28 / 66
第28話 ぎゅっと握って、小さな王子さま
翌朝、拓実のマンションのインターホンが鳴った。
「あら、もう来たのね」
拓実のお母さんが慌ててエプロンを外しながら玄関へ向かう。
俺は拓実と一緒にリビングで朝食を摂っていた。
「誰が来るの?」
「従姉の子供。急用で一日だけ預かることになったんだ」
従姉の子供……?
拓実が苦笑いを浮かべる。
玄関の方から、明るい女性の声と小さな泣き声が聞こえてきた。
「すみません、急にお願いして。ユウト、おばちゃんのところで良い子にしててね」
「やだー! ママといっしょがいい!」
玄関を覗くと、3歳くらいの男の子が母親の足にしがみついて泣いている。
「本当にすみません。夕方には必ずお迎えに来ますから」
「大丈夫よ。ユウト君、こっちおいで」
拓実のお母さんが優しく手を差し出すが、ユウト君と呼ばれた男の子は首を振って泣き続ける。
「ユウト、たくみだよ」
拓実がしゃがみ込んで目線を合わせる。ユウトは涙目で拓実を見上げた。
「たくみ、車、もってる?」
「持ってるよ。今度見せてあげるから」
「ほんと?」
少し興味を示したユウトだったが、母親が出て行こうとすると再び泣き出した。
「ママー!」
「困ったわね……」
拓実のお母さんが困り果てているのを見て、俺は自然に立ち上がっていた。
「ユウト君」
名前を呼ぶと、ユウトは警戒するように俺を見上げる。
「お兄ちゃんと一緒に、今からお車見に行かない?」
「くるま……?」
「うん。たくみのお車、とってもかっこいいんだよ」
俺がゆっくりと手を差し出すと、ユウトは恐る恐る小さな手を重ねてくれた。
「行こうか」
「うん」
従姉は安堵の表情を浮かべ、「ありがとうございます」と言って急いで出かけていった。
拓実の車を見に駐車場へ向かう途中、ユウトは俺の手をぎゅっと握り続けていた。
「すごいな、遥。子供の扱いに慣れてるみたいじゃん」
隣で拓実が感心したように言う。
「そんなことないよ。ただ……」
俺は少し考えてから微笑んだ。
「小さい頃の自分を思い出してさ。不安な時、誰かが優しく手を差し伸べてくれたら嬉しかっただろうなって」
拓実は黙って俺の横顔を見ていた。
駐車場で車を見せた後、部屋に戻るとユウトは少し落ち着いていた。
でも、しばらくすると眉をひそめ、不機嫌になってきた。
「おなかすいた」
「じゃあお昼ご飯にしましょうか」
母親が持たせてくれたサンドイッチを見せると、ユウトは首を振って唸る。
「やだ! サンドイッチやだ!」
「あら、困ったわね」
ユウトの小さな手が、ぎゅっと俺の袖を掴む。不満そうな表情もどこか可愛らしく見えてしまう。
「ユウト君、じゃあ何が食べたい?」
俺がしゃがんで優しく尋ねると、ユウトはちょっと考え込む。
「……おにぎり!」
「おにぎりか。いいね」
ユウトの目がきらりと輝いた。
さっきまで不機嫌そうに口を尖らせていたのに、俺の言葉にぱっと笑顔が咲く。
「ユウトね、ツナマヨが好き!」
「ツナマヨか。じゃあ作ってあげるよ」
自分の気持ちをちゃんと聞いてもらえたことが嬉しいのだろう。小さな身体がぴょんぴょん跳ねる。
「ほんとに? ユウトの好きなの、つくってくれるの?」
「もちろん。ユウトの“好き”は大事だからな」
俺がキッチンに向かうと、ユウトはちょこちょこと後をついてきた。
「ユウトもお手伝いする!」
「ありがとう。じゃあ、一緒に作ろうか」
ユウトを抱き上げて台所に立たせると、小さな手でご飯をぎゅっと握ろうとする。
「上手だね」
「ほんと?」
ユウトが嬉しそうに笑う。その顔があまりにも無邪気で、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる。
「サンドイッチも、あとで食べような」
「うん!」
ユウトもぴたりと体を寄せてきて、小さな頭を俺の腕にすり寄せる。
「はるお兄ちゃん、やさしい」
「ユウト君もいい子だよ」
その後もユウトは俺にべったりで、お昼寝の時も俺から離れようとしなかった。
「やさしいお兄ちゃんがいい」
服をぎゅっと掴む小さな手。
その温もりを感じながら――胸の奥がじんわりと満たされていく。
こんな風に誰かに頼られるのは、不思議と悪くない。
むしろ……心地よかった。
ともだちにシェアしよう!

