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第23話

遠くで誰かの話し声が聞こえる。声の心地よさにそのまままた眠りにつこうとして、その声が自分の近くに来た事に気づく。 肩を優しく揺さぶられて、はっと目を覚ました。 体を起こせば、俺を起こしてくれた声の主は匠だった事を知る。 「す、すみません。すっかり寝てしまったみたいで…」 どれくらい寝てしまったのだろう、と室内の時計を探して見れば、診察してもらった時間から4時間が経とうとしていた。 「えっあっ、え?!」 目を擦ってもう一度見るが、時刻に変わりはない。 「な、なんで起こしてくれなかったんですか」 怒るのは違うと思うが、二人の時間を無駄にしてしまった自分に怒りが湧いて匠に怒ってしまう。匠はそんな俺の怒気を抜くかのように頭をポンポンと優しく叩いた。 「あまりに疲れた顔をしていたから起こすのが申し訳なくてな。悪い。少しは体の疲れは取れたか?」 「取れました、けど…」 納得いかなくて、でも過ぎてしまったことはどうしようもなくて俺はソファーから立ち上がり匠と榊と寝過ごしたことを謝罪した。 「いいっていいって。久々に匠とゆっくり話ができて楽しかったしな!」 「そうだな」 二人は笑って許してくれたが、俺の中ではまだ燻っていた。その気持ちを抱えたまま、まあ座れと匠が椅子を引いてくれる。されるがまま匠の隣に座れば、榊が頷いた。 「さて、検査結果だが。まぁ健康状態は全体的に悪いな。痩せてるし。…それは今は置いといて。悠太くんの血液の構成はこうなっている」 そう言って榊は一枚の紙を取り出した。いろんなアルファベットが書かれていて、それについてはよくわからないが、榊は一番下の項目を指差す。 「ここだ。…悠太くんからすれば残念な結果かもしれないが、君の血液はベータが20%、オメガが80%となっている」 「え」 もうそこまで来ていたなんて、と愕然とする。 「オメガが、はちじゅう…」 俺の体内は、ほとんどが、オメガで構成されている。その現実に、目の前が霞むのを感じる。息が、しにくい。 晶と付き合うことでデメリットが生じるなんて、予想だにしなかった。付き合った当初はとにかく幸せでなんにも考えていなかった。 榊は俺の心情を知ってか知らずか、話を続ける。 「もしこの調子で恋人といる気なら、本当にオメガに分化するのを考えないといけないな」 「も、元に、戻るなんてことは」 彼は無常にも首を振る。 「…悪いけど、それはあり得ない。一度オメガに分化、もしくは分化しかけている奴に元に戻る術はない」 「そんな…」 絶望が脳内を埋め尽くす。ガタンと音を立てて椅子に座り込めば、その様子を見ていた匠が、本当に手立てはないのか?と聞いてくれた。聞かれた榊はうーんと背中を反らせて、悩む素振りをみせる。 「手立て、と言うのは違うかもしれねぇが1つ方法がある」 「それってどんな方法ですか!」 震える足を使って勢いよく椅子から立ち上がる。 「進行を止める薬だ。この薬を毎日服用もしくは1ヶ月に1回薬液注射することで分化することを防ぐことができる」 「じゃあそれ飲みます。お金はどれくらいですかっ、今すぐそれを処方を、」 俺の勢いを止めるように榊が掌を俺の目の前に差し出す。 「まぁ待て。この薬、分化を止めることはできるが、その分副作用が強いんだ。吐き気めまい、自律神経の乱れ…」 「で、でも、止めることができるんですよね。それなら副作用も我慢できます…」 「いいや、無理だな。この薬を服用しているやつのほとんどが副作用の辛さから社会と隔絶して生きているんだ。それにこの薬は保険適用外で費用も高い」 「……」 ここまで言われたら、手立てでも方法でもなんでもないじゃないか、と榊を睨む。どうせ無理だと言われるならそんな方法、知りたくなかった。救いがあると思うなら人はそれに縋ってしまうのだから。 俯き、テーブルを見つめる。そこにぽたり、と雫が零れた。ああ、また泣いている。さっき泣いてスッキリした筈なのに、まただ。 「もしこの薬を飲むならお相手さんにも事情は説明しないといけないぞ。飲み始めたはいいが突然体調不良になったりしたら相手だって驚くだろうしな」 晶に、事情を説明する?俺が、オメガになりかけてるから、それを止める薬を飲むって? 俺はゆっくりと首を振る。 「無理、です」 「どうして」 「晶は、オメガが苦手なんです」 付き合うときに言われたその言葉をそのまま榊に伝える。榊と匠は2人して同時にため息をついた。 「その割りに雪のこと、気にかけてるんだな…」 「運命には抗えない、ってやつだろうな」 匠は腕を組んで天井(そら)を見上げ、榊は両手で顔を覆って肘をつき呻いている。話をややこしくしてしまった。 俺はというと、また俯いて黙り込んでいた。 手立てはある、けれどそれは最終手段だ。というか就職先はどうする。すでに内定は出ていて、そこにはベータだと説明してしまっている。このまま晶といたら俺は確実にオメガになるわけで。もし事情を説明して薬を飲んだら、晶に働いてもらうことになることに…いやまて、晶と一緒にいる?どうして?彼はもう雪と…。 不意に吐き気を催して、オェッとえずき手で口を押さえた。 すぐに動いたのは匠で、洗面器にビニール袋かけたものをすぐに用意し俺の目の前においた。でも出てきてのは胃液だけだった。そういえばここ数日まともに飯を食っていなかった。 「すみませ、」 「気にしなくていい」 背中をさすってくれる手が、暖かい。その暖かさのおかげですぐに吐き気は収まる。洗面器から顔をあげれば、隣に水の入ったカップが置かれており、口を濯ぐといいと言われた。言われた通りに何度か口を濯いでビニールの中に吐き出した。 「すみません、ありがとうございます」 「ティッシュも必要だな。持ってこよう」 匠が再度席を立ちティッシュを箱ごと持ってきてくれる。ありがたくそれを受け取り、口の周りを拭き、同じようにビニール袋の中に入れた。 「なぁ、ひとつ聞いておきたいんだが」 「あ、はい…」 「この症状が出てから1回でも夜の行為をしたことはあるか?」 さっと頬が少し熱くなるのを感じる。なんでそんなこと、と聞く前に榊が悪いなと謝りを入れてきた。 「君の症状の進行具合で言うと、すでに子宮ができている可能性が高いんだ。だから、今の吐き気ももしかしたら…と思ってな」 「いえ…1ヶ月くらいは、何もしていないです」 「そうか、じゃあただ単に気分が悪くなっただけだな。ならいい。子供ってなると拗れてくるからな…」 匠もその点に関してほっとしたのか、隣で息を吐いていた。 「子宮の出来具合に関して、こればっかりはエコー検査でもしないとわからねぇんだ。まぁ落ち着いたらちゃんとした病院行って検査してもらいな。もちろん俺のところでも良い」 榊はそう言うと俺に名刺を渡してきた。名前、電話番号、病院の住所などが書かれている。ありがとうございますと礼を言えば、いいっていいてと榊は立ち上がった。 「じゃあそろそろ俺は帰るからな。匠、ちゃんと面倒見てやるんだぞ」 「わかってる。悠太くん、榊を下まで送ってくる」 「はい、わかりました。榊さん、本当にありがとうございました」 立ち上がり改めてお辞儀をすれば、榊は後ろ手に手を振って部屋を出て行った。 誰もいなくなった部屋で1人、椅子に座り直す。 テーブルに置かれた検査結果をもう一度手に取り、眺めた。α/β/Ωと書かれた欄の右端に、βは20%、Ωは80%と結果が出ている。この数字が逆だったらどれほど良かっただろう。そしたらまだ、晶にも好いてもらえていたかもしれない。この状況も、少しは良くなっていたかもしれない。 いや…それはない、と首を振る。 たとえ俺がベータのままだったとしても、きっと今の状況は変わらない。晶は雪を抱いただろうし、俺は匠の所に避難していた。 どうして発情した雪がうちに来たのか、それだけがわからないが、考える必要はないと頭からそのことを叩き出す。 ぼんやりと紙を見ていると、自然と頬に暖かいものを伝うのを感じる。ああ、俺また…。 いっそもう一度号泣してみようか、と下を向いたところで玄関から音がして慌てて涙を拭った。人の家で何しようとしてるんだ俺は。いくら匠が良い人だからといって迷惑をかけて良いわけじゃない。急いでティッシュを使うが、 「戻ったよ」 「おかえりなさ、いっ」 涙を拭いているところを見られてしまった。匠はドアを開けた状態のまま固まっている。 「泣いていたのか」 「何度もすみません。こんな、女々しい…」 涙は拭けども拭けども流れてくる。この人の前で、俺は何度泣くのだろう。強くなりたい、でも今は思うだけだった。 「好きなだけ泣くといい。言った通り、俺も毎年そうやって泣いて過ごしている」 「匠さんも、泣くんですか」 「そうだ、もう三年も経っているのにな。…愛して、いたんだ」 匠はそう呟くと、先ほどまで榊が座っていた所に座った。 「今年は君もいるし…泣いている場合じゃないからな」 「…ごめんなさい」 下を向き、謝る。 「君は謝ってばかりだな。気にしなくていいと言っているだろう」 「でも、ここに置いてもらうだけでも迷惑なのに」 「…じゃあ、飯を作ってもらえないだろうか。どうにも一人暮らしだと宅配が多くなってな」 顔を上げれば、困った顔をした匠がいた。発言とその顔に、少し親近感が湧いた。ああ、この人も人間なんだって。わかってた筈なのに。 「わかりました。俺の料理でよければ」 「じゃあ明日から頼んだ。今日はもう遅い、何かケータリングして寝よう…って、あぁ、ひとつ問題があるんだ」 「なんですか?」 「この家にはベッドが1つしかないんだ」 「………えっ」

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