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第39話 偽りの手口
それから一週間、俺は妙に落ち着かない日々を過ごしていた。
健から連絡はなかったが、胸の奥に居座るのは「嵐の前の静けさ」のような嫌な予感だった。
「あんまり考えすぎんなよ?」
拓実はそう言ってくれたけれど、俺には確信があった。健はまだ諦めていない。
――月曜日の朝、その予感は現実になった。
「一ノ瀬さん、ちょっと」
IT部の安田さんに呼ばれて、セキュリティ部門の部屋に向かった。
「実は、週末にちょっと気になることがあってね」
安田さんがモニターを指差す。
「君のアカウントで、土曜日の深夜にログイン試行があったんだ」
「土曜日? 俺、家にいましたけど」
「そう思った。しかも一度じゃない。午前二時から四時まで、何度も」
画面に表示されたログを見ながら、背筋が寒くなった。
「パスワードは間違っていたから、システムには入れていない。でも……」
安田さんが別の画面を開く。
「ログイン試行の回数を見てよ。127回だ」
「127回?」
「しかも、パスワードの試行パターンが面白いんだ。誕生日、血液型、出身地……個人情報を組み合わせたものばかり」
「は……?」
彼が表示した試行パターンを見て、息が詰まる。
俺の誕生日、血液型、出身地……。
そんな情報を知っているのは、限られた人間だけだ。
「幸い、うちのセキュリティシステムはアークメディアと同じやつだから、全て遮断してる」
安田さんが別のウィンドウを開く。
「アクセス元のIPアドレスも特定してるよ。調べてみようか?」
「お願いします」
数分後、安田さんの表情が厳しくなった。
「これは……一ノ瀬さん、心当たりある人物はいる?」
「もしかして……」
「××商事という会社からのアクセスだ」
俺の心臓が大きく跳ねた。それは、健の勤務先だった。
「すぐに上司に報告する必要があるね」
安田さんが立ち上がる。
「それと、念のために君も今日は早めに帰った方がいい」
昼休みになり、俺は拓実に電話をした。
「絶対に健の仕業だと思う」
――詳しく聞かせて。
事情を説明すると、受話器越しの拓実の声が低くなる。
――……わかった。今日の会議、早めに切り上げて迎えに行くよ。
「いや、いいって」
――だめ。一人にはしておけないから。
拓実の声に、いつもとは違う真剣さがあった。
――健がどこまでやるつもりかわからないからさ。
*
勤務後、神谷メディアの正面で待っていた拓実と合流し、車に乗る。
今日の出来事を話すと、拓実が低く呟いた。
「127回の試行……執念深いな」
「もう、放っておけないよな」
「ああ」
拓実がハンドルを握る手に力が入った。
「でもさ、健は大きなミスをしたな」
「ミス?」
「証拠を残しちゃったんだよ。決定的なやつを」
拓実が俺を見る。
「アークメディアのセキュリティログは、法的な証拠になる」
「ということは?」
「不正アクセス防止法違反。完全にアウト」
拓実の目が鋭くなった。
その夜、拓実のマンションで夕食を取りながら、俺は少し安心していた。
「でも、これで健も懲りるかな」
「どうだろうな」
拓実が首を振る。
「むしろ、追い詰められて暴走するかも」
「は? 暴走?」
「今回のアクセス試行が失敗したってわかったら、次はもっと危険なことしてくる可能性があるな」
拓実が俺の手を握る。
「しばらく気をつけよう」
――翌朝、拓実の携帯に、見知らぬ番号から電話がかかってきた。
「もしもし、神谷拓実社長でいらっしゃいますか?」
「はい」
「ネクストビジョンの岩本と申します」
拓実の表情が変わった。美咲の叔父、岩本社長からの電話だった。
「実は、お忙しいところ申し訳ないのですが、少しご相談があります」
「どのような?」
「美咲の婚約者の件で…」
拓実がスピーカーにして、俺にも聞こえるようにしてくれた。
「婚約者の健くんから、おかしな連絡が来てまして」
俺の胸が締め付けられた。
「アークメディアの内部情報を持っている、売ってもいいと言ってきたんです」
拓実の顔が青ざめた。
「どのような情報でしょうか?」
「競合他社との契約内容、新しいプロジェクトの詳細、それに……」
岩本社長の声が困惑している。
「神谷社長の個人的な情報まで」
拓実が俺を見る。その瞳に、怒りの炎が燃え始めていた。
「岩本社長、その件についてですが」
「はい」
「少し詳しくお話を聞かせていただけませんか。できれば直接お会いして」
「もちろんです。実は私も、この件については非常に困惑しておりまして」
電話を切った後、拓実は静かに立ち上がった。
「遥」
「何?」
「健の本性が、ついに出てきたな」
拓実の声は落ち着いていたが、その奥に激しい怒りが隠されているのがわかった。
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