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第22話

泣いている間匠はずっと俺の手を握ってくれていた。おかげですっきりするまで泣くことができた。 泣いたお陰で気持ちが少しだが落ち着いた。泣いてても、問題は解決しない。でも家に帰る勇気もない。ため息を着いて、ずび、と鼻水を啜る。 匠は(一応)泣き止んだ俺を見て自身の座っていた椅子に戻った。そしてある提案をしてきた。 「悠太くん、ひとつ提案があるんだが」 「はい、なんでしょう…?」 「俺の家に避難してこないか?」 「避難って…」 「現状、雪はどういう状況か分からないが…発情期がまた来ているならあの部屋からは出られない。そして君の彼氏は…話を聞く限り優しい。きっと雪のことは放っておけない。きっとセックスはせずともそれに準ずる行為はするはずだ。そんな中、君は家に帰れないだろう?それなら雪たちが落ち着くまでうちに居ないか。…俺が彼らを引き離すのは、簡単だ。でも雪はきっと俺の目を掻い潜ってまた晶くんのところに行くだろう」 優しい、というところがすごく嫌味に聞こえる。実際嫌味っぽく言ったのだろう。 でも、と匠を仰ぎ見る。 これは俺と晶の問題だ。それに彼を巻き込んでいいものか。 膝に置いた手をギュッと握りしめると、匠が口を開く。 「君は、多分今これは自分たちの問題だ、と思っているだろう」 「…はい」 「でも、雪が、弟が絡んでいる時点で俺も当事者同然なんだ。だから、関わらせて欲しい」 「当事者同然…」 確かに、匠にとって雪は家族だ。家族の不祥事は自分たちでどうにかするべきなのだろう。 匿ってもらって、いいのだろうか。 もう一度匠の顔を見る。彼の顔は哀れみではなく慈悲に満ちていた。まるで、眞木のようにー。 俺はその顔を見て頷き、頭を下げる。アルファの彼に関わるのは憚られる、でも今はそれしか方法がない。 「すみませんが、お願いします」 「ああ。…電話に出るかわからないが、晶くんにも事情を説明しておくといいだろう」 「わかりました」 晶に電話をかける。…本当は、怖かった。雪の嬌声は今でも耳に残っている。電話をかけた瞬間、あの声が流れて来るんじゃないかと怯えてしまう。 俺は、震える手でポケットから携帯を取り出す。 携帯には十数件の不在着信とメッセージが入っていた。 ー気にかけて、くれてたんだ。 そう思うだけで少し心が軽くなるのを感じる。しかし同時に、まだこんな感情を晶に持っているなんて、と動揺した。…関わり合いたくないとか言いながら、気にかてくれただけで嬉しいとか、なんなんだ。 まずはメッセージを確認しようとして、画面が着信の画面に変わる。喉がひくっと音を鳴らし、咄嗟に電話を拒否しまう。電話に出れそうになかったため切ってしまってよかった、と心を落ち着かせる。 しかし今ので俺が携帯を見ていることがバレてしまったのか、メッセージが立て続けに入ってくる。アプリを開けば、所在を伺う内容と安否を確認するメッセージが入って来ていた。 『今どこ』 『悠?』 『頼むから返事して』 …………。 『なんで電話切ったの』 『今どこにいるんだよ』 『頼むから帰ってきて』 『ごめん』 『既読ついた』 『どこ』 『悠、返事して』 『悠太、本当にごめん』 『ゆうあいしてるよ』 謝られているというのに、心が冷めていくのを感じる。これだけ気遣われているというのに心のどこかで、でもこいつは俺を裏切った、という気持ちが片隅にある。どんなに…どんなに今愛していると言われても拒絶する未来しか見えない。 だから俺は、晶、と文字を打った。 『やっと返事きた、ごめんな悠、本当にごめん。帰って来て』 『無理だよ』 『どうして』 『晶と雪くんがセックスをしたから』 『セックスまでしてない、本当だよ、信じて』 「はっ…」 思わず鼻で笑ってしまう。あの濃厚な匂いの中、俺が気づかないとでも思ったのだろうか。晶からは明らかに雪の匂いがした。晶は、俺がオメガになりつつあることを知らない。だから誤魔化せると思っているんだろう。…そんなこと、無駄なのに。 『うそつき』 『なんで信じてくれないんだよ』 『それより、俺、一週間くらい帰らないから』 『は?なんで』 『知り合いのところに泊めてもらうことになった。晶は発情期の雪くんの相手してあげればいいよ。俺は帰らないから』 『何言ってんだよ、てかどこ。迎えに行くから場所教えて』 『帰らないって言ってるだろ。じゃあまた一週間後にね』 それだけ送って、携帯の電源を落とす。また涙が出そうになって、俺は慌てて上を向いて溢れるのを防いだ。 そんな俺を見て、匠は話せたかと聞いてきた。 「一方的にですけど、言いました。知り合いのところに泊めてもらうって。俺、大学はほぼほぼ友達いないんで晶がここに辿り着くのは無理だと思います」 「そうか…。悪いな、もっと俺がきちんと雪のことを説得できていればこんなことにはならなかったのに」 「いえ…」 それ以上何も言えず、俺は黙って冷めてしまったお茶を一口飲んだ。擁護しようにも、もし匠が雪を説得に成功していればこうはならなかったかもしれないのは事実だからだ。かく言う俺も晶ともっとちゃんと話し合っていれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。どちらが悪いと言うわけでもないが、誰が正解というわけでもない。 「…そうだ。一週間ここにいるなら服や下着を買わないとな」 悪くなってしまった空気を変えるためか、立ち上がりながら匠が言う。そこでしまった、と俺は頭を抱えた。 勢いで晶に帰らないと言ってしまったが、自分は今財布すらないのである。携帯の電子マネーも数百円しかない。やっぱり一度帰ります、と匠に告げればすぐに察してくれたようで気にしなくていいと言う。 「一応起業している身分だ、それくらい気にしなくていい。車を出すから大きいモールにでも行こう」 「…すみません、ありがとうございます」 自分の浅はかさを反省しつつ礼を言い、俺たちは部屋を出た。 その後生活用品や服を数着買ってもらいモールから帰ってきた俺たち。家に入った瞬間知らない人物がいて俺は人思わず声を上げてしまった。 「ああ、榊。来ているなら連絡しろとあれほど」 「悪い悪い。つい忘れちまうんだ」 榊と呼ばれた男性はどうやら匠と知り合いらしかった。カジュアルな格好に白い白衣、大きな二つの鞄、いかにも医者ですと言わんばかりの格好をした彼は玄関にいる俺と目が合った瞬間すぐに走り寄ってくる。 「君か。アルファと番っているという男の子は」 「あ、あの…」 「ああ、ごめんな。俺は榊。隣にいる匠の友人で医者をやらせてもらってんだ」 やっぱり医者なんだ。あと白衣で何かしているといえば研究員くらいだし、予想は合っていた。でもどうして医者がここに?と匠を見る。視線に気がついた匠はそっと俺の頭を撫でてきた。 「以前、匂いがわかるようになったと言っていただろう。一度医者に診てもらった方がいいと思って呼んでおいたんだ」 「そう、だったんですね。…わざわざすみません」 「構わない。とりあえず簡単な診察を血液検査を受けて来なさい」 俺は頷いて榊に付き添われるままリビングの椅子に座った。対面に榊が座り、匠はテレビ前のソファーに座った。どうやら診察内容は聞かないという配慮らしい。ありがたい。 榊は俺に腕を出させると、優しく手首を触った。 「…痩せてるね。健康状態も良くなさそうだ」 触っただけでそんなことまでわかるんだ、と驚く。 「さて、これから簡単な質疑応答をさせてもらうな。まずは名前を教えてくれ」 「伊藤悠太です」 「はいはい。悠太くんね」 榊は鞄からバインダーとA4の白紙の紙を取り出しをメモを取り始めた。 「それで、今の状況ってどんな感じか聞いていいか?番…まぁ、恋人としとこうか。ある程度君の状況は匠から聞いてあるんだ。…簡単でいい。おさらいしよう」 優しい言葉遣いに、もしかして小児科もやっている先生なのかもしれないと思う。 俺は一呼吸置いて、今の状況を語り出した。途中途中どもりつつも最後まで話し終えると、榊はありがとうと言ってペンを置いた。 「辛かったな。救いになるかはわからんが、ベータでアルファと付き合っている奴は大半がオメガになることを恐れて言えない奴がほとんどだ。みんな、悩んでるんだ。だからお前さんが言えなくて苦しんでたのは当たり前のことなんだ」 「…みんな……」 みんな悩んでいる。その言葉に肩の荷が降りるのを感じる。そっか、みんなオメガになるかもしれないって怖くなって言い出せないんだ、俺だけじゃないんだ。 先ほどのことで潤んだままの瞳がまた潤みそうになり、俺は慌てて上を向いた。 「それで。どこまで進んでいるか具体的に話してくれるか?」 「はい。俺は主に匂いがわかるようになってて。それ以外はまだ症状は出てません。例えば、その、発情とか」 「ふむふむ。じゃああそこにいる匠の匂いは?この距離からでもわかる?」 「はい。言い表しにくいんですけど、雪解けの匂い?みたいな」 「この距離からでもわかる、と…」 榊はカリカリと白紙に何かをメモを取ると、よし、と呟いてバインダーを裏返してテーブルに置いた。そして一回り大きいほうの鞄から箱を取り出し、その中から3つシャーレを持ち出す。カタン、とそれがテーブルに置かれる。中には脱脂綿が入っているようだった。 「今から匂いを嗅いでそれがどんな匂いなのか当ててほしい」 「わかりました」 「じゃあ、まず1つ目」 シャーレの蓋が取り外され、榊が俺にそれを持たせる。俺はそれを鼻の近くまで持って行き軽く嗅いだ。チョコレートの匂いだ。そのことを素直に言えば正解、と榊がシャーレを俺の手から受け取る。 次に渡されたやつは少し古くなった本の匂いだった。 よくよく考えたら、これって最後まで正解したらそれほど症状が進行しているってことじゃないか。気づいて、シャーレを受け取る手が震える。どうか、匂いが分かりませんように。そう思いながら匂いを嗅いだが、俺の気持ちは無惨にも引き裂かれる。 「太陽の、匂いです」 晶と似ている、匂い。 「正解だ。最後のやつはアルファでも匂いがわからないって言うやつが多いんだ。すごいぞ」 喜ばしくない事実に俺は思わず項垂れる。アルファより匂いがわかるって、複雑だ。 「そんで、俺の匂いはわかるか?」 「何も匂いはしません。だから榊さんは多分ベータ、ですよね。…でも、香水かけてますか?ほんのりバニラの匂いがします」 「おお、そこまでわかるのか、本当にすごいな。俺の嫁がオメガでな、その匂いが移っているんだ」 当ててしまった事実に俺はさらに項垂れため息を吐いた。 榊はというと、実験器具を手早く片付けるとまたバインダーを持ってメモを取っていた。さっきの診察の記録だろう。 「診察は以上だ。あとは健康に問題がないか血液検査をさせてくれ。最近の技術はすごくてな、1〜2時間くらいすれば簡単な検査結果はわかるんだ」 「すごいですね」 「だろ」 ニヤッと笑う榊は人好きのする顔をしている。 彼は再度鞄の中に手を入れると、ゴムバンドと採血スピッツ、注射器と針、それからアルコールティッシュを取り出した。正直、腕に針を刺すのは苦手だ。痛いから。でももういい大人なためそれは言えない。でもせめて刺す瞬間は見たくない、と俺は思いっきり頭を背けた。榊さんが軽く笑っているのがわかるが、俺は笑われてもよかった。 「はい終わり。よく頑張った悠太くんには飴ちゃんをあげような」 すっかり子供扱いされているが、おとなしく飴は受け取ることにする。手にころんと転がされたそれは紫色をしていた。おそらく葡萄味。 「結果は血液検査の結果が出てからまとめて言うな」 「はい。ありがとうございました」 「でもまぁ、軽く言っちまうと…かなり症状は進行してる、とだけ」 「……」 やっぱり、そうなんだ。血を抜かれたところを押さえつつ、俺は視線を彷徨わせた。 もしこのままオメガになったら…そう思うと、怖くて仕方ない。今までしてきた生活が一変してしまうのだから。 「まぁ深く考えるな。今はとりあえず匠もいるしな」 「はい…」 こくりと頷けば、榊は両手を組んで背伸びをした。 「匠ー。とりあえず終わったぞ」 「ああ、ありがとう」 榊が声を掛ければ匠がソファーから立ち上がってこっちにきた。そして俺の目が軽く潤んでいるのを見て、いじめられたのか?と軽口を叩く。 「いじめてねぇよ。血液検査が苦手なんだってさ」 「そういうことか。よく頑張ったな」 匠が頭を撫でてくれる。 この二人にかかれば俺は確かに子供かもしれないが、流石に俺も22歳だ。子供扱いしすぎじゃないだろうか。二人の年齢は知らないけど。 不満げな瞳を匠に向ければ、はは、と笑われてしまった。 「疲れただろう、そこのソファーに横になっているといい。検査結果が出るのに時間がかかるだろ」 「1〜2時間ってとこかな」 匠が指差す先には、先ほど匠が座っていたソファーがあった。俺は首を振って答える。 「あ…だ、大丈夫です。起きてられます」 「休んだほうがいい」 匠が俺の前に傅いて俺の目元を指でなぞる。 「隈ができている。最近、寝れていないんだろう」 「すみません…」 「結果が出たら起こすから」 「はい」 申し訳なさを感じつつもソファーに移動する。ふかふかのソファーに体を横たえると、最近本当に寝不足だったせいか、一瞬で目の前が暗転し俺はすぐに眠りについてしまった。

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