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第30話 傷跡と再生①
「……遥。俺さ、お前の家族にも、ちゃんと挨拶したいんだけど」
拓実のその言葉に、俺は思わず手にしていたユウトの絵を落としそうになった。
「え……?」
拓実は真剣な目で俺を見つめる。
「俺と一緒に生きていくなら、避けて通れないことだと思うんだ」
「でも、俺の家族は……普通じゃない」
小さな声で呟くと、封印していた記憶がざわざわと蘇ってくる。
「やっぱり何か事情があるんだな?」
「……ああ」
「遥。よかったら聞かせてくれねぇかな」
「……うん」
――あの頃の俺は、まだ七歳の子供だった。
突然の交通事故で両親を失い、一人ぼっちになった俺は親戚の家――緒川家に引き取られた。
その日から、義父の怒声が日常になった。
そして、義母も同調する。決まって二歳年上の健と比較された。
「本当にダメな子ね。お兄ちゃんを見習いなさい!」
健は緒川家の本当の息子だから当然なのかもしれない。
健は勉強もスポーツもできて、義理の両親の期待に完璧に応える“良い子”だった。
でも俺だけは知ってた。健の本当の顔を。
大人の前では礼儀正しく振る舞うくせに、二人きりになると途端に態度を変える奴で。
俺の持ち物を隠したり、わざと大事なものを壊したりして、大人が来ると「遥が落としちゃったみたい。大丈夫?」と心配そうな顔で近づいてくる。
「健くん、優しいのね。ちゃんと遥の面倒を見てくれて」
義母は健を褒め、俺に向かって怒鳴った。
「また健くんに迷惑をかけて! いい加減にしなさい!」
何もしていないのに。説明しようとしても聞いてもらえなかった。
「言い訳ばかりするな!」
義父の拳が俺の頭を叩く。
健が壊したものなのに、俺が弁償しろと言われた。少ないお小遣いも取り上げられた。
「遥、僕が代わりに弁償してあげるよ」
健が優しそうな声で言った。義父母の前で、まるで本当に心配してくれているかのように。
「健くんは優しい子ね。本当、お兄ちゃんらしいわね」
義母の顔がほころぶ。
「だって、遥も“家族”だから。当たり前だよ」
健は謙遜するように微笑んで、俺の手を握った。その手には、警告するように強い力が込められていた。
「ほら遥、健くんにお礼を言いなさい」
「……あ、ありがとう」
俺は震えた声でそう言うしかなかった。
健の完璧な演技の前では、真実を話すことなど不可能だったから。
「さすが健だ。それに引き換え、遥はどうしようもないな」
義父がため息をつく。
健は俺だけに見えるよう、口の端を上げて笑った。
そして、俺は自分がいつも怒られることだけは理解していた。何をしても、しなくても。
しばらくすると、学校で作文のコンクールが開催されることになった。
俺は本が好きで、いつも図書館で過ごしていたから、作文を書くことには自信があった。
「家族について」というテーマで、俺は一生懸命に書いた。
本当の両親のことを思い出しながら、暖かい家族への憧れを込めて。
原稿用紙三枚にわたる作文を書き上げ、机の引き出しにしまっておいた。翌日学校に持参するつもりだった。
でも、翌朝になってその作文が見つからない。
「あれ? 確かにここに置いたのに……」
慌てて部屋中を探し回ったが、どこにもなかった。
「遥、何をがさごそやってるんだ」
義父が不機嫌そうに覗き込む。
「作文が……なくなって」
「また忘れ物か。だらしのない奴だ」
結局、急いで別の作文を書き直すしかなかった。でも時間がなくて、納得のいく出来にはならなかった。
――それから数ヶ月後のことだった。
「健くん、おめでとう!」
義母の弾んだ声が聞こえてきた。
「何があったの?」
俺がリビングに行くと、健が少し照れたような顔で立っていた。
「健くんの作文が、市のコンクールで大賞を取ったのよ!」
義母の嬉しそうな声。でも、その瞬間俺の血の気が引いた。
え……?
健の手に握られていた賞状と一緒に、見覚えのある原稿用紙が見えた。
「それ、僕の……」
震え声でそう言うのが精一杯だった。
健は俺だけに聞こえるような小さな声で呟いた。
「何か言った?」
「ううん……」
俺は何も言えなかった。言ったところで、誰が信じてくれるのか、って。
「健は本当に優秀だな。それに引き換え、遥は作文のコンクールにも参加しなかったそうじゃないか」
義父が俺を睨む。
「まあ、忘れ物をするような奴には無理だったんだろう」
その後、健は表彰式に出席し、新聞にも載った。
健がインタビューで答えている記事を見た時、俺の心は完全に砕けた。
それは俺が作文に込めた想いだった。
でも、健にとってそれは単なる“良い成績を取るためのネタ”でしかなかった。
「健くん、本当に文章が上手なのね」
義母は嬉しそうに健を褒め続けた。
「遥も見習いなさい。お兄ちゃんのように」
俺は頷くことしかできなかった。
その夜、俺は布団の中で泣いた。
自分の努力が、想いが、全て健に奪われてしまったから。
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