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三日目・木曜日

 スマホの向こうからスースーという穏やかな寝息が聴こえ、オレは五十匹目で羊を数えるのをやめた。それでも通話は切らず、ユウキの寝息に耳を澄ます。  なんならこのまま一晩中だって聴いていたかったのに、階下から母親が「早くお風呂入っちゃいなさーい」と大声で言ってくるから、仕方なく通話を切り風呂場へと向かった。  翌朝。  十二月初旬らしく、朝の空気は日に日に冷たくなっている。校庭の銀杏の葉も、ほぼ散ってしまった。  サッカー部の朝練が始まって、グラウンドで準備運動をしながら四階の生徒会室を見上げた。オレは人に自慢できるほど視力がいいから、ユウキが窓際の椅子に座って読書をしていれば、目視で確認することができる。  彼の姿はまだない。きっと三十分もしたら登校してくるだろう。  エンジェルが弓矢を持った絵のカード、今日は一体どんなミッションが書かれているだろうか。正直、不安な気持ちでいっぱいだった。  そもそもオレは、ズルい策士だ。  このゲームのテストプレイが上手くいくようにと、二十四枚のカードは意図を持って並べ替えてあった。ユウキにカードをシャッフルさせたが、それをカバンに忍ばせてあった別のカードと、直前で擦り替えたのだ。  だから一枚目は意図通り【一分間見つめ合う】だったし、二枚目も昼休みにはちゃんと【一緒に食事をする】のカードが出た。  三枚目は【キス】だ。ここにキスを持ってくるかは、随分と悩んだ。けれど、脈があるかどうか早々に見極めたかったオレは、この位置に【キス】のカードを配置した。  そもそもユウキが男同士ということに嫌悪があったら「男子校でこのゲームやるなんて無理があったな」と笑ってアルバイトを中止するつもりだった。  だって、ゲームがどんどんと進行すれば、ゲーム作者の望む通り、オレはもっとユウキを好きになってしまうだろう。ゲームが終盤まで進んでから【キス】のカードが出て「男とキスなんてできないよ」と言われたら、あまりにオレが可哀想じゃないか。  傷つきたくない、なんてこの期に及んでも言っている自分が情けないが、周りが思うよりもオレは弱い人間なのだ。  とにかく、三枚目に【キス】のカードは出なかった。その後も、オレの意思とはまるで違う順番になってしまっている。なぜだろう?どうしてだろう?いくら考えても答えは分からない。  再びこっそりと並び変えたくても、生徒会室の鍵を持っていないオレには難しい話だった。 「ごめん。待たせたな。オレ、着替えるからカード引いてもらっていいか?」 「うん」  コクリと頷いてくれたユウキが、カードに手を掛ける。【キス】のカードが出るかもしれないと思うと、かなりドキドキしたが、それを悟られないよう振舞いながら制服へと着替える。 【後日の約束をする】  ユウキがカードを読み上げてくれた。 「約束かぁ。ユウキは何かアイデアある?」  オレの策では、このカードを最後の一枚に配置してあった。「クリスマス一緒にすごそうぜ」と、約束するつもりだったから。でも、こんなタイミングで出てしまえば、クリスマスの約束なんてありえない。  するとユウキが、小さな声で遠慮気味にオレに言う。 「日曜日はサッカー部の練習、休みだよね?」 「あぁ、期末テストが近いからな」 「よかったら、うちに来ない?ジョンに会いたいってレイヤくん、言ってたでしょ。勉強も一緒にしようよ」 「ん?」  ユウキは今、なんと言った?オレの策よりずっといいんじゃないだろうか。 「だから、子どもの頃みたいにうちに遊びにきたらって」 「それ、すげぇいいアイデア!」  オレはたぶん満面の笑みだったと思う。交換したユウキの深緑のネクタイを自分の首に巻きながら、鼻歌まで歌ってしまった。それを見たユウキも、うれしそうに微笑んでくれていた。 —  四限目が終わり、学食へとダッシュする。列の進みが一番早いパン売り場に並び、目についたパンを四つ購入する。  すぐに生徒会室へ向かおうとするが、このタイミングでは会いたくなかった奴らと出くわしてしまった。  サッカー部のチームメイトたちだ。 「よぉ、レイヤ。オマエ最近、どこで昼飯食ってるの?部室にこないじゃん」 「だから言っただろ。バイトだよ、バイト。オマエらもちゃんとやってんだろうな?カードゲームのテストプレイ」  策士のオレは、自分が目立たぬよう、チームメイトにもゲームのアルバイトを持ちかけていた。  叔父から託されたカードゲームは全部で五組。  そのうち一組を今オレとユウキが使っている。そして、擦り替えるために使ったカードがもう一組、オレの家に仕舞ってある。  残りの三組を、コイツらがペアを組んでプレイしているのだ。叔父は同性同士の若者のデータは貴重だと言っていたけれど、コイツらのいい加減なテストプレイが何かの参考になるとは全く思えなかった。  でも最終的に、自分とユウキの真剣すぎるデータを、コイツら誰かのものと差し替えて、叔父へ提出するつもりでいる。 「レイヤはゲーム、誰とやってるんだっけ?カズヤ?」 「違うよ。ほら、アイツだよ、えーと、生徒会副会長の……」 「ユウキだ!」 「へー、あの眼鏡くん。接点無さそうなのに。めずらし」 「うるさいよ、オマエら」  彼らはべちゃくちゃ喋りながら、オレの後をついてくる。 「オレは生徒会室行くから、オマエらいつもみたいに部室で昼めし食えよ。ついてくんな」  追い払おうとしても、「いいじゃんいいじゃん」と言って後ろをゾロゾロ歩いてくる。終いには、オレを追い越して生徒会室の扉をノックも無しに開けてしまう。  びっくりした顔をして、ユウキがこちらを見ていた。 「ごめん、ユウキ。コイツら、サッカー部のチームメイトで……」 「ちーす。オレらもゲームのテストプレイ仲間だから、安心して」 「そうそう、副会長とレイヤがカード引くとこ、見学に来ただけだから」 「なんだよ見学って、帰れよ」  コイツらのいる前でカードを引いて、もしそれが【キス】のカードだったらと思うと、恐ろしくてたまらない。  きっとコイツらは、適当に茶化して、ふざけたキスをして「はい、二万円、二万円」とバイト代を受け取ることだけを目標にこなすのだ。  貴重な【キス】のカードを、オレはそんな風に消化したくない。 「エンジェルちゃんのカードは、これか。えいっ」  防ぐまもなく、チームメイトによって一枚めくられてしまった。 【心の中で相手に感謝をする】 「なんだよ、このカード。つまんね」 「部室行って、めし食うぜ」 「そうだな。じゃあね、副会長またね」  奴らは来た時と同じく、べちゃくちゃ喋りながら帰っていった。 「賑やかな人たちだったね」 「ごめんな、ユウキ。悪い奴らじゃないんだけど、揃いもそろって、バカなんだよアイツら」 「フフフ」とユウキは笑って、さっきめくられたカードを手に取った。 「こんなカードもあるんだね」 「だな。腹減ったから飯食うか」 「うん」  二人とも、少し無口だった。  オレは心の中で、このゲームに真剣に取り組んでいるユウキに感謝をした。真面目なユウキも、きっと無理やり、オレへの感謝ポイントを探しだしてくれているのだろう。  やはり、信頼のおける男である。 —  朝、昼、放課後にユウキと会ってみると、自分が毎日いかにバタバタと慌ただしい日々をすごしているか自覚する。  時間を気にせずゆっくり話す、みたいなタイミングが皆無なのだ。今日の昼休みだって、部活の冬合宿について顧問と話をせねばならず、一足早く生徒会室をあとにした。  そんなだから、放課後に引いたカードのミッションはその場でこなすことができなかった。 【三つずつ質問をしあう】  三つずつ。つまり計六つ。あと五分で部室へ行かなければならないオレにとって、なかなか厳しいボリュームだ。  けれどいい加減にはやりたくない。ちゃんと質問したいし、ちゃんと答えたかった。 「うーん」と考え込んでしまったオレに、ユウキが気を利かせてくれる。 「僕、すぐに思いつかないから、あとでメッセージで送っていい?レイヤくんも部活のあとにメッセージちょうだいよ。それでどうかな?」 「ありがとう、ユウキ。そうさせてもらう。助かるよ」 「あっ、でも一つだけ。一つだけ今質問してもいい?」  ユウキが真剣な目をして、オレに問う。 「あのさ、右手の人差し指。もう痛くなったりしない?」  すぐには何のことを言われたのか、分からなかった。だから咄嗟に笑顔を作ることも、できなかったのだ。  真剣な表情になってしまったオレにユウキが「本当にごめんなさい」と苦しそうに頭を下げた。 「いや、違うんだユウキ。今一瞬、本当に何のことなのか分からなかった。もうそれくらい怪我したことも思い出さない。ほら」  そう言って、目の前で手をグーパーと高速で動かしてみせる。まさか、今もまだユウキが気にしてくれていたなんて、オレは想像もしなかった。  でもそれは、過去のオレがちゃんと告げていなかったせいかもしれない。あれからずっと、ユウキに苦しい気持ちをさせていたのだと思うと、心から申し訳なくなった。 「なぁユウキ、聞いて」  オレより少し背の低いユウキの目を、しっかりと見る。 「中学に進学する少し前。確かにオレは、ユウキんちで遊んでいて、ふさげるあまり階段から転がり落ち、中指を骨折した。まず、それだってオレ自身のせいだ」  ユウキがブンブンと首を横に振る。確かに二人でふざけていたのだから、二人とも悪いと両方の親に言われた覚えはある。 「それで、オレはずっと憧れていた中学野球部の入部テストが受けられず、しかたなくサッカー部に入った」  ユウキの目線がグラウンドで隣り合う野球部とサッカー部へ、注がれる。 「結果、オレはサッカーが上手かったんだ。しかも、とびきり。知っているだろ?ユウキも。この男子高にだってサッカー推薦で入ったんだ。もう一ミリも野球がしたかった、なんて思っていない」 「ホントに?」  再び目線が合った。だからオレは飛び切りの笑顔で「あぁ」と頷いた。  部活帰りの電車から、ユウキにメッセージで質問を送った。  放課後のことがあったから、できるだけ重くならずサクっと答えられるものがいいだろうと、簡単なものにした。 『①冬は好き?』『②プリンとシュークリームならどっちが好き?』  いや、やっぱり一つくらい、ドキッとする質問もしてみよう。 『③キスしたことある?』  思い切って送信したけれど、問うたオレまでドキドキしてしまった。  すぐに返信がくる。 『①好き ②プリン ③ない』  ふーん、そっか。そっか。 『僕からも質問』『②コーヒーは飲める?』『③レイヤくんはキスしたことあるの?』  ちょうど電車が駅につき、ホームに降りて人の流れに乗り改札を出る。まるで熟考したように微妙な時間が経ってしまったことに気まずさを感じながら、返信した。 『②飲めない ③ない』  夜空を見上げると、細い月が浮かんでいた。

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