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第26話
次の日起きるとやはり匠は先に起きていて、コーヒーをドリップ機に入れて飲んでいた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
匠は昨日同様俺に声をかけると、静かにタブレットをスクロールした。
「朝ごはん、食べますか?」
「いや…朝はコーヒーだけでいつも済ませているんだ。しっかり食べると気分が悪くなるから」
「そうなんですね」
匠が食べないと言うのに俺だけ食べていいものかと悩み、食べないことにする。許可を貰い冷蔵庫からお茶を取り出してコップに入れ、匠の対面に座った。しかし朝もしっかり食べる俺の胃は、ものの数分でぐううという情けない悲鳴をあげる。
絶対聞かれた。
俯いてどうしようと考えていると、くくっと笑う声が耳に入る。ゆっくり頭を上げれば、匠がこほんと咳払いをした。
「君は、食べていいんだよ」
「い、いえ…」
「腹が減っては戦はできぬ、と言うだろう。気にするなら私も軽く食べよう」
「え、でも」
「大丈夫だ、軽くなら食べられる。悪いが、何か作ってくれるか?」
「わかり、ました」
こくこくと頷き、キッチンに立って小さいおにぎりを3つ作り、俺の得意料理である卵焼きを焼いた。くるくると巻くのが楽しいのだ。それに、これは眞木の苦手料理でもある。俺がきちんとした卵焼きを作った瞬間眞木が感動して泣いたことをいまでも鮮明に覚えいている。
皿に適当に盛り付けテーブルに運ぶ。
匠は礼を言うと、かなり綺麗に焼けた卵焼きに手をつけた。
「…君は料理が上手いんだな」
「ありがとうございます。一人で暮らしていた時間が長かったおかげである程度はできるんです」
「ご両親は?」
「あ、えっと」
聞かれるだろうとは思っていたけど、いざ聞かれると言葉に詰まってしまうものだ。けれど俺が言い淀んだ事で匠が何かを察したのか悪い、と謝ってくる。
「気にしないでください。俺、小さい頃から両親にほぼネグレクト状態で育てられたんで。ただそれだけです。それにそこまで不幸じゃなくて。ちゃんと愛情を持って育ててくれた人もいたんです」
その人ともいまは疎遠だけど。流石にそれは言わずにいると、匠は眉を顰めて大変だったんだなと言った。
「大変といえば大変でしたけど…その分を晶が補ってくれていた感じでした」
その分を晶が愛してくれていた。そう呟けば、匠は顰めた眉を緩める。
「君たちは、相性のいいカップルだったんだな。晶くんのことを語る君の顔はいつも幸せそうだ。バース性など、君たちの前には無意味だったんだろうな」
…ああ。この人は。
この人は、晶と俺のことを否定しないんだ。
今まであった人たちは、アルファである晶とベータである俺たちの交際を非難する事が多かった。大多数になれない俺たちのことを、善と称して人は言葉の暴力を浴びせてきた。それは晶の両親もだった。晶が軽く俺との交際をほのめかした瞬間、ひどく叱られたと言う。だから自然と俺と晶の交際は余程親しい知人じゃなければ言わなくなっていた。俺たちは、普通に幸せだったのに。
それがどうだ、少し前まで他人だった匠が俺たちを糾弾することはない。
そのことに俺はなぜだか心が痛くなり、胸が詰まったように何も言えなくなってしまった。
「どうかしたか?」
「いえ…いただきます」
それを言うのが精一杯で。俺は大好きなはずの卵焼きの味がわからないまま口に含む。
結局匠は卵焼き2個とおにぎりを1つ食べ食事を終えた。見送りしたほうがいいだろうかと考えつつ匠を玄関まで送ると、匠はふっと口元を緩めなぜか俺の頭を撫でた。
思わずきょとんとした顔をすれば、匠は自分のしたことをすぐに後悔したような顔をする。
「すまない。つい癖で。…今日は遅くなる。飯は温めて適当に食べるから先に寝ててくれ。風呂にも入っていい」
「ありがとうございます」
「じゃあ、行ってくる」
癖。それは、運命の番に取られてしまったという恋人にしていた行為なのかもしれない。ふと、そう考える。
匠はあまり自分のことを話そうとはしない。それはそうだろう。出会って1ヶ月程度の人間に深い話をするほうがおかしいのだ。つまり、何でもかんでも話してしまう俺はおかしいということなのだが…匠には話そうと思ってしまう不思議な力があるのだ。ついついぽろりと口を滑らせてしまう。しかも匠の対応はいつも丁寧で、話したことを後悔したことは一度もない。自分と境遇が似ている、というのも話してしまう要因だろう。
いい人だと、思う。だからこそ報われて欲しいと思う。もちろん元恋人とヨリを戻すということじゃなくて、また誰かと幸せになって欲しいという意味で。でも、どうだろう。一度運命に番に恋人を取られたら、その後の恋愛って怖くなるかもしれない。また取られてしまうんじゃないかって。だって俺が、いまそうだから。もしいま晶と別れたら今後の恋愛においてまた運命の番に邪魔されるんじゃないかって思ってしまう。
じゃあ匠は、誰とも幸せになれないのかな。…いや、匠は俺とは違う。きっと今度こそいい人を見つけて幸せになれるはずだ。
俺は…わからないけど。ベータのゲイってなかなかいないから。いたとしてもほとんどオメガと付き合ってしまうし。
「はぁ」
俺はため息をついて食器を食洗機に入れるために立ち上がる。
その後俺は洗濯物を天気が悪いため室内に干し、匠から教えてもらった収納から掃除機を取り出した。昨日のうちにやる事がないか聞いておいたのだ。最初のうち匠は気を遣って何もしなくていいと言ってくれたが、俺が日中暇で何もする事がないことを告げると、それは確かにそうだなと頷き家事全般を任せることにしてくれた。曰く匠が会社に行っている間、毎日ハウスキーパーが入るようになっていると言う。匠は俺が気になるだろう、と今週中のハウスキーパーは断ってくれているそうだ。ハウスキーパーの仕事を奪ってしまって申し訳ない、と話せば匠はやはり気にしなくていい、と言った。
掃除機は高機能型で、埃のないような部屋でも小さな塵を見つけては吸い込んでくれる。しかしそれ以上に部屋が広く、途中休みながら掃除機をかけた。入っていい部屋などは聞いていないため、リビングとキッチン、廊下、ランドリールーム、風呂場だけを掃除する。ある程度掃除機をかけ終わると、次にモップで拭き掃除をした。それから小さな塵が出るためもう一度掃除機をかけて…一応掃除を終わらせた。
大変だったの俺が普段寝かせてもらっているソファー。移動させるには重く、掃除機やモップをかけるには届かず…。ハウスキーパーさんはどうやって掃除をしているのだろうと頭を悩ませたのだった。
ふいに外を見れば、また雪が降っていた。今年は降らないはずの太平洋側にも関わらずよく降る。
雪が、嫌いだった。
父と母が行為をしたいからとたまに俺を夜のうちにベランダに追い出すのだが、その時に降っている雪の寒さに凍えることの虚しさを、未だに覚えている。
でも、雪が好きでもあった。
真っ白な銀世界の中で1人ぼんやりと座っていると、だんだん眠くなって感覚もなくなって、いつしか暖かいと脳が勘違いし始める。虚しさは消え、段々と死が見えてくる。それは辛い世界で生き続けている俺に取って、幸運なことだった。
一方で、いい記憶もある。冬には必ず眞木がホットミルクが入れてくれる。蜂蜜入りのホットミルクは甘く、冬の寒さを消しとばしてくれた。
そんな正反対な思い出のある冬をー雪を、俺はどうしても嫌いになれない。
なんとはなしに、施錠された窓に手をかける。広いバルコニーには雪が少し降り積もっていた。サクサクと裸足のまま歩いてみれば、あの頃に感じたさみしさを感じる。
何してるんだろ。
そう思って振り返り戻ろうと窓に手をかけたのだが、どういう訳か開かない。ぐ、ぐ、と再度引っ張って見たがやはりびくともしない。
「え。なんで」
窓を叩こうとしたが、誰もいないのだから意味のない行動だと腕を下ろした。匠は今日、帰りが遅いと言っていたのも思い出す。
あの頃と、同じ状況だ。どうやって暖を取るかを考えないといけない。
「さ、む…」
先ほどまで暖まっていた体が急激に冷えていく。今日に限って俺は薄着だった。外に出るつもりなんてこれっぽっちもなかったからだ。
俺はとにかく雪から逃げようと少しだけ屋根のある部分に座り込む。とにかく、匠が早く家に帰ってくるのを願うしかなかった。
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