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第16話 抱きしめたいのに離れたい、嫉妬のすれ違い

side 一ノ瀬 遥 スマホにメッセージ通知。画面を開くと、また田中さんからだった。 “最近の読者動向をまとめた資料があるんです。君の企画にも役立つと思いますよ” 最新のトレンドや広告の動き、業界の裏話。 仕事に直結する情報をもらえるのはありがたい。 ……でも、問題はその後。 “よかったら直接話しませんか。今度食事でも” “夜ならもっと落ち着いて話せると思うんですよね” “仕事抜きでも、君と仲良くなりたいんです” 「……はぁぁぁ」 深いため息がこぼれる。 どうして毎回、余計な誘いを混ぜてくるんだろう。仕事のことだけなら心底助かるのに。 既読をつけたまま、スマホを持つ指が止まる。 変に断って気まずくなるのは避けたい。でも、応じる気なんて……ない。 * 「ただいまー……」 玄関を開けると、リビングのソファーに座る拓実がノートPCを開いていた。 いつものきっちりしたスーツ姿じゃなくて、カジュアルなシャツにスラックス。けれど、画面を見つめる横顔はやっぱり社長そのものって雰囲気で、不意に胸がどきっとする。 「遥、おかえり。会議、どうだった?」 「うん、悪くなかったよ。田中さんからもらった資料が役立った」 「……あいつ、よく連絡してきてるのか?」 拓実の眉がぴくりと動く。慌てて首を振る。 「仕事のことだけだから、大丈夫。余計なことはちゃんと断ってる」 「……ならいいけど」 少し納得いかなそうにしながらも、拓実は再びPC画面に視線を戻した。 「それ、何見てんの?」 「広告業界の動き。最近の出稿の流れを追ってる」 「へぇ……社長って、帰宅してまでそんなことしてるんだ」 「当たり前だろ。お前が編集する記事にだって繋がるし」 からかうつもりで言ったのに、真面目に返されてしまって、なんだか胸がふわっと温かくなる。 そんなとき――拓実のスマホが振動した。 画面を見た彼は、少しだけ表情を和らげる。 「……悪い。ちょっと電話出る」 拓実は立ち上がって窓際に移動し、穏やかな声で話し始めた。 「……ああ、レイラさん。はい、今なら大丈夫です」 ――レイラさん……? それって確か、華園社長の名前だよな。 いつの間に、そんな風に呼ぶ仲になったんだ? 拓実の声は落ち着いているけれど、普段の仕事仲間に話すときとは少し違う響きがあった。 俺はソファーに残され、なんとなく胸の奥がざわつくのを感じていた。 とぼとぼと寝室に行き、ベッドに潜り込みながら、布団を頭までかぶった。 さっきリビングでの拓実の様子が、どうにも胸の奥で引っかかってる。 「……レイラさん、ね」 電話越しにそう呼んでいた。声は柔らかく、どこか親しげで。 仕事の関係者だってわかってる。 それでも――拓実が他の誰かに向ける口調ひとつで、こんなに落ち着かなくなる自分が嫌になる。 ガチャリ、と寝室のドアが開いた。 「遥、もう寝た?」 「……寝てる」 「寝てたら返事しないだろ」 布団を剥がされ、拓実の影がのしかかってきた。低い視線と熱を帯びた気配。 「……なんだよ」 「遥、どした?」 「別に」 「……可愛いな、ほんと」 不満を隠したいのに、拓実の笑みを見たら心が揺らぐ。 その手が頬を撫で、ゆっくりと唇が近づいてきて―― その瞬間、枕元に置いていたスマホから低く震える音が響いた。無遠慮な振動が空気を揺らす。 目をやれば、画面にははっきりと“田中”の文字。 「……うっそ」 「田中?」 拓実の声が一瞬、硬くなる。 俺は慌ててスマホを取るけど、通話を押す勇気なんて出ない。 拓実の視線とぶつかって、息が詰まった。 スマホのバイブが止まり、部屋に静けさが戻る。 けれど、拓実の目は鋭いまま俺を見ていた。 「……お前、田中とプライベートでやりとりしてんの?」 「ち、違う。あの人はただ、仕事の……」 「仕事の話なら、なんで夜中に電話してくる?」 低く落ちた声に、胸がきゅっと縮む。 拓実は俺の手からスマホを取り上げ、画面を一瞥したあと、ため息を吐いた。 「……こういうの、正直いい気はしない」 「でも、ほんとに仕事関係だけで……! トレンドとか情報とかくれるし、会議でも役立って――」 「じゃあ情報だけもらえばいい。誘いに応じる必要ないだろ」 「……応じてねえから!」 思わず強く返すと、拓実の視線が少し揺らぐ。 「ほんとに?」 「……ほんと。だって俺、拓実以外と……そんな気持ちになんか、ならない」 思わず口走った言葉に、自分で顔が熱くなる。 拓実は一瞬黙って、それから俺を抱き寄せた。 「……じゃあ余計に、許せねぇ」 「え……」 「お前にしつこく絡む時点で、俺にとっては敵だ」 耳元に落ちた声に、背筋がぞくりとする。 ――けど、胸の奥に小さな引っかかりが残った。 さっき、「レイラさん」って親しげに呼んで、華園社長とやり取りしていたのは拓実じゃないのか。 あれだって、俺から見れば充分プライベートな繋がりに思えた。 「……拓実だって」 言葉が喉で止まり、唇を噛む。 「俺が、何?」 口にしたらケンカになる。わかってるのに、モヤモヤは消えてくれない。 「……拓実」 「ん?」 「ちょっと……離れて」 自分でも驚くくらい小さな声だった。 拓実の腕がわずかに緩む。けれど、完全には解かれない。 「離れたいのか?」 「……うん、今は」 混乱してる。田中さんからの着信に、拓実の嫉妬混じりの言葉。 好きなのに、抱きしめたいのに、苦しい気持ちが込み上げてきてどうしたらいいかわからない。 拓実は黙って俺を見つめ、ようやく腕を下ろした。 けれどその瞳はまだ熱を帯びていて、俺の心をさらにざわつかせた。

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