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第10話 誰に囲まれても、俺の隣は譲らない

side 神谷 拓実 遠目に、遥がスーツ姿の男と話しているのが見えた。 ――知らない顔だな。 気づけば足が向いていて、自然に二人に近づく。 少し焦ってる、っていうか、嫉妬に近い感覚かもしれない。 「お待たせ」 遥に声をかけながら、俺は男との距離をさりげなく遮るように一歩前に出る。 正体は分からない。ただ、遥に寄りすぎているのが気に入らねえ。 男は少し驚いた表情を見せ、軽く頭を下げて名刺を取り出した。 「はじめまして、神谷社長。マーケティア・エージェンシーの田中と申します」 その口調は落ち着いてて丁寧。俺は名刺を受け取りつつ、視線をまっすぐ返す。 「どうも、田中部長。うちの一ノ瀬と話してたんですね」 軽く切り込むくらいで十分だ。 田中部長は微笑みながら、「ええ、少し」と落ち着いた声で返してきた。 「そうですか。では、また後でゆっくり話しましょう」 俺が軽く言うと、田中部長は礼儀正しく頭を下げ、一歩下がった。 すぐに俺は遥の方へ視線を戻し、肩にそっと手を添える。 「……少し場所を変えようか」 そう言いかけたところで―― 「神谷社長、先ほどはどうも」 振り返ると、赤いドレスを纏った女社長が立っていた。手にはワイングラス。 華やかな笑みを浮かべながら、視線をまっすぐこちらに向けてくる。 「あ、こちらこそ。挨拶だけで終わってしまって失礼しました」 俺が返すと、女社長はふっと唇を上げる。 ――華園レイラ社長。広告業界では名の知れた人物だ。 その視線は、次の瞬間、俺の前に立つ男へと移っていった。 「あら、田中部長。こんなところでお会いするなんて、珍しいわね」 「華園社長……本当にお久しぶりです。まさか同じ場にいるとは思いませんでした」 ――この二人、知り合いか。 「それで田中部長、誰と話してたの?」 華園社長が軽く問いかけると、田中が一瞬言葉に詰まった。 その間に、彼女の視線は俺と遥を行き来して、にこっと笑う。 「神谷社長。そちらの方、紹介してくださらない?」 華園社長に促されて、俺は自然に遥の肩を軽く押した。 「うちのスタッフで、一ノ瀬です」 「一ノ瀬遥と申します」 少し緊張しながらも名乗る遥に、華園社長は興味深そうに目を細める。 「素敵な方ね。田中部長が気にするのも分かるわ」 「華園社長、からかわないでください」 「あら、事実を言っただけよ?」 その時、遥の視線がこちらに向く。不安を隠せない瞳がまっすぐ俺を捉えていた。 「一ノ瀬さん、今夜は楽しんでます?」 華園社長がにこやかに問いかける。 「はい。とても勉強になります」 遥の答えは真面目すぎて、ちょっと堅い。 その隙を突くように、田中がすっと会話に割り込んだ。 「一ノ瀬さんは神谷社長とどちらで知り合われたんですか?」 遥が言葉に詰まる前に、俺が即座に答える。 「仕事を通じてです」 華園社長がクスッと意味深に笑う。 「でも、ただの仕事以上の関係に見えるわね。神谷社長、大事にしてそう」 遥が視線を落とすのを横目で確認しつつ、俺は淡々と返す。 「彼は優秀なスタッフですから」 余計な詮索を避けるための言葉。 田中はにっこり笑い、少し声のトーンを変えて続ける。 「じゃあ、一ノ瀬さん。今度僕と個人的に話す時間、作りませんか?」 社交辞令じゃない響き。 なるほど、俺に信頼されている一ノ瀬遥に興味を惹かれた――そんな空気が言葉の奥に滲んでいる。 ……だが、そんなの俺が許すわけないだろ。 胸の奥で何かが音を立て、表情が自然と硬くなる。 「神谷社長、一ノ瀬さんのこと、よほど気にかけてるのね」 「……どういう意味ですか」 「女の勘よ。ただ、気をつけた方が身のためよ。あまり一人に執着すると足元をすくわれることもあるから」 そこに田中がすっと口を挟む。 「華園社長の言う通りです。一ノ瀬さんも、もっと広く人脈作った方がいいですよ。仕事でも武器になりますから」 遥は小さく息を吸い、慎重に答える。 「そうですね……でも今は、神谷社長との仕事で精一杯で」 その言葉に、田中の顔が僅かに曇る。 俺は自然に遥の肩に手を置き、安心させるように、そして周囲に示すように押さえた。 「思った以上に親しいご関係なのね」 面白そうに目を細め、ワイングラスを揺らす。 その様子を横目で見ながら、俺は余計な言葉は挟まずに視線を返した。 ちょうどその時、遠くから大物プロデューサーが軽く手を振りながら近づいてくる。 「神谷社長、先日はお世話になりました。あの企画、すごく面白かったです」 その後も俺のところには、次々に芸能プロダクションの社長やタレントたちが集まる。 遥は気を使うようにそっと後方へ下がった途端、モデルやアシスタントたちに囲まれてしまったようだ。 ――視界には入るが、手を伸ばしても届かない距離で。

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