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第16話 途切れない鎖
カフェを出ると、外はまだ明るかった。
車へ戻るのかと思ったが、部長は無言のまま歩き出した。
その背を追っていくと、街路の先に海沿いの道が広がっていた。
潮の匂いを含んだ風が吹き抜ける。
透は思わず袖を押さえ、足を止めかけるが、部長は振り返らずに進んでいく。
仕方なく、透もその横に並んだ。
二人の間に言葉はなかった。
靴底がアスファルトを叩く音と、遠くの波のざわめきが交じり合う。
空はゆっくりと色を変えていく。
昼の青が淡く薄れて、水平線の向こうから橙がにじむ。
雲の端が火を灯したように輝き、海面に映る光はゆらゆらと揺れながら透の視界を照らした。
(……オレンジ色だ)
ただ歩いているだけなのに、胸の奥が落ち着かない。
声をかけようとしても、喉の奥で言葉が固まって出てこなかった。
やがて海沿いの道を折り返し、街へ戻る頃には、夕暮れは濃く落ちていた。
***
シーンと静まった車の中で、部長がふいに口を開いた。
「夜は、何が食べたい」
透は目を瞬かせる。
「……え?」
「夕食だ」
当たり前のように言われ、背筋が冷たくなる。
(……今夜も、ここに“監禁”されるのか……)
諦めるように言葉を返した。
「……なんでもいいです」
沈黙が落ちる。だが、また低い声が透を射抜いた。
「嫌いなものは」
「……ピーマンとか、セロリとか。子供みたいですけど」
少し自嘲気味に答えると、横顔がわずかに動いた。
笑ったのか、息を漏らしたのかはわからない。
「じゃあ、好きなものは」
「……オムライス、です」
自分でも幼稚に聞こえて、頬が熱くなる。
だが返ってきたのは短い言葉だけだった。
「……そうか」
***
マンション近くのスーパーに立ち寄り、部長は迷いなく食材をカゴに入れていった。
卵、牛乳、肉、野菜、そしてケチャップ。
レジを済ませ、買い物袋を提げて外に出ると、風は昼よりさらに冷えていた。
マンションの前に立ったとき、透は勇気を振り絞った。
「……もし、今夜も泊まるなら、着替えを買いに行きたいです」
部長は足を止め、視線だけを向けた。
「俺のを着ればいい」
「……でも、それは……」
「問題ないだろう」
「……っ、問題ありますよ。俺だって――」
反論しかけた声を、冷徹な一言が遮る。
「嫌なのか」
その目に射すくめられ、喉が詰まった。
結局「…いえ…大丈夫です」と小さく返すしかなかった。
(……また言わされてる……)
悔しさが胸を締めつける。
けれど、自分の中に別の感情があるような気がして、余計に混乱する。
***
部屋に戻ると、部長は買った食材をキッチンに置き、ジャケットを脱いだ。
「横になれ」
そう言って透をソファに押し倒し、そのまま太腿に頭を乗せた。
「……っ」
体調崩して看病してくれた時にもしてくれたけど、なんなんだ…?
シャツ越しに伝わる体温が耳を熱くし、落ち着かない。
「疲れたか」
声は淡々としているのに、髪に触れる指先は妙に優しかった。
疲れた…でもそれだけじゃない…混乱しながらも、瞼がじわりと重くなるのを感じた。
しばらくそうしていたが、やがて部長は立ち上がる。
キッチンに向かい、フライパンの音が部屋を満たした。
バターの匂いが漂う。
透はソファに座り直し、その背中を見つめる。
答えの出ない感情を抱えたまま、胸の奥がざわつき続けていた。
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