
絶え間ない責め苦に、上下の唇を閉じ合わせる力さえ奪われた魔法使いが、張り詰めた果実と内腿を震わせている。
「一番恥ずかしい瞬間の顔は、我らの王様に見てもらおうな」
小さな白い顎が、弟の手によって掴まれる。美しい顔が、段上の玉座に居る私の方へと向けられた。
とめどない涙に洗われた瞳と、視線がかち合う。宝石に例えるのも役不足な彼の目は、見れば見る程不思議な色をしていた。青にも見えるし、緑にも見える。二色が混じっているような、同時に存在しているような……表する言葉にも迷わされる、唯一無二の彩色だ。
しかし、なぜだろう。私はこの色を知っている。確かに、どこかで目にしたことがある。
――いつだ?どこで見たんだ?
封印されていた記憶の蓋が開きそうになった刹那、彼が喉を震わせた。
「っ、あああ……!」
哀れな性器から、白濁が散る。かつては天上を舞っていたはずの麗人は、地上を這う男の手によって、惨めな絶頂を味わわされていた。
気をやったばかりの魔法使いの体が、広間の床を覆う絨毯の上に投げられる。彼はされるがままに、大人しく虚ろに天を仰いだ。
床の上で横たわる美しい男が、せめてもの抗いのように閉じ合わせていた足は、セーグによって大きく開かされた。長い両脚の間に陣取った軍隊長の目当ては、さっきまで玩具にしていた竿やその下の二つの玉より、更に奥にあるものらしい。
無類の女好きではあるが男を嬲るのは今回が初めてだという弟が、セーグの手慣れた指が向かう先を、興味津々に覗き込んでいる。
「殿下、男が相手の時は、此処を使うんですよ」
弟にとっては戦術学の教師でもあるセーグが、まるで授業をするときのような口調で、魔法使いの股の間を指し示す。
「ふうん、尻の穴なんて女のものでも眼中になかったが……伝説の華ともなるとこんなところまで綺麗だな」
もっと見たいな。何とも楽しそうな弟の声に後押しされて、セーグの指がのびていく。秘された蕾に触れた瞬間、壊れた人形のようにじっと動かなかった白い肢体がびくりと跳ねた。脳が命じた動きではなくて、反射によって勝手に起きるものだろう。それは二人の目を楽しませたようで、軍隊長はそこを繰り返しちょんちょんと刺激する。
普通に生きていればまずこんな風に衆人の眼下に置かれることの無い不浄の場所を、魔法使いは晒され、ひたすらに突かれていた。
「かなり狭そうだけど、こんなところが本当に使えるのか?」
「ええ、慣らす必要はありますけどね。あと、女みたいに濡れないから、通常は滑りをよくするために油とかを塗るんですが……私の指はもうたっぷり濡れてるんで、これで代用しましょう」
責め抜かれた魔法使いが垂らした大量の先走りと、無理やり吐かさせられた精液で、セーグの手はぬるりと光っていた。それを潤滑油に、後孔へ指が差し込まれていく。
「は、ぅ……」
華がわずかに目を細めながら溢したのは、もはや悲鳴でも喘ぎでもないただの息遣いだった。もう何もかも諦めて力尽き、体の内部まで差し出しながら鳴らしたその音は、今まで彼が口にしたどんな懇願よりも憐憫を誘った。
「へえ、随分と簡単に飲み込むな。こういうものなのか?」
「いや、こいつが特別ですよ。これは、相当調教されてますね。柔らかいのに、きゅっと締め付けてくる。あの海神が后をとらなかったのは、きっとこの名器に夢中だったからでしょうね」
「なるほどな。もう辛抱ならない、そろそろ貸せよ」
弟が、自らのベルトに手をかけた。
「……おい、もうそこまでにしろ」
「殿下の次は私ですからね」
「お前はどうせ先に味見したんだろう?」
「口で咥えさせただけですよ。下はまだ……」
「聞こえてるんだろう、お前ら!もう終わりだと言ってるんだ」
度重なる無視をされた後に、けたたましい声を発した私の方へ、二人は流石に視線を向けた。
「兄上、何を怒ってるんです?」
「終いにしろと言うのを聞かないからだ。いつまでもこんなものを見させられる身にもなれ」
「えー、いつもは何だかんだ気が済むまでやらせてくれるじゃないですか。一体どうしたんです……こいつがあんまり綺麗なんで、絆されちゃいました?」
「黙れ!」
恫喝しながら、自分の頬が熱を帯びるのがわかった。
彼らの言う通りだ。いつだって捕虜がどんなに蹂躙されようと我関せずを貫いてきたのに、今回に限って吐き気がするほど心がざわついている。
しかし、それは絶世の美貌に絆されたからではない。不思議な色に輝く光彩が、ある記憶を呼び覚ましたからだ。
この瞳が濁る前の、この掌が汚れる前の、遥か遠い日の記憶を。
それを振り払うように、私は喉奥から声を絞り出した。
「……殺せ。いつまでも弄んでないで、その男を殺してしまえ」
「ええっ、殺しちゃうんですか?連れて帰りましょうよ、伝説の魔法使いですよ?」
「『崩落の華』なんていう呪物を我が国で飼うなんて、冗談じゃない。ここで始末しろ」
「でも……」
弟とセーグが渋い顔をする。
「せめて、もうちょっと遊んでから……」
「ふざけるな。お前らがやらないなら、私が引導を渡してやる」
私は玉座から立ち上がり、彼らのもとへと駆け下りた。腰の剣を鞘から抜き、横たわる魔法使いに向かって振り上げる。
「兄上、落ち着いて……」
「止めるなら、お前も斬るぞ」
弟の顔が引きつる。人望に乏しい君主で、自分やセーグが居なければ何もできない存在だと内心馬鹿にしている兄が牙をむいたことに、慄いたらしい。
「わかった、わかりましたよ……。あーあ、勿体ないなぁ」
やれやれ、といった様子のため息と共に、二人にとって不完全燃焼な凌辱はここで終わりを告げた。
私は剣を担いだまま、魔法使いを見下ろした。ただ処刑の照準を合わせるために睨んだ先に、煌めく瞳が映り込む。
ただ一瞬。それは、本当に一瞬のことだったのに。
私の手は、この男に剣を突き立てることはできなかった。
華は白い足を投げ出し、ぐったりと横たわったまま、刃よりも真っすぐな視線を私に向け続けていた。
「結局、殺さないんだもんなぁ」
「うるさい。利用する方法を思いついたからだ」
「とか言って、惜しくなっただけでしょ。ずるいなぁ、馬車の中で一人で味見するつもりでしょう」
かつて海神のものだった城の外、敗戦国を発つために馬車に乗り込もうとする私の後ろで、弟が憎まれ口を叩いている。
「私の目が無かったら、お前らが自分の馬車に引っ張り込んでさっきの続きをするのが分かり切ってるからだ。いつまでもぶつくさ言ってないで、さっさと出発するぞ」
整っているのは顔ばかりの弟を追い払い、疲れた肩を回した。
私の傍らには、捕虜用の衣服を着せられた魔法使いが、相変わらず腕を縛られて立っている。
あの広間で眺めていた時にはわからなかったが、この男はなよやかな顔のわりにかなりの長身だった。それでも、すらりと背の高い弟や、軍人らしい大男のセーグからしてみれば女の代わりにするのにちょうどいい体格なのかもしれないが、こんな傷だらけの痛々しい体なんぞによくあそこまで劣情を抱くものだ。
「……先に乗れ」
そう促しながら、ふと華の横顔を見上げた。その時、何の気なしにもたげた首の角度が、既に中身を覗かせていた記憶の蓋を、完全に叩き落とした。
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