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第8話 華やかな夜の視線
side 神谷 拓実
夜の街にタクシーが滑り込むと、遠くからでも分かるくらいライトアップされた建物が視界に入った。
ガラス張りの外壁に反射するネオン。
建物の前には長いレッドカーペットが敷かれ、タキシード姿やドレスアップした人たちが次々と出入りしている。
業界関係者が一堂に集まる、年に一度の交流パーティー。
スポンサーや芸能人、そして裏方まで。名刺交換と情報戦、そして見栄の張り合い。そんな場だ。
俺は招待されていたけれど、企画を一緒に進めてきた遥にも「サポート」と称して一緒に来てもらった。
表向きはスタッフ扱い。しかし、本当は……ただ俺が隣にいてほしかっただけだけど。
「……ここが会場?」
隣で遥が小さく呟いた。声には緊張が滲んでいる。
「そう。まあ、大げさな見栄の張り合いだな」
「いやいや、これ……映画とかドラマの世界だろ。俺、場違いじゃね?」
「そんなことないよ。むしろ、お前がいる方が心強いし」
俺が軽く言うと、遥は目を丸くし、慌てて視線を逸らした。
タクシーを降りると、カメラのフラッシュが遠くで瞬いた。
俺と遥が並んで歩くと、指先がかすかに触れる。
「遥、緊張してる?」
「……まあ、な」
「大丈夫。俺がいるから」
短く言っただけで、遥は息をのんだように瞬きし、小さく頷いた。
エントランスを抜けると、まるで外とは別世界だった。
高い天井から吊られた巨大なシャンデリア。光が無数のクリスタルに反射して、床までも輝かせている。
壁一面の装花は季節の花を惜しみなく使い、赤と白が豪快に入り混じっていた。
ジャズの生演奏が流れ、人々の笑い声とシャンパングラスの音が絶えず響く。
「すげぇ……」
遥が思わず息を呑む。
「拓実、俺こういうの、マジで映画でしか見たことねぇ」
「そうだな。別に慣れる必要はないからな」
「いや、慣れたらダメだろ。これに慣れたら、もう庶民に戻れない」
くすっと笑う遥の声に、緊張が少し和らいだ。俺もつられて肩の力が抜ける。
すると、早速声をかけられた。
「神谷社長、ようこそ」
「如月怜央さんの件、耳にしましたよ。本当に驚きました」
「いやあ、若いのに落ち着いてらっしゃる。頼もしいですよ」
名刺交換や握手が次々に続いていく。
俺は自然と笑顔を保ちながら、相手の目をしっかり見て答える。
ただそれだけで、相手の態度が柔らかくなるのが分かる。
「今夜は社長、すごい注目浴びてますね」
「ほんと、オーラありますよ」
「いえ、そんな大げさな……」
軽く笑って受け流す。
それでも、こういう言葉が次々と飛んでくるのは、如月怜央との契約の影響が大きい。
一気に「できる若手社長」として認知されたのだ。
横で遥は、少し居心地悪そうに黙っていた。
だがその視線はしっかり俺を追っている。
「拓実って、やっぱすごいよな」
人の流れがひと段落したところで、遥が小声で言った。
「何が」
「みんな、お前のこと見てる。まるで映画の主人公じゃん」
「そんなもん、見せかけだよ」
声を落とし、遥にだけ聞こえるように囁く。
「俺が本当に気にしてるのは……お前の顔色だけだから」
一瞬、遥は固まったように俺を見た。
けれどすぐに顔を逸らし、グラスを手に取って口をつける。
耳まで赤くなっているのが照明のせいじゃないのは明らかだ。
――何百人いようが、俺の目に映るのは隣にいる一人。
そう思った瞬間、喧騒の中で妙な落ち着きを覚えた。
「おい、拓実」
「ん?」
「……今の、簡単に言うなよ。心臓に悪い」
遥は視線を外したまま、不満そうに呟く。けれど口元はわずかに緩んでいた。
俺もつられて小さく笑い――ふと、背筋を撫でるような視線を感じた。
人混みの向こう、シャンデリアの光の下で、ワイングラスを持った女社長らしき人物がこちらを見ていた。
鮮やかな真紅のドレス。鋭い視線と余裕の笑み。
一瞬、目が合った。
彼女はグラスを軽く掲げる仕草を見せ、それから人の波に紛れていった。
――この夜が、ただの華やかな宴では終わらない。
そんな予感だけを残して。
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