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第17話
どうすることもできなくて、俺はふらりと家を出る。友達を地元に置いてきた俺には行く当てもなく、かといって両親との相性もあまりよくない俺はやはり近所を徘徊することしかできなかった。
両親は、アルファ男性とオメガ女性だった。二人は俺を産んで満足したのか俺に特に興味を示すことなく、ほぼ育児放棄状態だった。小さいころはミルクを飲ませてもらったこともあったが、ある程度大きくなるとそれもなくなり、俺は二人の残飯を漁って生き延びた。二人は愛し合うことに夢中で、時には俺を雪の降る夜の街に置いていくこともあった。二人の知り合いがその街にはいて、俺はほとんどをその人に育ててもらったのだ。両親は学費だけは出してくたけどそれも中学生まで。高校以降は育ててもらった恩を働いて返せと言われた。それを阻止したのは、俺を育ててくれた人…眞木信二である。眞木は俺を引き取ると、高校、果ては大学費用まで出してくれた。どうしてそこまでしてくれるのか。彼は俺と同じ境遇で育ったらしく、俺を見捨てることが出来なかったらしい。母親と眞木は兄妹らしく、眞木の両親は妹である俺の母親ばかりかわいがり眞木を放置したとか。そんな俺と似た過去を持つ眞木は俺をかわいがってくれた。俺もそんな眞木に懐いていた。でも、そんな眞木にも恋人ができた。また放置されるんじゃないかと恐れた俺は、家から遠い場所に進学し眞木から離れてしまう。
だから俺は、頼れる人がいない。
もしヒロに雪と晶のことを告げれば、きっとまた晶を呼び出すのだろう。そうなれば今度は自然と別れ話に持っていかれるだろう。雪と晶のことを考えれば別れた方がいいんだろうな。それに…俺はオメガになりつつある。別れるのが正解だとわかっている。でも俺は、まだ晶のことが…。
堂々巡りの思考に陥り、俺はため息をつき俯きながら歩いた。そのせいで前を見ておらず、俺は人とぶつかってしまう。
「あっごめんなさい」
「大丈夫だ…って君は」
傾きかけた肩を支えられ、聞き覚えのある声に顔を上げれば、ヒロの店で”匠”と呼ばれたその人がいた。
「匠、さん」
「悠太くん…?どうして君から…」
匠からは雪解けの匂いがした。そのせいで”雪の匂い”を思い出してしまって、俺はうっと口を押さえた。気分が悪い。その行動を見て匠は慌ててどうしたんだと聞いてくれたが、俺は答えることもできずずるずると座り込んでしまった。
目を覚ました時見えたのは知らない天井だった。こんなこと前にもあったなと呑気に考えていると、匠が顔を覗き込んできた。びっくりして上体を起こせば、彼はひょいと俺を躱す。あの時は思いっきりヒロとぶつかったんだっけ。いや、そんなことより。
「匠さん…あの、ここは」
「気が付いてよかったよ。ここは俺の家だ」
あの後意識を俺は失ってしまったらしく、あの場から近かった自分の部屋に運ぶしかなかったと匠は話す。俺はすぐさま謝罪と礼を言った。まさか匂いのせいで気を失ってしまうなんて。それほどに自分の状態が悪いことに思い知らされる。
「本当にすみません…。あの、また今度菓子折り持って伺うので帰りますね…。介抱してくださってありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて布団から出ようとすれば、すかさず手を握られ待ってくれと言われた。
「君に、聞きたいことがあるんだ」
「あ、はい。なんですか…?
「君の恋人、晶くん…彼の運命の番の名前はなんだったかわかるか」
いっそのこと忘れてしまいたかったが、俺は雪の名字までしっかり覚えていた。名前を口にした瞬間、匠が深く、それはそれは深くため息をつく。どうしたのだろう、と顔を見れば彼は眉を顰めてこう言った。
「俺の名前は西条匠。雪は俺の弟だ」
ーおとうと。
だからさっき匠から雪の匂いがしたのか、と合点がいく。まさかこんなところで関係があるなんて、と俺が言葉を失っていると今度は匠がすまないと謝罪してきた。だいぶ深刻なことになってしまっているせいで気にしないでくださいとも言えないし、彼自身には関係ないことなためどうしてくれるんだとも言えず黙ってしまう。俺がなにも言えずにいると匠は髪をかき上げた。
「君と会った瞬間、雪の匂いがした。まさかとは思うが…」
ぎゅっと手を握りしめる。そうだ、問題はそこなのだ。俺が鷹揚に頷けば彼は再びため息をつく。
「なにがあったか話してくれないか」
「…はい」
俺はここ数日間の話をした。最後の方は匠は顔を曇らせて申し訳なさそうな顔になっていた。話が終ると、匠は、じゃあ今も匂いがわかるのかと言う。
「はい。匠さんからは雪解けの匂い、晶からは太陽のようなにおい…それから降り積もった雪のようなな匂いがしました」
「…そうか」
会わないと約束したはずの彼がまた雪と会っている。そんな信じたくない事実に俺たちは直面させられていた。しばしの沈黙の後、はっとしてポケットに入れた携帯を取り出す。時刻は午後六時。携帯には晶から数件のメッセージと電話がかかってきていた。まずい、メモもなにも残さず出てきてしまったからきっと心配している。でも…もし帰ってまた晶からあの匂いがするかもしれないと思うと帰る気には到底なれなかった。
俺が携帯をじっと見つめているとなにかを察したのか、帰らないといけないなと匠が言う。俺はそれに頷くしかない。
俺が布団を退けると匠はなにもすることなく立たせてくれた。
「すみませんご迷惑をおかけしました」
「こちらこそ。雪とは…俺が話し合ってみる。君も出来たらでいい、恋人と話し合ってくれ」
「…はい」
できるかどうかはわからないが一応返事をすると、匠が携帯を差し出した。
「連絡先を交換しよう、念のために」
「わかりました」
匠に見送られながらマンションを出て家に帰れば、すぐに晶が出迎えてくれる。彼からはもう雪の匂いは、しなかった。それに安堵していると、晶が俺を抱きしめながら不思議そうな顔をした。
「なんで悠から、この間バーで会った人の匂いがするんだ?」
「あ…今日、ヒロさんのところに行ってたんだ。一緒に歩いてたら道端でコケかけて、咄嗟にたまたま通った匠さんが支えてくれてさ」
雪の事を問いだせない俺は自然と匠と連絡先を交換し合ったことも言えなくなる。俺の言い訳を聞いても晶はそっか、と疑うこともせず俺をそのまま抱きしめ続けた。
それからというもの俺はなにかにつけて晶の匂いを嗅ぐようになってしまった。そのおかげで毎週水曜日に雪の匂いがするということに気づかされた。匂いがする度、何度問い詰めようと思ったことか。でも問い詰めると言うことは俺の体の変化も言わないといけないということで。それはつまり晶との別れを意味するのだった。それが嫌で俺は彼に事実を聞くことができなかった。
しかしその思考も晶が毎週水曜日に会っているという事実を何度も突き付けられたことで歪んでいく。
もう別れてもいいんじゃないか。だって晶は俺に黙ってまた雪に会っているんだ。…晶も俺と同じように別れたいと思っているのかもしれない。
そう考えてはそんなことはないと思い直し、でもだってと暗い思考が俺の中を渦巻いて消えない。そうしてそれを晶に悟られないようにと笑顔を取り繕っていると本当の自分が見えなくなっていった。
『雪と話し合ったが、あの子は俺の言うことを聞く気がないようだ。すまない』
匠からの連絡にそうですか、としか返せない。制御の効かない二人乗りのバイクを、年長者である匠ですら止められないなら俺が止めることなどできようか。携帯を裏返して机に置き、腕を枕にして伏せる。ため息がこぼれそうになった時、晶に悠、と声をかけられた。ぱっと顔を上げてなに?と普通の顔をして聞く。
「いや…ちょっと聞きたいことあって」
「聞きたいこと?」
俺がこんなに困っているなんて露知らず。晶は結婚式についてなんだけどと言った。きっと俺はすごくおかしな顔をしていたと思う。
「結婚式」
「そう。俺的にはしたいと思ってるんだけど…あ、すぐにじゃなくていいよ。俺たちも引っ越したばかりで金ないだろ?籍は今年の三月に入れるとして来年か再来年にはやりたいと思ってるんだ。どう?」
「……」
「…悠?なんでそんな泣きそうな顔してるの」
「泣きそうって、」
俺は携帯の画面を鏡代わりにして自分の顔を確認すると、唇を噛んで俯いた。
どうしろって言うんだ。俺に黙って雪と会ってるのにまだ結婚を考えているだなんて、正直信じられない。どちらかと言えば、別れ話をされる方が現実的だった。
俺が黙っていると、晶が俺の頬を触ってくる。それに誘われるように顔を上げれば心配そうな顔をした彼がいた。
「悠…この間からどうしたんだよ。なんかあるなら教えて欲しい」
…バレてたんだ。そんな風に気づいてくれるなら自分が行っている愚行にも気づいてほしかった。
いっそ聞いてみようか。どうして雪と会っているの、って。俺の体のことを言わずとも、この間見たんだと言えばいい。そうしたらほら、楽になれる…。
でも俺が口にしたのは全く別の事だった。
「晶は、俺と別れたら雪くんと付き合うの?」
「…は?」
「…あ、ちが、」
あからさまに晶の機嫌が悪くなる。眉を顰め、拳を握りしめた。
「なんでいまそんな話するんだ。別れたらってなんだよ、俺は悠と別れる気なんてない!」
晶ががたんと大きな音を立てながら椅子から立ち上がる。俺がびくりと肩を揺らせば、ごめん、と晶が謝ってきた。
「別れる気ない、って…」
「そのままの意味だよ。俺は悠と別れる気なんてないしそんな話したくもない。大体なんでそんな話になるんだ」
「…ごめん。俺の悪い癖が出た」
時々俺は不安定になって晶に当たることがある。今回もそれかもしれないと嘯けば、晶はそっか…と呟く。そして体面に座る俺の隣に座り、両手を握って持ち上げ、マリッジブルーか?なんておどけた。俺もそうかも、と茶化して言う。
「結婚式ね…晶がウェディングドレス着るの?」
「待て待て。なんでそうなる。着るなら悠の方だろ」
「えー。じゃあ二人で着よう?」
「結婚式じゃなくて仮想大会になるだろ!」
笑っているけど、心はどうだろうか。俺は今、ちゃんと心から笑えているのだろうか。
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