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第7話 眠り

インターホンの音がしつこく鳴り続けた。 布団の中で耳を塞いでも、止まらない。 胸が潰れるように苦しくなり、透は耐え切れずに玄関へ足を引きずった。 重い扉を少しだけ開けた瞬間、冷徹な瞳が突き刺さる。 「……部長……」 「遅い」 掠れた声を零す間もなく、強引に部屋に踏み込まれた。 散らかった室内… 脱ぎ捨てられたスーツ、積まれたままの資料、放置された洗濯物。 すべてを見られ、透は思わず俯いた。 「勝手に……入って……」 弱々しい抗議に、冷たい声が返る。 「黙れ。無断欠勤したお前が悪い」 何も返せず黙った。 「逃げたな」 部長の視線は冷徹だった。 「……もう無理なんだ」 掠れた声が勝手に漏れる。 「それが責任を背負うと決めた人間の言葉か」 胸が詰まる。 「辞める。辞めて……責任を取る」 「簡単に言うな」 椅子に腰かけ、脚を組んだ部長の声は冷たいままだ。 「代わりはいくらでもいる。だが――お前の逃げは俺が許さない」 部長の胸を突き刺す一言に、足から力が抜けていく。 支えを失ったように、その場に座り込んだ。 視線を上げれば、部長の冷徹な瞳。 拒絶も哀れみもない。 ただ、逃がす気はないと告げる絶対の意志だけが宿っていた。 「立て」 短く言って腕を上に引っ張り立たせる。 そのまま、ベッドに寝かせられた。 部長は、キッチンへ向かった。 鍋に水の張られる音、米の擦れる音、火のはぜる音。透は布団の中からその一つひとつを聞いていた。 やがて、湯気の立つ椀が差し出された。 「食え」 「……いらない」 「食え」 部長は匙ですくい、透の唇に押し当てた。 温かな雑炊の匂い。拒もうと顔を背けても、顎を掴まれて口を開かされる。 熱が舌に広がり、米粒が喉を滑る。 味は薄い。けれど空腹の胃に落ちる感覚が、あまりに鮮明で、胸の奥が揺れた。 「……どうして……」 弱い声が零れる。 「お前がどうなろうと関係ない。だけど、会社に迷惑をかけるな」 返ってきたのは、やはり冷徹な言葉だった。 *** 夜更け。 透は本当に熱が出ていたらしい… 窓の外で車のライトが流れていく。 透は布団に横たわり、眠れずに天井を見つめていた。 残りの家事を終えた部長がこちらに来る。帰る気配はない。 「……もう帰ってくれ」 かすれた声。 部長は何も言わず透の横に入り、頭の下に腕を滑らせて胸元に抱き寄せた。 「……鬱陶しいなら、本気で拒め」 声は冷たい。けれど腕は強く、そして優しく、透を囲んでいた。 驚いたし、ほんの少しの抵抗はしたものの、抗う気力が残っていない。 それに、嫌で嫌でしょうがないはずなのに、胸の奥に広がるのは、恐怖でも嫌悪でもなく、どうしようもない安心感だった。 (……眠れない、はずなのに……) 毎晩、暗い天井を見つめ続け、時間だけが過ぎていた。 けれど今は違う。背に伝わる体温と一定の呼吸が、透の心臓を落ち着かせていく。 瞼が重くなる。 胸の奥に、小さな灯が点った。 涙が滲むのに、不思議と苦しくはなかった。 やがて透は、部長の腕の中で眠りに落ちた。 *** 朝の光は思ったより白く、カーテンの隙間から射し込んで布団を照らしていた。 透は薄く瞼を開け、呼吸を確かめた。 背中にはまだ温もりがある。腕は透を囲み、動く気配はなかった。 (眠れた……) 驚きが胸を打つ。何日も暗い天井を見つめ、時間の感覚すら失っていたのに、今日は目を閉じてから次の瞬間には朝だった。 目尻が熱くなる。理由もなく涙が滲む。嫌いなはずの部長にこんな…頭と心が混乱しているのが分かった。 振り返ると、部長の顔がすぐ近くにあった。目を閉じ、規則正しい呼吸を繰り返している。寝顔など想像したこともなかった。 鋭い印象しかなかった眉はわずかに緩んでいる。 それを見た途端、胸がざわめいた。 慌てて身を起こそうとすると、腕がさらに強く抱き寄せた。 「……動くな」 低い声。目を開けていた。 「お前が勝手に起きるのを許した覚えはない」 「……なんで……」 言葉が喉で途切れる。 「眠れただろう」 淡々とした口調に、透は息を呑んだ。 「それは…熱があるからで…」 「ふん、素直じゃねーな」

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