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第29話

「もし喧嘩になりそうになったら連絡してこい。すぐに迎えに行く」 「喧嘩しないとは言い切れないですけど…わかりました。その時はよろしくお願いします。本当にお世話になりました」 匠に家の近くまで送ってもらい、車から降りる。匠は窓を開けてこちらこそ俺に数日間料理を作ってくれてありがとうと礼を言った。 「じゃあまた、連絡入れますね」 「俺も雪が帰ってきたら色々聞くつもりだ。その時は連絡をする」 そうして匠と簡単に挨拶をし彼と別れる。 俺は、深く深呼吸をして自身の住むアパートに足を向けた。 玄関につくと、晶と喧嘩して飛び出して行ったことがついさっきのことのように思えてくる。実際は俺たちは一週間以上別れていたわけだが。 そう言えばなるべく携帯を見ないようにしていたから2日目から晶が連絡を寄越していたかを知らない。俺は鍵を差し込む前に携帯を取り出し確認した。 「う、わ」 数百件を超えるメッセージと不在着信。その量に思わず慄いていると、ガチャガチャと音がして玄関から誰かが飛び出してきた。慌ててその人影を抱え込むと、向こうが驚いたような声をあげる。 「悠太、さん」 「雪くん…」 そうだ、ここには晶だけじゃなく雪もいるんだった。すっかり失念していた。 抱え込んだ雪の体温とー太陽のような匂いに、俺は顔を顰める。 俺は抱えていた腕をゆっくり解き雪を離した。雪はというと、気まずそうな顔で、けれども何かを言いたげな顔をして俺を見上げてくる。そう、雪はオメガで普通の成人男性である俺より小さいのだ。 「何しに、来たんですか」 「何しにって…ここ、俺の家なんだけど」 「そうですけど…晶さんを一週間も放っておいて今更…」 その言い方にカチンときたが、ここで言い争ってもいいことはない。それに…俺がここにいられるのもどうせ数日なのだから、もうどうでもいい。でも言いたいことは言ってやらないと、と思う。 「君がここにいたから俺が帰れなかった、それくらいわかるでしょ。体は大丈夫になった?帰るなら気をつけてね」 一気に捲し立てトンっと彼を玄関の外に追いやる。雪は俺を睨んできていて、でもパッとその表情を隠した。 「晶さん!」 「悠…」 せっかく可愛い表情をして晶を見たというのに、当の本人は俺を見ていて雪のことを一切気にかけていなかった。晶は少し窶れた顔をしていて、フラフラと俺に近寄ってくるとぎゅっと俺を抱きしめてきた。咄嗟にそれを突き飛ばして拒絶する。匂いに敏感になっているせいか、晶から香る降り積もった雪の匂いに吐き気がした。 匠の匂いは、こんなに酷くきつく感じなかったのに。おそらく、まだ俺が晶に想いがあるから拒絶反応みたいになってしまっているのかもしれない、と結論づける。 突き飛ばされた晶は自身の腕を呆然と眺め、俺を下から上まで凝視した。瞳が、どうして、と言っている気がする。 「晶さん、あの」 「雪、今日は帰ってくれる?」 「え」 「頼むから」 晶は俺を見たまま後ろにいる雪に話しかける。その異様な雰囲気に気圧されたのか、雪は小さくはいと答えるとゆっくり踵を返して帰って行った。扉が静かに閉まったと同時に、晶が俺の腕を掴んできた。そのまま引きずられるように部屋に連れ込まれる。アルファである晶の力は強く、俺は部屋を汚さないように靴を脱ぐのに必死だった。 「ちょっと、晶!痛いって!」 「今までどこにいた」 晶は俺をリビングまで連れてくると、壁に押し付けてきた。匂いが、強い。 「どこって」 「この匂い…あの男のところか。名前は」 「匠さんところにいたのは、本当だよ。でも、」 「なんで!!」 急に怒鳴られ体がびくりと跳ね上がる。 「なんで…電話くれなかったんだ…メッセージだってたくさん送ったのに…俺、心配で…」 そんなの、お前らがセックスしてたからだろ。そう言ってやろうとして顔を上げて、俺は言い淀んだ。 近づけられた晶の顔から、涙がこぼれ落ちる。晶が、泣いている。あんなに強いはずの晶が…アルファの、晶が。 なんだか怒るに怒れなくなって、俺は雪の匂いのする晶の頭を優しく抱きしめてあげることしかできない。 そのあと2人でいつものようにリビングの椅子に横並びで座った。晶はなかなか泣き止んでくれなくて、俺は嫌々ながらも晶の涙を拭ってあげた。なんで俺が、と内心悪態をついていたことは今後晶に言うことはあるだろうか。 そのうち晶は泣き止んでくれたが、俺が帰ってきたことで安心したのか晶は眠いと言い始めた。流石に一緒に寝るのはちょっと、と言う俺に晶は大丈夫だから、と寝室に連れ込んでしまう。意外にもそこは情事のあとは1つもなく、匂いだって一切しなかった。これなら、まぁ。色々と思うところはあるけど。 「起きたらいないなんて、やめてくれよ」 「じゃあ起きて見張ってれば?」 「無理だ、眠い」 「…ふふ、なにそれ」 くすくすと笑えば、晶は何かに安心したかのようにふっと目を細め、すぐに目を閉じた。本当に眠かったみたいだ。 俺は晶の顔を見ているのが辛くて、なんだか悲しくて体ごとそっぽを向いた。でも、すぐに晶が後ろから俺を抱きしめて自分の胸元に閉じ込めてしまった。その暖かさと、もう雪の匂いが混ざっていない晶の匂いに俺も安心して眠りについた。

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