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第10話

 俺たちは広間を後にして本殿のご本尊に手を合わせた。そして靴を履くと、さっきの庭園とまた違った趣きのあるところに出た。そこは青もみじと、その下には緑が美しい苔が一面に群生し、その苔と一体になっているような小さな地蔵様が佇んでいた。 「何でやろな…お前にやったら、話せてまうわ」  本当に健吾は、出会った時から俺がドキっとしてしまうことをサラッと平気で言う。 「それはさ、俺がど素人だからじゃないの?」 「そやなぁ…お前は、ど、が十個くらいつくど素人やしな。なぁ、ラグビーってボールを前に投げたらあかんの知ってるか?」  俺は知っていたけど、知らない振りをした。 「へぇ…そうなんだ。ラグビーって案外面倒臭いスポーツだね」 「やかましわ。俺の愛するラグビーを面倒臭いって言うな」  俺は、四回目のヘッドロックを避けようと、体を横にずらしたが、健吾は俺を見て優しい顔で微笑んだ。 「でも、ありがとうな、話し聞いてくれて。誰かに話したかってん。ホンマお前でよかったわ。引き際の美学なんて言うてくれて。俺は間違ってへんかったって改めて思えたわ」 「健吾…」  うっかり気を抜いたら、やっぱり四回目のヘッドロックが待っていた。    それから俺たちは境内をゆっくりと歩いた。  苔の地蔵様の近くに簡素な御堂があって、中を覗くように見ていると、訳知り顔のおばさんが、俺たちに近づいてきて、この御堂は重要文化財で中に鎮座する阿弥陀様は国宝なのよ、と説明をした。俺たちは、顔を見合わせて、そのおばさんに、はぁ…すごいんですね、と言ってその場を離れた。健吾は後ろを振り返りながら、俺に顔を近づけてこっそりと言った。 「大阪の商店街やったら、あんなおばはん、ようけおるけどな…まさか、こんなとこにも、しゃべくりがおるとは思わんかったな」 「そんな…親切に教えてくれたんだよ。何にも知らなさそうな顔してたんだろうね、俺たち」 「あのまま、あそこにおったらな、絶対に言われんぞ。もっと勉強してからおこしやす、ってな」 「京都の人をディスるね…さては中学生の時に何かあったんでしょ」 「アホ。何もないわ」  図星のようだった。俺は顰めっ面の健吾を見て笑った。そして、その後もたわいもない話しをしながら、広い境内を回って俺たちは三千院を後にした。  もう、ラグビーの話しはしなかったが、さっき自分で言った、引き際って言葉がずっと頭の中から離れなかった。  駐車場に戻る途中、健吾は自販機でお茶を買った。 「なぁ、一本飲み切れへんかったら邪魔やし、半分ずつせえへんか」 「ああ、そうだね」  健吾はキャップを開けると、お前から飲めや、って俺に冷えたペットボトルを渡した。 「いいよ、健吾から飲めよ。バイクの運転も大変なんだから」 「何言うてんねん。そんなん大したことあらへんわ」  俺は、ありがとう、と言って数口飲んで、健吾に渡した。間接キスだ、なんて言って、以前ならふざけていたけど、今はできなかった。  駐車場に着くと、もう健吾のバイクしか停まっていなかった。健吾はペットボトルに五センチくらい残して、最後少しやけど飲んで、と言ってまた俺に渡した。いくら目をつぶってもペットボトルの飲み口を健吾の唇と思うのは無理な話しだ。俺は一気に飲み終えるとゴミ箱にペットボトルを捨てた。 「ほしたら、また京都駅に戻ってから、どっか店入ろか」  健吾はエンジンをかけると、俺は健吾の肩に掴まって後部座席に跨った。そして、エロ掴まりではなく腹の辺りに腕を回した。本当はもっと上の方を触りたかった。健吾の胸筋と胸の鼓動を俺の手のひらで感じたかった。ついでに乳首も。やっぱりこれもエロ掴まりになりそうだ。でもそんなことをすると、アホ、ちゃんと持っとけ、って言われて、腕を掴み直されるに決まってるから、普通にした。  健吾に触れると、どうしても想像してしまう。    バイクは風を切って山沿いの国道を走った。    俺は思った。俺はどうしたいんだろう…健吾とどうなりたいんだろう。あの美しい庭園を眺めていても、俺は健吾のように答えは出そうにない。  健吾が正直な気持ちを話してくれた時、俺は今みたいに健吾を抱きしめたかった。抱きしめることで健吾の辛かった気持ちをほんの少しだけでも分かち合えたら、と思った…けど    俺の引き際は、いつなんだろう…。

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