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第18話 静かな夜に、一人になる
「ただいま……」
玄関の扉を閉めると、部屋の静けさがずっしりと重く感じた。
靴を脱ぎかけた俺に、拓実の優しい声がかかる。
「おかえり」
リビングに入ると、ソファーに座る拓実は片肘を背もたれに預けて、じっと俺を見つめる。
逃げたいのに、目を逸らすと悪いことしてるみたいで余計に焦る。
「遥、どうしたんだよ。ちゃんとこっち見ろよ」
「……別に、なんでもねえし」
拓実は小さく息を吐いて、眉間に皺を寄せたまま俺を見てる。
ちょっと前のめりになって、目を細めてるのが余計に落ち着かない。
「何かあるなら話してくれよ」
その言葉に滲む真剣さは隠せない。胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
――全部を話す勇気なんて、まだ出ない。
なんで、俺はこんなに弱気なんだろう。自分の気持ちさえ整理できない。
「なあ、遥」
低く呼ばれ、つい顔を上げてしまう。
拓実はほんの少し首を傾げ、眉を上げている。
「何……?」
声の奥にちょっとした不安が混じっているのが自分でも分かる。俺は自然と視線を逸らしてしまった。
「お前、マジでなんかあったんだろ?」
真正面から射抜かれるような視線に、思わず首を小さく振る。
「……なんもねえって」
拓実は黙ってこちらを見つめ、やがて小さく息をついた。
「俺はいつだって遥のことが気になるんだよ。だから、ちゃんと言えよな」
ハッキリ言うのは、やっぱり拓実らしい。
対象的に、俺は言葉が出なくて俯くしかできない。重たい静けさが二人の間に広がる。
拓実は何も言わず立ち上がり、窓際へ移動して外を眺めている。
背中越しに感じる気配が遠くて、なんだか体の奥がすっと冷えた。
「……拓実、あのさ」
「なに?」
「アークメディアがガーデン・プロモーションと提携するって本当だよな?」
ふいに口をついて出たのは、仕事のことだった。拓実は振り返らず「ああ」と答える。
「ガーデンとなら、面白いものが作れると思う。レイラさんとも、うまくやっていけそうなんだ」
淡々と、けどどこか楽しそうに話す声。その横顔を見た瞬間、胸がざわついた。
……そうだよな。拓実は社長で、第一線で勝負してる人だ。
未来の話をしてるときのこいつは、やっぱり眩しい。
俺がいてもいなくても、拓実はどんどん前に進んでいく。いや、むしろ俺の存在は邪魔になる。拓実が俺といるメリットなんてない。
そんな思いが頭の中を支配し、背筋にさーっと冷たいものが走った。
「……そうだ、近々レイラさんと打ち合わせがあるんだ」
拓実が夜景に目を向けたまま言う。
「華園社長と?」
俺は思わず問い返した。
「ああ。ガーデンとの提携の件で直接話を進めたい。場所は、ばあちゃんのカフェで」
「……潔さんのカフェ?」
拓実は振り返って小さく笑った。
「そう。レイラさん、ばあちゃんとも知り合いなんだよ。だから落ち着いて話せる場所にしようって」
俺の大切な場所に、拓実にとって特別になりそうな人が並ぶ。
「遥も一緒に来てくれよ」
「……えっ」
拓実の言葉が追い打ちをかける。
「お前がいた方が、俺も安心できるから」
……けど、それは本当だろうか。
拓実の隣に立つべき人は、俺なんかじゃなく――もっと相応しい相手がいる。
頭の中で、“俺はただの保護対象だ”という言葉が響く。
拓実にとって、今の自分は“大事な存在”かもしれない。
けど、この先も恋人として必要とされる確信は……どこにもない。
「……拓実」
声が震えた。
「俺……ちょっと、一人になりたい」
抑えきれず口から零れた。拓実はゆっくり振り返り、目を見開く。
言葉を探すように口を開きかけては閉じ、ただ俺を見つめる。
「拓実と離れて、一人になりたいんだ」
そう言った瞬間、拓実は一瞬言葉を失い、唇を噛んでる。
俺は息を整えて、静かに部屋の隅のバッグに手を伸ばす。
「遥、それは……どういう意味」
少し苛立ちが混ざった言葉は途切れ、ため息と共に止まる。俺は静かに荷物をまとめる。
「一緒に住むのは、拓実の怪我が治るまでの期間限定だったじゃん」
小さな声でも、はっきり響く。
拓実は眉を寄せて少し息を吐き、こちらを見る。
「急にどうした? 何があったんだよ」
「何がっていうか……よく考えたら、俺と拓実は身分も立場も違いすぎるよな、って」
「立場……?」
「これ以上、拓実と一緒に居るの、しんどくてさ」
そう言うしかない。
拓実の目線がほんの少し逸れて、俺の言葉を反芻しているのがわかる。
「……ここから出て行きたいのか?」
バッグを持ち、玄関の扉に手をかけた瞬間、背後から声がかかる。
反射的に体が固まったけど、振り返らないよう目を閉じ、息を整える。
「うん、出てく」
はっきり届くように言う。胸の奥では、ぎゅっと締め付けられる痛みが走る。
「遥」
拓実の声と足音がフローリングに軽く響く。
「……俺の気持ちは変わんねぇから」
背中に届く言葉。
俺は振り返らずゆっくり扉を開け、生温い夜の空気に一歩踏み出した。
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