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第10話 甘やかし

休みに入って一週間が経とうとしていた。 熱は完全に下がり、食欲も戻りつつある。 透は布団から起きて水を飲み、テレビをつけるくらいには回復していた。 けれど、部長は変わらず夜にやって来た。 スーツ姿のまま玄関を開け、靴を脱ぎ、無言でキッチンに立つ。 「……座ってろ」 冷たい声音。 だがコンロの上では鍋が湯気を立て、魚の焼ける匂いが漂う。 「こんなこと、もう……」 透が言いかけると、鋭い視線が突き刺さる。 「黙れ。お前に判断する権利はない」 有無を言わせない一言で、口を閉ざすしかなかった。 食卓に並んだのは、米と味噌汁、焼き魚、野菜の小鉢。 「食え」 命令の形。それでも味は家庭的で、口にするたび体の奥に温かさが広がった。 箸を置き、透は俯いた。 (……冷たいのか優しいのか、どっちなんだ) *** 夕食のあと、透はソファに横になった。 疲れやすさはまだ残っている。 部長は片付けを終えると、その横に座った。 何をするのかと思えば、無言で膝を差し出す。 「……え?」 「頭を置け」 「そんな……」 「命令だ」 逆らえず、膝の上に頭を乗せる。 硬いはずの太腿は、意外に安定していて心地よかった。 「……っ」 胸がざわめく。 沈黙の中、部長の手が伸びた。 透の髪を撫でる。 指先が髪を梳くたび、頭皮に温かさが広がった。 「……な、何して……」 「眠くなったら、寝ろ」 一言だけ。 透は瞼を閉じた。 でも眠れるはずがない。 心臓が騒ぎ、胸が締め付けられる。 (これは……甘やかしてるのか? それとも……支配の一部なのか?) 混乱で呼吸が乱れる。 「落ち着け」 低い声。 手のひらがこめかみを優しく押さえる。 冷徹な言葉と優しい仕草が矛盾して、余計に苦しくなる。 *** 夜。 ベッドに入った透は眠れずにいた。 隣には部長、帰る気配はない。 「……どうして……」 思わず声が零れた。 「何がだ」 「こんなふうに……俺を……」 答えは返ってこない。 その沈黙が、どんな言葉よりも心を掻き乱した。 やがて透は、腕枕され抱きしめられる心地よさに抗えず、深い眠りに落ちていった。 *** 朝。 枕元には、畳まれた着替えと、冷めないように保温されたスープ。 部屋の隅では部長がシャツの袖を通している。 「……いつの間に」 思わず零れた声に、部長は視線も寄越さず言った。 「寝ている間に運んだ」 淡々とした言葉。 けれど、まだベッドに残る体温が、確かに彼に触れられていたことを物語っていた。 「食え。食ったらまた休め」 そう告げて玄関へ向かう。 いつものように足音が遠ざかり、ドアが閉まる。 透はしばらくベッドに横たわったまま動けなかった。 (……なぜ、ここまで……) 甘やかしなのか、支配なのか。 分からないまま、胸の奥が熱く痛んでいた。 あの日、聞いた独り言が意味するのはなんなのか… 知りたい、いや、知りたくない… 知るのが怖い… 考えれば考えるほど混乱した。

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