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第20話
穢らわしいその手をたたき落とした瞬間、胸が少しだけスカッとした。けれども問題が消し去ったわけではない。
晶は雪を抱いたし、俺はその間それをずっとリビングで聞いていた。部屋を飛び出せばよかったのに…部屋を出るには晶の部屋の前を通る必要があり、雪の嬌声を間近で聞くのが嫌でリビングに引きこもってしまった。
地獄だった。今まで晶と雪の逢瀬のことを我慢していたのが馬鹿らしくなるくらい。
好きな男と恋敵がセックスする声をどうして聞かないといけないのか。最初こそ耳を塞ぎ泣いていたが、そのうち俺の精神は無に陥って、意味もなくテレビをつけてぼんやりと見ていた。
それなのに、晶は未だに俺に触れようとしてくる。雪を抱いた、その手で。
俺が叫んで立ち上がると、晶は叩かれた手を茫然と見つめている。なんでそんな顔をするのだろう。泣くべきは、俺の方なのに。
「悠、俺…」
「聞きたくない」
もう障害物はないからと俺は晶の隣をすり抜け堂々と玄関に出て靴を履いた。半裸の晶が追いかけてくる。晶が動くたびに太陽と雪の匂いが混ざりあって吐き気のする匂いがした。
玄関を開けようとすると晶が俺の腕を掴んでくる。そうやって自分のモノとでも言いたげに気安く触るのをやめてほしい。
「悠太、話をっ」
俺は振り返って晶を睨む。
「なにを話すの?毎週水曜に俺に内緒で雪と会っていたこと?セックスももう何回もしましたとか言うの?ありえるよね、あれだけ雪の匂いぷんぷんさせてさ」
「なんで、知って」
「なんで知ってるって?そんなのー」
そんなの、俺がオメガになりかけてるから…。
結局俺は晶にその話をすることはなかった。いや、よかったんだこれで。俺たちの関係はいつか破綻するものだったんだから。それが、早まっただけだ。
「っなんでだっていいだろ。もう晶には関係ない」
「関係ないってなんだよそれ!」
「その言葉通りの意味だよ。晶には関係ない。雪とお幸せにね!」
腕を振り払い玄関を開けて出ていく。外はこの地域にしては珍しく雪が降り積もっていて、俺は嫌気が刺すのを感じた。
雪、雪、雪、雪ばっかり!俺の存在なんてまるで最初からなかったみたいだ。
ザクザクと鬱憤を晴らすかのように雪を踏み締め歩いていく。
しかしそのうち目的地がないことに気づき、立ち止まった。
こういう時、友達がいれば居場所になってくれたりするんだろうか。…そんなことを嘆いても仕方がない。行く場所がないなら作ればいい話だ。
ポケットから携帯を取り出し近場のネットカフェを検索する。そこまでして、あ、と口から言葉が溢れる。財布、家に忘れてきた。
「はぁぁ…」
あまりの失態にため息が出る。でもそれほどまでに切羽詰まっていたということだ。とにかくあの場から逃げ出したくて、何も聞きたくなくて。
晶と雪から離れられればそれでよかったんだ。
ああ、また泣きたくなってきた。なんだか疲れてきて、辺りを見回して公園にベンチを見つける。降ってきた雪を忌々しく思いながらすぐに座った。
晶は追いかけてこない。追いかけてきて欲しいの?なんて心の中の自分が問いかけてくる。
「…そうかもね」
もしかしたら追いかけてきてくれるかもなんて甘い期待を抱いたのは、本心だった。晶なら来てくれるかもしれない、なんて。
そんな夢話、あるわけないのに。
家には雪がいる。また発情するかもしれないのに、優しい晶がそんな雪を置いて家を出てくるわけがない。対して俺はどうだ、2人がセックスしたことに憤り家出同然に家を出てきただけだ。どちらを保護すべきなのかは、一目瞭然である。
なんで俺、晶と付き合ったんだっけ。
そんな初歩的な疑問にすら、今は答えられない。
「さむ…」
ぶるりと体を震わし、両手で腕を摩る。そういえば、上着もまともに着ずに出てきてしまったんだった。
とにかくどこかで今日一晩だけでも過ごす場所を探さないと、凍え死んでしまうかもしれない。
…いっそ、死ぬ?なんて恐ろしい思考が一瞬脳裏をよぎり、首を振って否定する。恋人と別れたからって死ぬことはない。しかしそんな思考が浮かんでしまうほど今の俺は辛い状況にあるのだ。
再度携帯を開いて連絡できる人を探してみる。父親、母親…彼らは論外だ。一応連絡先は残っているが、お互い連絡を取り合うことはない。眞木…最近連絡していない。最後の連絡はあけましておめでとうのメッセージをお互いに送り合っただけだ。それに眞木から逃げるようにこの地域の大学に進学したんだから、今連絡することは憚られる。心配を、かけたくない。あとは大学の教授だったり同じゼミの人間だったり。連絡を取れる人なんてやっぱりいない…。そう思って携帯の電源を落とそうとした時。ふと、匠の名前があることに気付かされる。
彼は雪の兄であり、俺たちの状況を今一番にわかってくれる人だ。でも、連絡していいのかはわからない。確かに匠も関係者といえばそうなのだが…。
悩んだ末、俺は携帯の電源をオフにした。
勇気が、出なかった。なんでそんなことを俺に言うんだ?なんて言われた際には金輪際本当の意味で誰とも話せなくなる気がして。
やっぱり家に帰るしかないのかな、と冷たくなってしまった手に口から暖気を吐き出す。
唇を噛んで立ち上がった時だった。背後からパサ、とコートをかけられた。驚いて振り返ればー匠がいる。
匠は今の今まで仕事をしていたのかスーツ姿で立っている。俺の肩には彼の茶色のトレンチコートがかかっていた。
「な、なんでここに」
「それは俺のセリフだ。この寒空の中何してるんだ」
俺がどう説明しようかと口を開閉していると、まぁいいと匠は俺の腕を掴んで引っ張る。
「え、あの」
「家に来なさい。ここでは風邪をひく」
「っ触らないでください!」
匠の腕を振り払う。彼は、アルファだ。もう俺は、アルファやオメガと関わり合いたくない。
手を振り払った拍子に、コートが肩からずり落ちる。匠は俺を掴んだ手ををゆっくり下ろすと、俺に近づいてきた。俺は触られた腕の袖を掴みながら後退りをする。俺が逃げるかもしれないとわかったのか、匠は動きを止めた。そして今度は何もしないとでも言いたげに両手を挙げる。
「俺は何もしない」
「そんなの、わからない。もう俺はアルファに関わり合いたくないんです!」
「わかった。わかったから…」
ゆっくり近づいてくる彼。数歩逃げようとして、匠の腕に再度捕まる。振り払おうとして彼が、君から雪の匂いがする、と言った。その言葉に俺が肩をびくつかせれば、やっぱりという顔をされる。
「家に、雪がいないんだ。もしかしてと思ったんだが…」
「……」
「とりあえず、来なさい」
匠は有無を言わせずにどこかへと引きずっていった。
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