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第14話 公私混同ミーティング
side 神谷拓実
他社での打ち合わせを終え、外に出ると少し時間が空いていた。
……ちょっと休憩してから戻ろうかな。
そんな時、ポケットのスマホが震える。画面に浮かんだ名前を見て、思わず足を止めた。
――華園社長。
“よろしければ、お茶でもいかがかしら?”
「……お茶、か」
またすごいタイミングだな……。
無視できる相手じゃない。やれやれ、と思いながらも指先は自然に画面をなぞり、短く返信を送った。
“お誘いありがとうございます。ぜひご一緒させていただきます”
すぐに既読がつき、華園社長からの返信には一つの店名が添えられていた。画面を見た瞬間、思わず息を止める。
そこは、祖母・神谷潔が経営するカフェだった。
……ばあちゃんとこのカフェじゃねぇか。
なんでよりによって、そこ指定するんだよ。気まずいにも程がある。
でも、断るなんて選択肢はない。約束の時間に合わせて向かうしかなかった。
通りの角を曲がると、見慣れた木目調の外観が目に入る。
ドアを押せば、コーヒー豆の香ばしい匂いと柔らかい照明が迎えてくれる。
――今日、ばあちゃんは会合で出かけてるはずだ。まさか、ここに顔出してないよな。
心の中で確認するみたいに呟きながら店内に一歩踏み込むと、そこにいたのは祖母じゃなく――華園社長。
立ち上がって、優雅な笑みを浮かべて俺を迎えていた。
「神谷社長、来てくれたのね」
「はい、少し時間が空きまして」
できるだけ落ち着いた声で返す。
華園社長は軽く笑って、手でテーブルの方を示す。
店内は柔らかい光に包まれ、外の慌ただしさから切り離された静かな時間が流れていた。
席に着き、少し雑談をしていると、店員がコーヒーを運んできた。
一口飲むと華園社長がこちらを見て、静かに切り出す。
「神谷社長、実は……ひとつご提案があって」
その声は、さっきまでの柔らかな雑談の雰囲気とは少し違っていた。俺も自然と背筋を伸ばす。
「広告業界って、これからもっと動画にシフトしていくと思いますの。そこで、御社と手を組めないかと」
真正面から見据えられて、本題はこれだったんだと理解する。
「つまり、御社の広告案件をうちで映像化していく……そういう形ですか?」
「ええ。私たちの強みと、神谷社長の会社のクリエイティブ。きっと面白いものが作れると思いますわ」
華園社長の目が、ただの世間話じゃない真剣さがあった。
……やっぱり、軽いお茶じゃ済まないか。
カップを手に取り、少し間を置いてから答える。
「……ちょっと考えさせてください」
「もちろんよ。いい返事を待ってますわ」
華園社長は笑みを崩さず、さらに一歩踏み込んでくる。
「そうそう、神谷社長。もちろん仕事の話も大事ですけれど……少しプライベートなお話も、聞かせていただけますか?」
その言葉に胸の奥が軽くざわつく。
「え、プライベート……ですか?」
「ええ。例えば、一ノ瀬さんとの関係とか……」
華園社長の目は柔らかく、しかし鋭くこちらを見据えていた。
一瞬、言葉を詰まらせる。
「先日のパーティーの時もお伝えしましたけれど……少し気をつけたほうがいいかもしれませんわ」
胸の奥がぞくりとした。
「……忠告、ですか?」
「ええ。ただの社交上の注意ではありませんわ。感情は仕事と絡みやすいですから。特に一ノ瀬さんのような存在がそばにいると、判断に影響を与えかねませんわよ」
俺は軽く頷き、慎重に言葉を選ぶ。
「……承知しました。気をつけます」
すると華園社長は、柔らかく微笑みながらも意味深に視線を向ける。
「一ノ瀬さんとの関係を完全に隠すのも難しいでしょうね。周囲から好奇の目を向けられることも覚悟しないといけませんわ。もちろん……好意を持つ者もいますから。そして、貴方自身も注意が必要ですわ」
公私の境界、恋人としての距離、周囲の視線。整理できない思いが、カフェの静かな空気に重く漂う。
「……ええ、心得ました」
軽く頷くと、華園社長はふっと微笑み、声のトーンを少し柔らかくした。
「ねえ、神谷社長。私の恋人になりません?」
——え……?
言葉の響きは、社交辞令の範囲を超えている。耳を疑った。けれど、頭の片隅では冷静に状況を分析する。
「……どういう意味です?」
動揺を抑えようと、カップに視線を落として深呼吸する。
「もし私と、少し深い関係――たとえば恋人のような立場で結びつくとしたら、いくつか利点があるのよ」
……一体、何を言い出すんだ。
警戒しつつも、自然と耳が向いていた。
「まず、仕事の面。私たちの会社は広告業界で長く影響力を持っていますの。貴方の会社と深い関係になれば、プロジェクトの提携や新しい案件のチャンスも、よりスムーズに動かせるわ」
確かに、ビジネスの面では納得できる話だ。
「そして、社会的な目。周囲からの信用や立場も安定しますわ。貴方が私の隣にいることで、社外の信頼も得やすくなるでしょう」
その後の言葉に、思わず息を飲む。
「最後に、心理的な面も。互いに支え合える関係になれば、仕事の重圧や迷いも、少し軽くなるかもしれませんわ」
仕事、立場、そして心理的な安心感……すべてが、この提案に含まれている。
「……つまり、社長としてだけでなく、個人的な側面でも支え合える関係になる、と」
華園社長はゆっくり頷き、目を細めて微笑む。
「ええ。それに、神谷社長……周囲に油断ならない人がいても、私がそばにいれば、少しは心配せずに動けるでしょう?」
微妙な緊張が漂う。どこまでが本心で、どこまでが社交上の演出なのか。
華園社長の真意を探ろうとしつつも、今は静かに呼吸を整えるしかなかった。
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