7 / 66
第7話 決着の瞬間
あれから一ヶ月後の会議室。
斎藤は腕を組み、挑発的に微笑んでいる。
「さて、神谷社長、進展は?」
俺は資料をテーブルに並べ、淡々と告げた。
「如月怜央さんの所属事務所と正式契約を結びました。出演が決定です」
斎藤の顔から余裕が消え、驚愕が走る。
「……な、に……?」
俺は契約書類をスライドして見せる。所属事務所の社印がしっかり押されている。
「御要望通り、条件もスケジュールもすべてクリアしています。ほかの選択肢よりも十分な成果が見込めるでしょう」
部下たちの表情が、緊張から安堵へと変わっていく。
「如月怜央さんご本人からも“面白そうだ”と高い評価をいただきました。事務所も全面的に協力してくれています」
会議室の空気が一気に変わる。
安心と期待が混ざり合い、斎藤だけが顔を引きつらせたまま沈黙した。
「……まさか、御社がここまでの手を打つとは」
敗北感と苛立ちが滲む声。これまでの余裕は完全に消えていた。
俺は資料を整えながら、静かに告げる。
「本件はこれで進行します。そちらの要求に応えるため、全力を尽くします」
部下たちの表情がほころび、俺は冷静を装いながら心の中で強く頷く。
……遥、ありがとな。
信頼できる相手がいるだけで、やっぱり違う。
夕暮れの光が窓から差し込み、長く続いた緊張の時間に終わりを告げた。
*
業界紙やネットニュースに、如月怜央の出演決定が一斉に報じられた。
タイトルには《神谷企画 × 如月怜央》の文字。関係者の間で瞬く間に話題となる。
「おい、これ見たか? 如月怜央が……」
「しかも神谷の会社と正式契約だって。すげえな」
「斎藤が“無理だ”って言ってたのに、あっさり決められたのかよ」
そんな声があちこちで飛び交い、自然と斎藤の名前が引き合いに出されていた。
そのたびに、俺の中の重石が少しずつ外れていくのを感じる。
一方その頃、斎藤が会議で追い詰められているという噂も耳に入った。
「如月は絶対無理」と豪語していたのに、現実には俺が契約を決めた。
信用を失い、冷たい視線を浴びているらしい。
あれほどの余裕も、今は跡形もないだろう。
俺の会社では、部下たちが笑顔で忙しく働いていた。
「社長、本当にやりましたね」
「これで会社の信頼も一気に上がりますよ!」
俺は肩の力を抜いて頷いた。
「……ああ。これからが本番だ」
数日後。
突然、斎藤から面会の申し入れがあった。
俺の会社の応接室で対峙すると、かつての余裕は影を潜めていた。
腕を組み、挑発してきた男の姿はどこにもない。
沈黙のあと、斎藤は深く頭を下げた。
「……神谷社長。この前は大変失礼な物言いをいたしました」
その声には、屈辱と焦りが混じっていた。俺は表情を崩さず、じっと相手を見つめる。
「ずいぶんと態度が変わりましたね」
斎藤は顔を上げ、言葉を続ける。
「如月怜央の件、正直……御社がここまで力を持っているとは思わなかった。 今後は、ぜひ協力関係を築かせていただきたいのです」
俺は一呼吸置き、ゆっくりと椅子に背を預けた。
――あの斎藤が頭を下げる姿。胸の奥で、静かな満足感が広がる。
「……御社にとって必要なのは、虚勢ではなく誠実さです」
俺の言葉に、斎藤は苦々しい表情を浮かべつつも、再び深く頭を下げた。
信頼を失うのは一瞬。
その現実を、誰よりも今、目の前の男が噛みしめている。
「神谷社長、ぜひもう一度チャンスを……」
焦りと悔しさを隠しきれない声。その必死さを見ても、同情は湧かなかった。今ここで譲れば、また同じことを繰り返す。
俺は資料を手元に置き、冷静に言った。
「協力する条件があります」
斎藤の目が一瞬だけ揺れた。俺ははっきりと告げる。
「今後、我が社に対して牽制や妨害めいた行為を一切しないこと。そして、今回の案件に関しては、御社が裏方として全面的に支援に回ること。それが受け入れられるなら、話は前に進めましょう」
斎藤は息を呑み、言葉を失った。屈辱だろう。だが、それ以外の道は残されていない。
やがて、噛みしめるように低い声が返る。
「……承知しました」
再び頭を深く下げる斎藤。
その姿を見届けながら、俺は心の奥で静かに頷いた。
ともだちにシェアしよう!

