「叔父さん、この方は？」 美咲さんが困惑したような表情で岩本社長を見上げる。 「ああ、こちらはアークメディアホールディングスの神谷社長だ。映像業界では知らない人はいないほどの方だよ」 岩本社長の言葉に、健の顔色が変わった。 「岩本社長、ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、いつもお世話になっております」 拓実が柔らかく微笑むと、美咲さんが慌てたように立ち上がった。 「し、失礼いたしました！　改めまして、私はネクストビジョン社長の岩本の姪で、美咲と申します。遥さん、神谷社長、よろしくお願いいたします」 「神谷拓実です。遥の義理のお兄さんの婚約者の方だとおうかがいしました。私は遥と親しい仲です。こちらこそ、よろしくお願いします」 拓実の丁寧な挨拶に、岩本社長が感動したような表情になる。 「これはなんという……まさか神谷社長がご親族の方と知り合いだったなんて。美咲、君はなんと幸運な縁に恵まれたんだ」 岩本社長が嬉しそうに美咲さんの肩を叩く。 美咲さんも顔を真っ赤にして何度も頭を下げ続けている。 一方、健だけが取り残されたように呆然と立ち尽くしていた。 「ちょっと……待てよ……」 健の声が震えている。 「し、社長って……まさか、あんたが……あのアークメディアの……」 健の震え声に、拓実が振り返る。 「はい。株式会社アークメディアホールディングスの代表取締役をしています」 静かに、しかしはっきりとした声で拓実が答えた。 「……名刺に社長って書いてあるだけで、本当にそんな大したことなのか？」 健の言葉が終わらないうちに、岩本社長の表情が一瞬で険しくなった。 「健君、何ということを言うんだ！　神谷社長がどれだけの方かわかっているのか！　昨年、弊社が大ピンチの時に……」 岩本社長の声が震えている。 「神谷社長が手を差し伸べてくださらなければ、弊社は本当に倒産していた。……あの時は本当にありがとうございました」 健の口がパクパクと動いているが、声が出ない。 「今度お時間がある時に、ぜひ改めてご挨拶をさせていただければ」 岩本社長が深々と頭を下げると、拓実は穏やかに微笑んだ。 「おい、ただの映像関係の会社員って言ってたじゃないか！」 「映像関係の仕事をしているのは事実ですから。嘘は言っていませんよ」 拓実の穏やかだが的確な指摘に、健は言葉を失った。 さっきまで下請けがどうのフリーターがどうのと馬鹿にしていた相手が、実は業界の頂点に立つ人物だったという現実に、健は完全に打ちのめされていた。 「それに、神谷社長と親しくされているなんて……本当に立派なご親族様なんでしょう」 「い、いえ……そんな大したものじゃありません」 俺は思わず言葉に詰まり、頬が熱くなるのを自覚した。 「まあ、神谷社長と親しいなんて確かに大した縁かもしれませんが……」 健は胸を張り、わざとゆっくり言葉を区切った。 「結局のところ――俺の弟ですからね」 勝ち誇ったように言い放つが、その声音には焦りが滲んでいるのが見て取れた。 岩本社長は健を完全に無視して、拓実との会話に夢中になっていた。 「神谷社長、今度お食事でもいかがでしょうか。美咲の結婚式にも、ぜひお越しいただければ」 「ご丁寧にありがとうございます。検討させていただきます」 拓実の冷静な返答に、健のプライドがズタズタになっているのが手に取るようにわかった。 美咲さんは深々と頭を下げた。 「神谷社長、本日は本当にありがとうございました。叔父が普段からお世話になっておりまして……私からもお礼を申し上げます」 「いえいえ、お気になさらず」 拓実が微笑むと、岩本社長はさらに嬉しそうになった。 健はその様子を見ながら、完全に蚊帳の外に置かれていることを痛感していた。 「遥、そろそろ失礼しようか」 拓実が俺の肩にそっと手を置く。 「ああ」 立ち上がりながら、俺は健を見た。 「それでは、失礼します」 「あ、ちょっと待て！」 健が慌てて立ち上がったが、拓実は岩本社長と美咲さんに丁寧な挨拶をして、俺たちはラウンジを後にした。 ホテルの外に出ると、拓実が苦笑いした。 「こんな感じでどう？」 「ばーか……やってくれんじゃん」 俺は心の底から思った。 健の驚愕した表情が、まだ目に焼き付いている。