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第17話 二人の距離
朝の光が部屋に差し込む。
ベッドの中、隣にいつもいるはずの拓実は居ない。
昨夜のやりとりを思い返し、ため息を吐きながらリビングに向かった。
「……おはよ」
小さく声をかけると、拓実は目を細めて頷く。
「……おはよう、遥」
返事は淡く、でもいつもより少し硬い。互いに気まずさを隠そうとして、ぎこちない空気が部屋に漂う。
朝食も無言で食べる。
拓実は新聞を広げ、俺はコーヒーをすすりながらスマホをいじる。目が合っても、すぐにそらしてしまう。
「じゃ、そろそろ行くな」
拓実がやっと口を開く。
「……ああ」
俺も短く返すだけ。言葉少なに、服を整えて出社の準備をする。
玄関で靴を履きながら、拓実が軽く手を振る。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
声のトーンは普段通りなのに、どこかぎこちない。
扉が閉まったあとも、昨夜の違和感がまだ胸にくすぶっていた。
*
神谷メディア編集部のフロアに足を踏み入れると、まだ空気は静かで、キーボードの音だけが響いていた。
自分の席に向かう途中、今朝のやり取りを思い出す。拓実と目を合わせたくても、自然と視線をそらしてしまったあの瞬間。
はぁ……、何やってんだか。
スマホを手に取ると、着信履歴やメッセージが気になって仕方ない。
でも、触れないようにそっとデスクの引き出しにしまい込み、PCを開く。
その時、ちょうど同僚が資料を手渡してきた。
「一ノ瀬さん、今日の件です」
「ありがとう。確認しておきます」
小さな声で応えつつ、ふと耳に入った会話に意識が向く。
「今回、アークメディアホールディングスがガーデン・プロモーションと提携するって話だよ」
「え、ガーデン・プロモーションって、あの広告代理店の……華園レイラ社長?」
思わず固まる。
そして、昨日の夜、拓実が親しげに電話していたことを思い出す。
……華園社長か。
提携ってことは、これから拓実が仕事で直接関わる相手になる。
冷静に考えればただのビジネスパートナーなのに、頭の中ではどうしても“拓実の隣に立つ姿”を想像してしまう。
俺よりも、あの人のほうがずっと頼もしくて、ふさわしいんじゃないか。
そんな考えがよぎった瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
自嘲気味に息を吐く。
嫉妬も、焦りも、情けないくらいに膨らんでいく。
昨夜から胸の奥にくすぶっていたもやもやは、さらに色濃くなる。
編集部の静かな空気の中、資料に目を落とすふりをしながら、胸のざわつきを抑えるのに必死だった。
*
仕事を終え、オフィスの扉を開けると、穏やかな風が肌を撫でる。
夕方の街は少しオレンジがかり、まだ夏の名残を感じさせる。
そんなとき、前方に見覚えのあるスーツ姿。
「……一ノ瀬さん?」
思わず立ち止まる。田中さんだ。
……うわ、タイミング悪いな。
「あ……お疲れ様です。田中さん」
「偶然ですね! そうだ、一ノ瀬さん。今お時間ありますか?」
「えっと……あの、今日はちょっと……」
断ろうと口を開きかけたけれど、田中さんの口から出た言葉で足が止まった。
「神谷社長と華園社長の件、聞きましたよ」
──その話か。
拓実のことを思い出し、昨夜の気まずさが頭をよぎる。
田中さんが探るように笑って言う。
「神谷社長と華園社長、あの二人が並ぶと絵になりますよね。まるでドラマの主演みたいで」
胸の奥がざわりと波立った。
「……そう、ですね」
田中さんは俺の反応をじっと観察するように目を細める。
「やっぱり、身近で見てるとそう思います?」
「……いえ、俺は……」
言葉が出ない。否定しようとしても、胸の奥にあるのは嫉妬ばかりで。
田中さんの口角がわずかに上がった気がして、慌てて話を打ち切った。
「すみません、今日はもう帰りますので」
「ああ、失礼しました。またぜひ」
別れ際の笑顔に、妙な引っかかりが残る。
だけどそれ以上に――頭の中では“拓実の隣に立つのは俺じゃない”という思いがぐるぐる回る。
気づけば、帰路につく足取りが重い。
玄関のドアを開けて拓実の顔を見ることが、今はただ怖かった。
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