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第53話 プロポーズは国境を越えて

「実は、俺……アメリカ国籍なんだ」 「……え?」 あまりにさらっと言うから、一瞬理解が追いつかなかった。 「え? は? ……アメリカ国籍?」 「うん。俺、ニューヨーク生まれだから」 拓実が穏やかに答える。でも、頭の中はハテナだらけだ。 「……てことは、日本国籍は?」 「持ってない。18のときに選択しなきゃいけなくて、アメリカの方を選んだ」 「じゃあ、拓実って日本人じゃねぇの!?」 「うん、まぁ……アメリカ人かな」 そう言って、拓実は少しバツが悪そうに笑う。 その笑顔に、妙にドキッとするのが悔しい。 「なんで今まで黙ってたんだよ」 「ごめん。なんか言うタイミング逃しちゃってさ……。それに、どう切り出していいかも分かんなくて」 目を逸らす拓実。 すると、横で聞いていた潔さんが、ふっと優しく笑った。 「つまりね、遥くん。アメリカでなら、二人は結婚できるのよ」 「……え?」 「アメリカは同性婚が認められてるでしょう? 拓実はアメリカ国籍だから、向こうで婚姻届を出せば、正式に夫婦として認められるの」 「……え、ほんとに?」 「もちろん、日本では法的効力はないけれどね。でも、アメリカではちゃんと“夫婦”なのよ」 静かな声でそう告げられて、息をのむ。 思わず拓実を見ると、彼は照れくさそうに笑っていた。 「だから、ずっと言いたかったんだよ。お前と――ちゃんと結婚できるって」 胸の奥が、ぎゅっと掴まれたように熱くなる。 「……早く言ってくれよな」 「だって、お前、色々悩んでたし、ずっと壁作ってただろ?」 拓実がゆっくりと俺の手を取る。その手は、少しだけ震えていた。 「まずは日本でパートナーシップかなって。いきなり“アメリカなら法的に結婚できるよ”なんて言ったら、余計にプレッシャーになるかと思って。お前が、自分の気持ちを整理できるまで待とうって決めてた」 「……バカ」 情けない声でそう言った瞬間、目の奥が熱くなる。 泣きそうな俺を見て、拓実が優しく笑う。 「バカでいいよ。お前が隣にいてくれるなら、それでいい」 拓実が照れくさそうに言うと、潔さんが嬉しそうに目を細めた。 「拓実ったらね、『遥がまだ返事してくれない』って電話してくるのよ」 「ば、ばあちゃん!」 拓実が慌てて声を上げる。その頬がみるみる赤くなっていく。 「可愛いわよね、そういうところ」 潔さんは楽しそうに笑った。 その柔らかい空気に包まれて、俺の緊張も少しずつほどけていく。 「遥くん」 潔さんが改まった声で俺を見る。 「私はね、二人が幸せならそれでいいと思ってるの。焦らなくていいから、ゆっくり考えてね」 「……はい」 「でも、拓実はもう待ちきれないみたいだけどね」 その一言に、拓実がますます真っ赤になった。 「ばあちゃん、ほんと余計なこと言わなくていいから……!」 「大事なのは、二人の気持ちが同じ方向を向いてるかどうかよ」 潔さんの言葉は静かで、優しく響いた。 拓実は、ふっと笑った。その笑顔が優しくてあたたかくて、胸がきゅっと締めつけられる。 同じ方向。 拓実は、ずっと俺との未来を見ていた。 指輪も、新居も、結婚も――全部、俺との「これから」のために。 * ラウンジを出るころには、窓の外が淡いオレンジ色に染まっていた。 夕焼けがガラス越しに差し込み、拓実の横顔をやわらかく照らす。 「……疲れた」 思わず漏らすと、隣の拓実が苦笑した。 「そっか。じゃあ、早く帰ろ」 エレベーターに乗り込むと、拓実が少し照れたように言う。 「ちゃんと話聞いてくれて、ありがとな」 「いや……うん」 その言葉がやけに優しくて、胸がくすぐったくなる。 エレベーターが開き、拓実の部屋に着いた。 鍵を開けて中に入った瞬間、背中からそっと腕が回される。 「おい……」 「ちょっと、こっち来て」 そのままソファーに引っ張られ、柔らかいクッションに沈む。 「……な、何だよ」 隣に座った拓実が、真剣な目でこちらを見つめた。 「――ニューヨークに行こう」 「……は?」 思考が止まった。鼓動の音だけがやけに大きく響く。 「ちゃんと届け出を出せば、婚姻証明がもらえる。日本じゃできないけど、アメリカなら“家族”になれるから」 拓実の瞳がまっすぐ俺を見つめる。その目に、迷いは一つもなかった。 「お前が嫌じゃなければ……今すぐでもいい」 嬉しい。 こんなふうに真っすぐ気持ちを向けられたら、もう逃げられない。 「……本気でそんなこと考えてたの?」 「うん。ずっと……俺の気持ちは変わらないよ」 拓実が俺の手を取る。その手の温もりが、まっすぐ伝わってくる。 「遥」 そっと頬に触れられる。指先が少し震えて、熱を帯びていた。 「俺と、一緒に来てくれる?」 その言葉が胸に響いて、何も言えなくなった。 拓実の瞳の中に、俺だけが映っている。 「……考えさせて」 やっと絞り出した声は、震えていた。 「うん。待ってるから」 拓実が微笑む。その笑顔があたたかくて、少し泣きそうになる。 窓の外では、夜の帳が静かに降り始めていた。 ふたりの影が重なり合って、ゆっくりとひとつになっていく。

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