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第31話 傷跡と再生②
それからというもの、健の嫌がらせはエスカレートした。
俺が何か特別なことをしようとすると、必ず邪魔された。義理の両親に訴えても、信じてもらえるはずがない。
「遥が悪いのよ。お兄ちゃんに迷惑をかけるから」
いつも健の味方だった彼らが、俺の言葉を聞いてくれるとは思えなかった。
「文句があるなら、出て行けばいい」
「あんたなんて、最初から要らなかった」
そう言われ続け、居場所がないことを痛感した。
俺は本に逃げるようになった。
図書館で過ごす時間だけが、唯一の安らぎだった。
物語の中では、優しい主人公は最後に報われる。困難を乗り越えて、幸せを掴む。
“耐えればいつかは報われる”
そう信じて、俺は耐え続けた。
きっといつか、頑張った分だけ幸せになれるはずだ、って。
友人たちの家族の話を聞くたび、胸が締め付けられた。
「うちの親がさ、すげー心配してくんの」「昨日、兄貴とゲームしててさぁ」
温かい家族の話を聞くたび、羨ましさと寂しさで胸が苦しくなった。
高校卒業の頃、俺は決意した。
“この家を出よう。自分の力で生きよう”
奨学金とアルバイトで学費を工面し、アパートで一人暮らしを始めた。
「お前一人で何ができる」
義父は鼻で笑った。
「すぐに泣きながら帰ってくる」
健も追い打ちをかけた。でも、俺は帰らなかった。
“一人でもやっていける”
証明したかった。自分にも、あの人たちにも。
そして、俺には夢があった。本に救われた俺は、今度は自分が誰かに何かを伝える仕事がしたかった。
時々、義理の家族から連絡が来ることもあった。
でも、それは心配の電話じゃなくて、お金の要求だった。
最初は応じていたけれど、返してもらえることは一度もなかった。
「家族なんだから当然だろう」
そう言われるたび、心は少しずつ冷えていった。
大学を卒業し、文芸春風社に就職した。
憧れだった出版社、編集の仕事。夢が叶った瞬間だったのに、義理の家族は誰も祝ってくれなかった。
「まぐれだ」「どうせ長続きしない」
そう言われるだけだった。
職場では佐野主任の理不尽なパワハラに苦しんだ。
心身ともに疲弊していく毎日。一人で耐えるしかなかった。
それでも俺は信じていた。「耐えれば報われる」と。
そんな時期に知り合った洋介と付き合い始めたけど、あいつは徐々に本性を現した。
そして、運命的に出会った拓実。
拓実からはどれだけ大切にされ、愛されているか。
耐え続けた先に、本当の幸せがあった。
「……遥」
拓実はじっと俺を見つめ、静かに口を開いた。
「お前は本当に優しくて、俺はその優しさが大好きなんだ」
その言葉に、胸がぎゅっと温かくなる。
「でも、優しすぎるんだよ。自分を大切にしろよな」
拓実の手が、そっと俺の頬に触れる。
「お前が今まで耐えてきたこと、全部背負う必要なんてねぇよ。これからは俺が一緒にいるからな」
その言葉を聞いた瞬間、長年張り詰めていた心がふっとほどけていく。
「……ありがとう」
小さな声で、でも心から、そう呟いた。
俺は覚悟を決め、スマホを手に取った。
「よし……」
俺は深呼吸を一つして、画面を見つめる。
電話をかける相手は、血のつながりもない“家族”。
子供の頃から抱えてきた恐怖や屈辱が、鮮やかに蘇る。
「遥、頑張れ」
「……うん」
指が震えるのを感じながら、ボタンを押した。
呼び出し音が鳴る。
耳に届く自分の心臓の音が、まるで部屋中に響くようだった。
三回、四回、……五回目の呼び出しで、低い声が受話器の向こうから聞こえた。
――……もしもし
あの声だ――義父の声。
冷たく、重く、何かを探るような響き。
一瞬、言葉が詰まる。
「……あの……遥です。お久しぶりです」
声は震えずに出したつもりだった。
電話の向こうで義父は一瞬黙ったあと、低く言った。
――何の用だ。
「実は、養子縁組の件、もう解消してもらいたいんです」
――……養子縁組を解消だと?
義父の声は相変わらず冷たく、侮蔑に満ちていた。
「もう決めたことです。書類は後日送らせていただきます」
――待て――……
俺は電話を切った。
手が震えていた。でも、やっとできた。
ついに、あの人たちと完全に縁を切る第一歩を踏み出せた。
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