30 / 66

第30話 傷跡と再生①

「……遥。俺さ、お前の家族にも、ちゃんと挨拶したいんだけど」 拓実のその言葉に、俺は思わず手にしていたユウトの絵を落としそうになった。 「え……?」 拓実は真剣な目で俺を見つめる。 「俺と一緒に生きていくなら、避けて通れないことだと思うんだ」 「でも、俺の家族は……普通じゃない」 小さな声で呟くと、封印していた記憶がざわざわと蘇ってくる。 「やっぱり何か事情があるんだな?」 「……ああ」 「遥。よかったら聞かせてくれねぇかな」 「……うん」 ――あの頃の俺は、まだ七歳の子供だった。 突然の交通事故で両親を失い、一人ぼっちになった俺は親戚の家――緒川家に引き取られた。 その日から、義父の怒声が日常になった。 そして、義母も同調する。決まって二歳年上の健と比較された。 「本当にダメな子ね。お兄ちゃんを見習いなさい!」 健は緒川家の本当の息子だから当然なのかもしれない。 健は勉強もスポーツもできて、義理の両親の期待に完璧に応える“良い子”だった。 でも俺だけは知ってた。健の本当の顔を。 大人の前では礼儀正しく振る舞うくせに、二人きりになると途端に態度を変える奴で。 俺の持ち物を隠したり、わざと大事なものを壊したりして、大人が来ると「遥が落としちゃったみたい。大丈夫?」と心配そうな顔で近づいてくる。 「健くん、優しいのね。ちゃんと遥の面倒を見てくれて」 義母は健を褒め、俺に向かって怒鳴った。 「また健くんに迷惑をかけて! いい加減にしなさい!」 何もしていないのに。説明しようとしても聞いてもらえなかった。 「言い訳ばかりするな!」 義父の拳が俺の頭を叩く。 健が壊したものなのに、俺が弁償しろと言われた。少ないお小遣いも取り上げられた。 「遥、僕が代わりに弁償してあげるよ」 健が優しそうな声で言った。義父母の前で、まるで本当に心配してくれているかのように。 「健くんは優しい子ね。本当、お兄ちゃんらしいわね」 義母の顔がほころぶ。 「だって、遥も“家族”だから。当たり前だよ」 健は謙遜するように微笑んで、俺の手を握った。その手には、警告するように強い力が込められていた。 「ほら遥、健くんにお礼を言いなさい」 「……あ、ありがとう」 俺は震えた声でそう言うしかなかった。 健の完璧な演技の前では、真実を話すことなど不可能だったから。 「さすが健だ。それに引き換え、遥はどうしようもないな」 義父がため息をつく。 健は俺だけに見えるよう、口の端を上げて笑った。 そして、俺は自分がいつも怒られることだけは理解していた。何をしても、しなくても。​​​​​​​​​​​​​​​​ しばらくすると、学校で作文のコンクールが開催されることになった。 俺は本が好きで、いつも図書館で過ごしていたから、作文を書くことには自信があった。 「家族について」というテーマで、俺は一生懸命に書いた。 本当の両親のことを思い出しながら、暖かい家族への憧れを込めて。 原稿用紙三枚にわたる作文を書き上げ、机の引き出しにしまっておいた。翌日学校に持参するつもりだった。 でも、翌朝になってその作文が見つからない。 「あれ? 確かにここに置いたのに……」 慌てて部屋中を探し回ったが、どこにもなかった。 「遥、何をがさごそやってるんだ」 義父が不機嫌そうに覗き込む。 「作文が……なくなって」 「また忘れ物か。だらしのない奴だ」 結局、急いで別の作文を書き直すしかなかった。でも時間がなくて、納得のいく出来にはならなかった。 ――それから数ヶ月後のことだった。 「健くん、おめでとう!」 義母の弾んだ声が聞こえてきた。 「何があったの?」 俺がリビングに行くと、健が少し照れたような顔で立っていた。 「健くんの作文が、市のコンクールで大賞を取ったのよ!」 義母の嬉しそうな声。でも、その瞬間俺の血の気が引いた。 え……? 健の手に握られていた賞状と一緒に、見覚えのある原稿用紙が見えた。 「それ、僕の……」 震え声でそう言うのが精一杯だった。 健は俺だけに聞こえるような小さな声で呟いた。 「何か言った?」 「ううん……」 俺は何も言えなかった。言ったところで、誰が信じてくれるのか、って。 「健は本当に優秀だな。それに引き換え、遥は作文のコンクールにも参加しなかったそうじゃないか」 義父が俺を睨む。 「まあ、忘れ物をするような奴には無理だったんだろう」 その後、健は表彰式に出席し、新聞にも載った。 健がインタビューで答えている記事を見た時、俺の心は完全に砕けた。 それは俺が作文に込めた想いだった。 でも、健にとってそれは単なる“良い成績を取るためのネタ”でしかなかった。 「健くん、本当に文章が上手なのね」 義母は嬉しそうに健を褒め続けた。 「遥も見習いなさい。お兄ちゃんのように」 俺は頷くことしかできなかった。 その夜、俺は布団の中で泣いた。 自分の努力が、想いが、全て健に奪われてしまったから。

ともだちにシェアしよう!