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第29話 欠けていたピース
拓実の両親が親戚の家へ挨拶に出かけているあいだ、俺と拓実がユウトの世話を任されることになった。
ユウトが俺の膝の上で色鉛筆を握っている間、拓実は少し離れた場所でその様子を眺めていた。
「ユウト君、何色使う?」
「あか!」
「はい、どうぞ」
俺が赤い色鉛筆を渡すと、ユウトは嬉しそうに笑う。
「はるお兄ちゃん、だいすき!」
そんなユウトの言葉に、拓実の顔がみるみる曇っていく。
「俺のことは好きじゃないのか?」
拓実が少し拗ねたような声でユウトに聞くと、ユウトは首をかしげた。
「たくみ? たくみは……」
しばらく考えて、ユウトは小さく呟いた。
「ふつう」
俺は思わず吹き出してしまう。
「普通って何だよ」
拓実がぶつぶつと文句を言っているのが可愛くて、つい頬が緩んでしまう。
「ユウト君、上手に描けたね」
俺がユウトの絵を褒めると、ユウトは嬉しそうに頷いた。
色鉛筆で描かれた家族の絵には、大きなお父さんとお母さん、そして小さな子供が手を繋いでいる。
「これ、パパとママとユウト?」
「うん! みんなでおてて、つないでる!」
ユウトの無邪気な笑顔を見ていると、胸の奥が少しちくりと痛んだ。
俺の子供の頃には、こんな風に家族みんなで手を繋いだ記憶がほとんどない。
「仲良しだね」
俺は心からそう思いながら、ユウトの頭を優しく撫でた。
自分が子供の頃に欲しかったものを、この小さな子には当たり前のようにある。
それがとても羨ましくて、同時に嬉しくもあった。
「はるお兄ちゃんも、かぞく、いる?」
「うん、いるよ」
俺は拓実の方をちらりと見る。今の俺にとって、拓実こそが一番大切な家族だった。
「なかよし?」
ユウトの純粋な質問に、俺は少し困ってしまう。
拓実の家族とは仲が良いが、俺の実家との関係は複雑だった。
「……そうだね」
俺が曖昧に答えると、ユウトは首をかしげた。
「はるお兄ちゃん、かなしい?」
「え?」
ユウトの鋭い観察力に驚く。子供は大人が思っている以上に、相手の感情を敏感に感じ取るものだ。
「だいじょうぶだよ、ユウト君」
俺はユウトを優しく抱き寄せた。この温かさを、俺も子供の頃に感じていたかった。
でも今、ユウトに与えることで、何か満たされるような気持ちになる。
「ユウト君がいると、お兄ちゃん嬉しいし、悲しくないよ」
「ほんと?」
「本当だよ」
拓実がその様子をじっと見ていることに気づく。
「遥って、やっぱり優しいよな」
拓実の声には、いつもとは違う何かが込められていた。
「子供には優しくしたいんだ」
きっと拓実にも、俺の気持ちが伝わったのだろう。
「うん。ユウト、すっかり懐いてるもんな」
拓実の言葉に、俺は少し考えてから答えた。
「俺、子供の頃にしてもらいたかったことを、ユウト君にしてあげたいんだよ」
俺の言葉に、拓実の表情が少し曇る。
「遥、お前……」
「ユウト君みたいに素直で可愛い子を見てると、大切にしてあげたくなる」
拓実は黙って俺の手を握った。その温かさが、胸に染みた。
夕方、ユウトがうたた寝から目覚めると、真っ先に俺を探した。
「はるお兄ちゃん、どこ?」
「ここにいるよ」
俺の姿を見つけると、ユウトは嬉しそうに駆け寄ってきて俺に抱きついた。
その様子を見ていた拓実が、小さく舌打ちする。
「起きてすぐ遥を探すなんて」
「嫉妬してんの?」
俺がからかうと、拓実はそっぽを向いて反論した。
「嫉妬なんてしてない」
「顔に書いてあるよ」
そんなやり取りを聞いていたユウトが、不思議そうに俺たちを見上げる。
「たくみ、おこってる?」
「いや、怒ってないよ」
拓実は慌てて否定するが、その表情はどう見ても拗ねている。
「でも、かお、こわい」
ユウトの素直な指摘に、拓実はがくっと肩を落とした。
「子供って、本当に容赦ないな」
「正直者なんだよ」
俺がユウトの頭を優しく撫でると、ユウトは気持ち良さそうに目を細める。
従姉がお迎えに来た時も、拓実の嫉妬は続いていた。
「はるお兄ちゃん、またあそぼうね」
ユウトが俺にしがみつきながら聞くと、拓実がぼそっと呟いた。
「俺には言わないんだな」
「拓実も一緒だよ」
俺がフォローすると、ユウトが首をかしげる。
「たくみもいるの?」
「いたらダメ?」
拓実が少し不安そうに聞くと、ユウトはしばらく考えてから答えた。
「んー、いいよ。でも、やさしくしてね」
「優しくするよ」
拓実が約束すると、ユウトは満足そうに頷いた。
従姉の車が去った後、部屋には静寂が戻った。
テーブルの上には、ユウトが描いた家族の絵が残されている。色鉛筆で丁寧に描かれた三人が、手を繋いで笑っている絵だった。
「温かい家族だな」
拓実がぽつりと呟く。
「そうだね」
俺は絵を見つめながら答えたが、胸の奥がずきんと痛んだ。
ユウトの描く家族は、俺が子供の頃に憧れていたものそのものだった。
「遥?」
拓実が心配そうに俺の顔を覗き込む。
「ごめん、ちょっと考え事を」
ユウトの無邪気な笑顔を思い出すと、胸が温かくなると同時に、どこか切ない気持ちも湧いてくる。
「俺がお前の家族だから」
「拓実が?」
「うん」
胸の奥の寂しさと、今ここにある幸せが、胸の中で複雑に絡み合っていた。
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